「真面目だねは私にとって褒め言葉ではない」
「𓏸𓏸は本当に真面目だよね」
これまでの23年間、私は幾度となくこのセリフを浴びてきました。
周囲が言う通り、私は真面目です。皮肉とかではなく、みんな純粋にそう思って伝えてくれているのも理解しています。
だから言われることではなく、自分自身の受け取り方に問題があります。
私にとって、真面目だねは褒め言葉ではないのです。
なぜなら、”真面目”でしかいられない自分を好きになれないからです。
幼少期から社会のルールや世間体は絶対!みたいな環境で育ってきたこともあり、気づけば大人の顔色を伺い優等生に生きることしかできなくなっていました。
例えば小学生なら、ちょっとイタズラしようとか、授業中に手紙回そうとか、悪知恵働く瞬間ってあると思うのですが、私は大人に怒られることが最大の恐怖だったため、全くそういうことはしませんでした。
その影響か否か、大学生や社会人になっても、私は安全地帯から出る勇気はありませんでした。もしこうなってしまったら?昔から鍛えられた危険察知能力が、私の世界をどんどん狭めていくのが、苦しくて仕方ありません。
そんな生きづらい性格が、「真面目」という言葉に詰まっている気がして。思わずため息をつきたくなってしまうのです。
私ってやっぱり捻くれ者なんでしょうか?
でも、冒険できる人ばかりだったら、世界は成り立ってないのかもしれないですよね。
自分が真面目であることが、世界のなにかにとって役に立っていることを祈るしか、ないですね。
共感してくれる人が少しでもいたら、私はきっと少し救われます。
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