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氷室京介の『Q.E.D』余話~ BOOWYと氷室バンドと ~

【閲覧にあたっての注意】

この話は、『Q.E.D』余話としておりますが、『Q.E.D』DISC Iの1曲目、「DEAR ALGERNON」を観ていた時に思い出した“KYOSUKE HIMURO 25th Anniversary TOUR GREATEST ANTHOLOGY -NAKED-”(以下『NAKED』と称す)横浜スタジアム公演を巡る騒動についての“私が感じたこと”を書いております。『Q.E.D』の感想ではありません。

有り体に申しますと、あの時の氷室氏の「卒業宣言」を聞きつけた布袋氏が即ネットにアップした「隣でギターを弾きたい」発言に起因する私の憤懣遣る方無い気持ちを書き連ねたものが大部分を占めております。
故に、なかなか情緒不安定で感情的な文章となったと思います。
よって、あの布袋氏の発言に感動したと仰る方や、布袋氏のためなら何が犠牲になっても当然と考え、布袋氏の行動・言動への物言いは一切許さないタイプの方は、これ以上お進みにならない方が精神衛生上よろしいかと存じます。世の中には色々な考え方の人がいて、相容れない部分はどうしたってありますから。棲み分けは大事です。わざわざ不快になりにいくことはありません。

そこまでいかなくとも、恐らく読む人を相当選ぶと思います。
私は、BOOWYの素晴らしい楽曲を数多く産みだしたBOOWY時代の布袋氏の仕事ぶりについてはとてもリスペクトしていますが、それ以外の部分――過去を省みない言動、及び都合の悪いことは糊塗又は改竄して周囲に触れ回る悪癖などについては非常に受け入れがたく感じており、今回はその後者部分がとりわけ強調される結果となりました。
特に「卒業宣言」の章と「卒業宣言の余波」の章は、布袋氏に対する私のこれまでの怒り大爆発ですので、読み飛ばし推奨です。
この2つの章については怒りのボルテージが上がりすぎな気もするので、後で冷静になってから読み返してみて、公開が不穏当だと判断したら削除するかもしれません。

いずれにせよ、もし読んでいて少しでも合わないと感じたなら、無理はなさらず読むのはお止めください。
以上、注意事項でした。


「28歳」と「53歳」の「DEAR ALGERNON」

『Q.E.D』の最初を飾る曲は「DEAR ALGERNON」だった。

BOOWYの解散から1年。BOOWYの「LAST GIGS」で誓った“この場所”での再会の約束を果たすため、「氷室京介」は再び東京ドームのステージに還ってきた。
その「約束の地」で最後に歌われたのがこの曲であった。
BOOWYを終わらせてから最初に迎えた誕生日――彼が28歳になった日に発売されたセカンド・シングルの表題曲を。
BOOWYのままであったなら恐らく日の目を見なかったようなこの曲を歌う「氷室京介」。ソロ・ミュージシャンとして歩み始めたばかりの彼のそんな映像から「氷室京介」の35年にわたるソロ活動の軌跡を巡る旅は始まった。

そして、映像に閉じ込められた「28歳の氷室京介」を観ながら、25周年アニバーサリーツアーのツアーファイナルで、同じく「DEAR ALGERNON」を歌う彼の姿が脳裏によみがえる。私が生で観た、同曲を歌う氷室氏の最後の姿がそれだった。

「卒業宣言」からのツアーファイナル。
「Final Destination」と冠されていた横浜スタジアムでの追加公演。
1日目のリハーサルで転倒して肋骨を骨折。2日目公演の途中でひびが入っていた骨も折れてしまい、計3本骨折という満身創痍の中で行われたステージ。

もう一度確認してみたくなって、一旦『Q.E.D』の再生を止め、「25th Anniversary TOUR GREATEST ANTHOLOGY -NAKED- FINAL DESTINATION DAY-02」(以下「NAKED」と称す。)をディスクトレイへ。

そこに封印されていたのは、「53歳の氷室京介」。
3本肋骨が折れ、表情にはやや窶れが見え、笑顔は一切ないものの、歌声は変わらずしなやか。細かいことをいったらキリがないけど、気になるほどではない(そんなことを言い出したら、むしろ「28歳の氷室京介」の歌の方が気になる点が多い)。というか言われなければ、いや言われたとしても、肋骨が3本折れている状態で歌っているとは信じられない。ちなみに前日の歌はもっとヤバい。この時既に1本骨折+2本ヒビが入っている状態のはずなのに。化け物か、この人。
だがそれが「氷室京介」としての26年間(当時)の重みであり、集大成。

無論、“あの頃”よりも年はとっている。歌声も変わっている。発声も歌い方も変わっている。歌を支えるサウンドも後ろにいるメンバーも違う。色んなところが違う。変わっているモノは沢山ある。
「53歳の氷室京介」は「28歳の氷室京介」ようには唄えないし、逆もまた然り。
けれど、音楽に対する姿勢は変わらない。「氷室京介」を構成する「核」の部分は変わらない。少なくとも私の目にはそう見える。
26年という時を経ても変わらないモノが確かにそこに在った。

かつて氷室氏は、BOOWY後期の素材を確認した際に「俺が犠牲フライを打ったつもりでも、コミュニケーションが上手くとれていないと単なる凡フライになってしまう。意思の疎通がないと成り立たない。あ、これじゃ、解散するわと思った」との感想を述べたことがある。

翻って「NAKED」の映像を観ると、この時の「氷室バンド」の演奏は、犠牲フライが凡フライになるどころか、凡フライすらも犠牲フライに変えようとする気概に満ちている(気がする)。あのライブの特殊性を考慮したらある意味当然なのかもしれないけれども。
「全ては『氷室京介』のために」というのは、バンドとしてではなく、ソロ・ミュージシャンとバックバンドという関係性があるからこそとも言えるのかもしれないけど。

「卒業宣言」

この浜スタ2DAYSの1週間ほど前、山口県周南市で行われた公演にて、氷室氏の「卒業宣言」があった。
その第一報がネットを駆け巡った際、元BOOWYの高橋まこと氏は、まず驚き、次に氷室氏の身を案じるツイートを発した。
同じく元BOOWYメンバーだった松井常松氏は沈黙を守った。
そんな中、元BOOWYの布袋寅泰氏は、(氷室氏に直接コンタクトを取るわけでなく)(氷室氏を案じる言葉も全くなく)「もし彼が本当にステージから姿を消してしまうなら『最後のステージはせめて1曲でも隣でギターを弾かせてほしい』。そう願うのみ」と速攻自身のブログに綴り、不特定多数に向けて自分の「お気持ち」を表明した。

解散時のメンバーや関係者の言説等を幅広く調べていってわかるのは、BOOWYの時に、繋いでいた手を離した(振り払ったという表現の方が適切かもしれない)のは、布袋氏の方であること。
氷室氏ら他のメンバーに全く非がなかったとまでは思わないが、仲間(バンドメンバー)としての筋を通さなかったのは布袋氏だったと考えている。

布袋氏が当時解散を望んだこと、それ自体は、責めるべきではないし、そのつもりもない。最低なのはその願いを叶えるために彼がとった手法であった。それでもそれ「だけ」なら、一種の若気の至りとして納得……はできないかもしれないけれど、その後の彼が自身の行動を省み、真摯に向き合っていたのであれば、いずれ理解できる日が来ることがあったかもしれない。
氷室氏も、解散後数年してから楽屋を訪ねていった布袋氏を温かく迎え、瞬間的に交流が復活した時期だってある。
なのに、そんなたった一時の交流復活によって布袋氏は「解散に向けて俺がやったことは大したことではない」「俺が何をやってもヒムロックは最終的には許してくれる」と勘違いしたのか、それとも、布袋氏がソロセールスのピークを迎えて調子に乗ったことで、「俺のためならヒムロックや彼が大切にしているモノが犠牲になっても仕方がない」と考えたのか、その後の布袋氏が氷室氏に返したのは反省ではなく、さらなる不義理と背信であった。

それでも氷室氏は何も言わなかったし(但し、ソロ初期によく口にしていた、布袋氏の才へのリスペクトや布袋氏の活躍を祈っている的な発言もしなくなり、今では布袋氏が何を言おうと完全に黙殺している。もっとも何せ氷室氏本人が黙して語らずのため、これがそのことに影響を与えているかはわからない)、布袋氏がこの「件」について問い詰められても「俺がやらせたわけじゃない!」或いは「俺は何も知らない!」と言い訳して逃げを打つのだろうが……。

確かに、(それによって恩恵を受けたのは、結果的に布袋氏だけだったとはいえ)その「実行犯」自体は彼本人ではない。
それでも、布袋氏らの不実に対する世間の批判をそらすために「氷室京介」と「BOOWY」が利用され、布袋氏自身とその周囲が被るべきはずであった泥が氷室氏らへ被せられたことは、事実として揺らがない。
そもそも布袋氏らがあんなことをしなければ、この「件」は起きなかった。自分らのお気持ちを優先して行った愚行の責任が(布袋氏本人が直接やったわけではないにせよ)氷室氏らになすりつられけた。
そして、布袋氏自身がその当事者である以上、布袋氏や糟谷氏をはじめとしたスタッフが誰ひとりとしてその「件」を把握していなかったなんてあり得ない。

せめて後になってからでもいい。布袋氏が氷室氏らに対するフォローの一つでもしていれば……。
布袋氏がそうしていたのなら、まだ私も彼(が語るBOOWYや氷室氏への、ファンにとっては聞こえのいい、そうであってほしいと感じる言葉の数々)を信じ続けていることができたのかもしれない。
だって彼は、私が「大好きなバンド」のギタリストだった人だ。そんな人が、いくらそのように世間が思ってくれていた方が布袋氏らにとって都合がいいとはいえ、自身のせいでかつての仲間やバンドに汚名を着せられて平気でいるだなんて思いたくない。
BOOWY時代に色々やらかしたけれども、彼の心の中にはBOOWYや氷室氏を大切に思う気持ちがあると信じていたかった。
「何もなけりゃ友だちヅラ 事が起こりゃ知らん顔で 何もない時だけいつでも笑顔で付き合う 馴れ合い うわべの仲間」
「自分に火の粉がかかりゃ 置き去り裏切り何でもOK!」
布袋氏こそが、初期の彼らが皮肉っていた人物そのものであるだなんて思いたくなかった。

だから、当時の状況と、それ以降の彼のインタビューなどを手当たり次第調べて、調べて……それでも、自身のせいで氷室氏らへ被せられた汚名を雪ぐために布袋氏が指一本でも動かしたという事実は(一般人たる私には)見つけられなかった。
それどころか、彼がしたのは(意図的であったかは定かではないとはいえ)例の如くの「悲劇の主人公気取りでドラマチックに脚色した思い出」を語って、火に油を注ぐこと。それも、その出処が布袋氏らへの世間の批判の矛先をそらすために広められた荒唐無稽なトンデモ話だということが世間に忘れ去られた頃合いに、だ。
私だって、BOOWYにまつわる色んな話を調べていく中で、布袋氏のファンが得意げに語る話の矛盾に疑問を持ち、その話の出元や情報源を掘り下げて調べていなければ、布袋氏らのあの行動が発端で、どれだけ氷室氏とBOOWYの名が貶められたのか、多分きっと気付けなかっただろう。

彼が直接的に「そう」だと言ったわけではない。
だが、モンスターペアレントの如き布袋氏の信者や取り巻き曰く「『そう』であれば辻褄が合う」ことを、彼が後出しジャンケンで言い出した結果、彼らは「『そう』でなければ布袋さんはそんなことは言わないはず。布袋さんのその言葉が証拠だ」と主張し、「その件」がさも事実であるかのように方々で触れ回るようになった。少なくとも私が、そういった布袋氏のファンを何度も見かける程度には。
正直なところ、布袋氏のその発言を証拠とするには弱すぎると思うし、実際にそう窘める人も中にはいたのだが、「オマエは氷室ファンだから信じたくないだけだろ!これだから氷室ファンは……!!」と彼らは聞く耳を持たず、余計に勢いづいていた。
そしてBOOWY知識自慢の比較的古参(だけども後追い世代の)BOOWYファンが「真偽不明」としつつも、「でも火のない所に煙は立たぬとも申しますから……おっとこれ以上はやめておきましょうw」みたいなことを訳知り顔で語るようになり、それを聞きつけたネット情報を鵜呑みにする野次馬達が「布袋氏やBOOWYのコアなファンがああ言っているから真実に違いない」とさらに拡散して……。
あれだけエゴサ大好き、且つ氷室氏やBOOWYの話題には光速でいっちょかみな布袋氏がその状況を知らぬとは考えにくい。布袋氏のスタッフも、あれだけBOOWYと布袋氏を絡めたプロモーションを展開しているのだから、「知らなかった」なんて言い訳は許されない。にもかかわらず、知らんぷり。
自身の意に添わぬことを言われていたなら黙っていられず物申すくせに。
流石にそれはないんではないの。

なのに、上辺では氷室氏やBOOWYを『自分は』常に大切にしてるかのようなアピールをしたり、BOOWYは最初から最後まで全て自分のコンセプトに基づいていたかのように騙ったり、解散についてその時々で自分の都合の良いように言を左右したり、『俺は』再結成も吝かでないとの態度を取って再結成を熱望するファンの憎悪を氷室氏に向けたり……。後ろ足で砂をかけるような真似を一度ならず二度までしておきながら、よく言うわ(呆)。
「解散は俺が悪者を買って出ただけ」だなんて、一体どの口が言うのかと(怒)。

私は布袋氏が作ったBOOWYの楽曲は好きだし、解散についても、結果として、して良かったと思っている。しかしながら、それと布袋氏がやってきたこと(プラス布袋氏の狂信者らが思い込みで行った氷室氏らへの誹謗中傷)が許容できるかどうかは全く別の問題だ。
氷室氏が何も言わないことをいいことに、なぜ、己が犯した罪をなかったことにしようとする。
なぜ、都合の悪いことは全て他人のせいであるかのように言って、成功は全て自分の功績であるかのように騙る。
なぜ、いつも自分のお気持ち優先で、他人の気持ちは慮れない。
なぜ、自分の過ちを棚に上げて、あたかも被害者のように振る舞う。
なぜ、貴方がミスリードして扇動した人々から、氷室氏を悪し様に言われなければならない。
それがとても口惜しかった。

それなのに、今度も「また」なのか。この人はこの期に及んで、かつての仲間に対するエールでも気遣いでもなく、ただ「自分の欲望」を口にするのか。BOOWYの時に解散匂わせ発言を方々で行い、段々と氷室氏を精神的に追い詰めていった時のように、またそうやって外堀を埋めて自分の願いをかなえようと工作するのか、と怒りを覚えた。

「卒業宣言」の余波

布袋氏のお気持ち表明の後の騒ぎは今思い出しても腹立たしい。
布袋氏の言葉に力を得た再結成熱望派などが「布袋さんの願いを叶えてあげて!」「ファンはみんな望んでる!」の大合唱。それを望まないファンはおかしいみたいな批判をされたり、氷室氏を責めるような言説があったり。果ては、氷室氏の東日本大震災復興支援チャリティライブの際に、「4人じゃなきゃBOOWYじゃない!一人でやるな!」と氷室氏を批判していた人達までも「氷室と布袋が揃えばファンは満足!4人揃わなければ再結成ではないから2人の共演は問題ない」と言い出す始末。そのことに憤りを感じるとともに、とても悲しかった。

普段であれば、布袋氏のこんな態度に最初はイラッとしつつも「布袋氏のこういうところが受け付けないんだよなぁ」「そこまでして自分だけ世間に良く思われたいのだろうか」と呆れて終わりだが、卒業宣言に相当動揺していたのだろう。だから余計にネガティブな感情を抱いてしまったということはあるかもしれない。
結局のところ、私も、布袋がどんなにアレでソレなことをやらかしても、いかに最低エピソードあっても、それらを目の当たりにして彼がどれだけ自分本位な人かわかっているつもりでも、それでも布袋氏に対し「BOOWYのメンバーだったのだから」という気持ちが捨てきれないのだろう。「元仲間を慮った行動や言動をしてほしい」という、ある意味、ファンによる自分勝手な期待。その期待が裏切られて逆上しているだけ。
そう自覚はしていても、もしかしたらもうこれで最後になるかもしれない、大事な大事なライブの前だったのでね……。あの時は、心に余裕がなかった。

そんな風に外野の騒音によって心が千々に乱れていた時に、冷静にさせてくれたのが「氷室バンド」歴の長いサポメンお二人――西山史晃氏と本田毅氏のツイート。

「みんななんじゃかんじゃ言ってるけど、俺はいつどんなかたちになろうと氷室ックを応援するぜ!だろ?とりあえず7/19,20の、ハマスタで待ってるよ!」

「氷室さんの突然のメッセージは横に居てもちろん驚いたけど、それは本人にしか分からない覚悟だと思う。ツアーファイナルの横浜スタジアムは、ただ全力でギターを弾く。」

氷室氏の気持ちを最大限尊重し、最後まで自分にできることを全身全霊をかけてやる、と。
ならば、ファンにできるのは、外野の騒音に惑わされず、たとえどんな形になろうとも、横浜スタジアムで氷室氏の「覚悟」を見届け、受け止めることのみ。

本心を言えば、私は、こういう言葉をこそ、布袋氏に求めていた。もしも、布袋氏がかつて仲間であった者として、「卒業宣言」した氷室氏にどうしても何か伝えたいというのであれば。

いや、布袋氏も後になって言いましたよ。ご自身のアルバムのプロモーションの時にね。たくさんのマスメディアを集めて試聴会を開いた時とか、各局の朝の情報番組にご出演なされて「今度アルバム出ます」と宣伝した時とかにね。「最後のステージは氷室氏が決めること云々」みたいなことを。でもその後に続いた映像で布袋氏が吐いた言葉が「……僕がどんな気持ちでブログを書いたか……。僕の気持ちを汲んでください!」「(氷室氏から)オファーがあれば断る理由はありません!」

いや、だからそうじゃない。
本当に。本当にさあ、「そういうとこ」なのよ。うん。

十人十色のBOOWYへの想い

「再びBOOWYを!」という気持ちが強すぎる方々は、或いは、BOOWYのメンバー間の絆を信じたいという気持ちが強すぎて、それに反する布袋氏のエピソードに目を閉ざし耳をふさぐ方々は、布袋氏が自身の都合の良いように脚色したウケ狙いの美しきストーリーに感動し、布袋氏がやらかした過去のあれこれを水に流して、2人が再び握手する姿を見たいと仰るのかもしれない。
だが、「氷室京介」も「BOOWY」も好きな自分としては、お互いが過去をそれぞれを省みて、それを踏まえて新たな関係を築くこと。そのうえで、自分の音楽活動に向き合う中で双方が本気で望むのであれば、互いの道が再び交わることを願うので、「布袋氏によるメディアとネットを利用した、自己中心的なお気持ち表明」(と、それに触発されて「氷室氏が布袋氏に声を掛けさえすれば再結成が実現するのに」と氷室氏を責める人々)にはどうしても嫌厭の情を抱く。

本当に誤解していただきたくないのだが、私はBOOWYの曲は好きだ。大好きだ。
BOOWYが好きだからこそ、逆に、ファンのBOOWYへの想いと願いをいいように利用して、「布袋寅泰」個人の有利に運ぼうとする布袋氏の言動等に怒りを覚えるわけで。
それでも、(今は「アレ」だとしても)BOOWY時代に布袋氏が作った楽曲は素晴らしいし、あの時代に4人がやってきた音楽を否定するつもりは毛頭ない。また、「BOOWY」は「BOOWY」として純粋に楽しみたいから、私がソロ活動後の布袋氏の言動に抱く怒りなどの負の感情は、普段は自分の心の中で蓋をして封印している。
でも布袋氏のこういった身勝手さを目の当たりにするたびに、彼の過去のあれこれを思いだし、封印が少し緩む。その蓋が少し開く。そんなことが頻発すると、現在の布袋氏の言動によって自分の中のBOOWYが好きな気持ちが少しずつ摩耗していくのを、或いは変質していくのを実感してしまうのだ。BOOWYの映像を観ても、格好いい!と興奮する一方で、阿吽の呼吸で動く2人の姿を観るたびに、今の布袋氏の姿や彼がこれまでにやってきたことがちらついて、やるせない気持ちを抱くようにもなってしまった自分が哀しい。
あの時、あの4人がやってきた音楽に間違いはないはずなのに。
彼らが作りあげた音楽が、こんなにも好きなのに。

今、誰と一緒に音楽をやっているのか

で、布袋氏の「隣でギターを弾きたい」発言とそれにまつわる騒動がライブ前にあって。「みんな布袋さんの登場を期待していた」とか宣っていた人もいたけど。(もっとも、その人が実際にそのライブを観たのか観ていないのか定かではないが)少なくとも私の周りにいる、あの会場に本当に足を運んだとわかっている人たちは、皆さん口を揃えて「あそこにBOOWYのメンバーが入る余地はなかった」「あのステージにBOOWYのメンバーは必要なかった」と仰る。

それはもう観ればわかる。聴けばわかる。
同じメンバーで4か月にもわたる長い旅を続けてきた果ての、50本目のあのステージ。Final Destination――最後に辿り着いた「横浜スタジアム」。
すべては「氷室京介」が伝えたいことを過不足なく伝えるために、メンバーはあのステージに立ち、そのために全力を尽くしていた。

お互い多少の妥協はあったにせよ、概ね自分の好き勝手やっていて、それが偶々同じような方向を向いていた一瞬のきらめきがBOOWYであったのなら、氷室氏のやりたい方向を向いて、氷室氏が何を表現したいかを理解し、そのうえで自分のアイデアや色を出して「氷室京介の理想」への実現に向けて努力するのが氷室バンドで、バンドとソロ活動はどうしたって違う。

BOOWYでは氷室氏の拘りに付き合ってはくれない。
毎回理想の音を追求し、間違っていたと思ったらその都度元に戻し、試行錯誤をくり返す。
氷室氏も「語弊があると嫌だ」と断りを入れつつも、自分のその拘りを、その温度感やテンションをわかってくれるのは「あの頃のBOOWYのメンバーよりは、今のメンバーの方」だと仰っていた。「俺を立てようとして、本当に俺に献身的に頑張ってくれているので、やっぱ特殊な、あの頃とは違うメンバーとの繋がりがあります」と。

先日、ソロ初期の氷室氏の仕事に深く関わっていた森谷氏が「全てのサウンドやパフォーマンスが完璧じゃなければならないヒムロックに布袋がついていけなかったんだろうと思う」とBOOWYの解散理由に対する私見(憶測?)を述べていた。それに対し、強い怒りを露わにしていた布袋氏のファンをお見かけしたのだが、私自身は、その森谷氏のあの言葉がストンと腑に落ちたのだ。
どうやら布袋氏のファンは、その発言を布袋氏の実力不足で氷室氏の要求に応えられないと捉えたようだった。でも私は、その発言を、布袋氏の実力が氷室氏の求めるレベルに達していなかったという風には受け止めなかったので。(実際のところ、森谷氏の意図が奈辺にあるか存じ上げないため、私の解釈が正しいかはわからないけど。)

私が思うに(これまでの布袋氏のインタビュー等々から判断すると)、単なる事実として、布袋氏は氷室氏の拘りについていけない……というか、そもそもついてこうとはしないだろうな、と。
音楽の実力とか才能とか、そういうのはひとまず横に置こう。
実力云々以前の問題として、まずもって音楽制作やライブに対するスタンスが違いすぎるし、根本的な嗜好も指向も違う。さらに、一度挫折して、本当に自分のやりたい音楽を誰憚ることなくやるためにBOOWYを作った氷室氏と、軽い気持ちで氷室氏の誘いを受けてBOOWYに入り、やっていくうちに評価を受けるようになったけれど、思いのほか人気が出てしまってBOOWYを優先せざるを得ず、だけど気が多く、やりたいことが沢山あって、BOOWYに縛られたくなかった布袋氏とでは、BOOWYに懸けるリソースが当然違うわけで。で、氷室氏の求める「完璧」を真剣に一緒に目指そうとしたら、恐らく布袋氏は他に何もやれなくなるだろう。だから、多情な布袋氏としては「ついていけない」となるんじゃないかなあ、なんて思った。(別に、布袋氏がBOOWYをいい加減にやっていたと言いたいわけではない。念のため。)
「完璧を求める氷室氏についていけなかった」こと自体が悪いわけじゃない。反対に、ついていけなかった布袋氏に氷室氏が無理に合わせる必要もない。
だってBOOWYは4人のものだから。BOOWYは、氷室氏が作ったバンドであると同時に、4人で力を合わせて頂点まで駆け上がっていったバンドだから。メンバー誰か一人のワンマンバンドではないのだから。

BOOWYと氷室バンドのどちらがいいとか悪いとかではなくて。
そもそも時代背景も違うし、実績も違う。駆け出しのBOOWYと実績を一つひとつ積み上げて、自分の拘りを実現するための環境を作りあげた「氷室京介」を同一土壌で比べられるわけがない。
ゼロから頂点まで駆け抜けたBOOWYでのメンバーの関係性と、BOOWYという土壌があって、そこから自身の音楽を追究していく中で築いていったサポートメンバーとの関係性を比較して、優劣を競う方がナンセンス。

氷室氏だって、BOOWYのメンバーと氷室バンドのメンバーのどちらが良いとも悪いとも言っていない。ただ「あの頃とは違う」だけ。
けれども、BOOWYだけのファンや布袋氏の信者の中には、こういった氷室氏の発言を聞いて「BOOWYのメンバーを蔑ろにしている!」と怒りを露わにしたり、「所詮サポートはサポートでしかなく、バンドとは違う。バックバンドよりBOOWYのメンバーとの絆の方を大事にしてくれないのは寂しい」と嘆く人も一定数いらっしゃる。
でも、BOOWYというバンドはもう現実には存在しないのだ。
4人が「今度はひとりひとりで有り続ける事にこだわる為に」終わらせた。
そして、あの時最も解散を強く望み、氷室氏に黙って、山下氏のツアーバンドへ松井氏と高橋氏を参加させようと画策するなど、最もメンバーを蔑ろにし、BOOWYの活動にこだわらなかったのが「布袋寅泰」その人ではなかろうか。
だから余計に、布袋氏の「隣でギターを弾きたい」発言に反応して「布袋さんはずっとBOOWYやヒムロックを一番大切に思っているのに!」なんて言って、氷室氏に怒りや恨み言をぶつける人々に対して、「う、うーん?!」と私はなってしまう。

実際、布袋氏は後に、「自分が作った作品が、バンドを通して表現していく中で、やっぱBOOWYというバンドの作品になってしまうという。喜びと裏腹にジレンマもありましたからね。ヒムロックがうたうとなんか俺のスタイルじゃなくなっていくしさ」「ヒムロックが歌ったり、他の奴らが歌うと、俺の音楽の良さと違うところで評価されるといつも思ってた。俺の音楽の、良く言えば発展形、悪く言えば変わり果てたアレだし(笑)イメージはいつも違ってた」等々、氷室氏が歌うことで自分の望む形にならなかった(にもかかわらず世間に評価されてしまった)BOOWYの音楽に対しての不満を度々口にしていた。
かつてのインタビュー等々から判断する限り、少なくともBOOWY後期の音楽は、布袋氏が意図する完成形から外れていたのであろうと考えている。(もっとも近年ではそんな不満を漏らしていた過去はなかったかのように、BOOWYや氷室氏への評価はあれもこれもそれもどれも俺のコンセプト!俺の計算の結果!全部俺のアイデア!的なことを言っているけれども)

BOOWY後期の音楽への不満というのが、布袋氏は「『俺の』音楽なのに!ヒムロックが歌うと俺の思った形にならない!俺が評価されない!」なのに対し、氷室氏は「俺は限りなくバンドの為に犠牲フライを打っているつもりだったのに、メンバーと気持ちが通じ合っていないと単なる凡フライになる」だったのがなかなか興味深い。

ファンに届ける音

解散後、メンバーはそれぞれの道へ進んでいった。それぞれをサポートしてくれる仲間とともに。BOOWYであった時間よりもはるかに長い時間を。
そうであるならば、今、自分と一緒に音楽をやっている仲間達との間に、BOOWYのメンバーとはまた違った絆が出来上がっているのは、氷室氏に限らず、極めて普通のこと。
BOOWYを終わらせてから、新たに信頼関係を築いた人々とともに、「4人でしかできない音楽」ではなく、「自分の音楽」をやろうとしてきた。
なのに、そうやって一歩一歩、歩んできた氷室氏に対して、ずっと没交渉で、且つ、ソロ活動を熱望して解散の口火を切った元メンバーが「最後のステージだというのなら」と、いきなりしゃしゃり出てきて、「氷室京介のステージ」で「最後に一発ヤラせて」とネットで不特定多数に訴えられましても……。
「『氷室京介』のライブに実際に足を運ぶファン」の立場から一言物申させていただくならば、布袋氏は私たちにどんな『氷室京介の音』を届けたいのかさっぱり伝わってこないのですよ。

「自分の頭の中にあることをどう誤解なく伝えるか」
こういった趣旨の発言を氷室氏は折に触れてしていた。
そのために「音」がある。
そのための「音」である。
それをファンに直接届ける場がステージだ。さらには「自分で納得できないことは、何ひとつやってない。」とも仰っていた。

BOOWY後期のコミュニケーション不足がもたらす音への弊害を嘆いていた氷室氏。
お互いのコミュニケーションどころか、いくらかつて同じバンドのメンバーであったとはいえ、『NAKED』の時点で20年近く(布袋氏らの過去の発言からの推定)顔すら合わせてなかった2人なわけで。
そのうえ、相手に対するメッセージをネットやマスメディアを介さないと発せられない、即ち、直接コミュニケーションを取る気すらない、或いは取る手段すらない布袋氏が、氷室氏が表現したい音のために一体何ができるのか。氷室氏を納得させられる「何か」を為せるのか。

「BOOWYはあの時代がそうさせていたわけで。今同じことをやっても格好良くない」
氷室氏は、そんな趣旨の発言を何度かしていた。
そんな氷室氏に直接対峙する気概すらなく。普段氷室氏のライブに足を運ばないBOOWYファンや自身の信者に向けて思わせぶりな発言で煽るだけ。
そんな布袋氏に、「氷室京介」が何をやりたいのか、何を伝えたいのかを理解しようとする気がそもそもあるのか、甚だ疑問である。
布袋氏が「隣でギターを弾きたい」と言ったのは、布袋氏のステージでもなければBOOWYのステージでもない、「氷室京介」のステージなのよ?布袋氏も、その発言に色めき立った人たちも、そこのとこわかってる?
この期に及んで、布袋氏お得意の独り善がりの脳内お花畑ポエムは要らんのよ。

(注意)布袋のギターを否定するものではありません。BOOWYっぽいプレイをやらせたら布袋氏が一番それっぽいと思っていますが、当時の氷室氏がやりたいことが「BOOWYっぽいこと」ではなかっただろうという話なだけ。
大体、あの時の『NAKED』ツアーでは、1曲もBOOWY楽曲をやっていないし、布袋氏のギターが合うような曲もほとんどなかった。そんなライブの中で布袋氏にギターを弾かせるとしたら、最後の最後に無理矢理付け足すしかないだろう。
確かに、同じくBOOWY楽曲が一切セットリストに入っていなかった「TOUR2010-11 BORDERLESS "50x50 ROCK' N' ROLL SUICIDE"」(以下『RRS』と称す)ファイナルのオーラスで、ファンへの感謝の「DREAMIN'」をやったことがあった。しかしながら、あの時の「DREAMIN'」は、氷室氏が「俺の天命はお前らに出逢うこと」とまで言ってくれた「『氷室京介』の音楽を支持し、『氷室京介』のライブに集うファン」への感謝の気持ちを込めたもの。
ファンは、氷室氏がBOOWYに対してひとかたならぬ拘りをお持ちであることを存じ上げている。だからこそ、「お前らのために」BOOWYの楽曲をやってくれること、何よりもその気持ちが嬉しいのだ。
翻って、この『NAKED』ツアーは、『RRS』ツアーの時とは全然状況が違う。
そもそも「BOOWYでいること」を拒否したのが「布袋寅泰」その人だったわけで。こういうことを言うと布袋氏の信者やBOOWY原理主義者がキレて「じゃあオマエは布袋氏が氷室氏の隣でギターを弾くとなったら観に行かないんだな!絶対に行くなよ!」的なことを仰るのですが、何度も申し上げますが「そういう問題ではない」のです。)

「We」と「I」

「We love you!!」

氷室氏はライブの終わりによくこう叫んでいた。BOOWYというバンドの一員であった時代も、ソロになってからも。
「I」ではなく「We」。主語はいつも「俺たち」。
「氷室京介」は、ソロミュージシャンとしてステージに立っている。といえども、文字通り「1人で」ステージに上がるわけではない。いつも後ろには彼の音楽を支えるサポートメンバーがいた。
ライブで観客に届ける「音」は、氷室氏と一緒にステージに立ち、後ろを守るミュージシャンとともに作りあげたもの。
我々観客が受け取めるのは、氷室氏の歌だけではない。歌とともに彼らのプレイも一緒に受け取めている。

(要求は細かいものの)「今」の自分が選んだメンバーを敬愛し、メンバーも氷室氏の信頼にプレイで返す。そうやってステージを作りあげ、「氷室氏が表現したいこと」を観客に伝えようとしてきた。
氷室氏のイメージが100%表現できていたか、我々もそれを誤解なく受け止めきれていたかはまた別の問題として、少なくとも彼の音楽に対する真摯さは伝わってくる。
そんな氷室氏のライブだからこそ、ファンもずっと足を運んできた。

氷室氏も
「だけど俺、”昔のファンは熱くてよかったな“なんて今まで一度も思った事ないぜ」
「鳴かなくても飛ばなくてもカッコいい事をやりたいと。そこのところで俺を支持してくれる人っていったら、それはもう特定の人しかいない訳ですよね、始めっから。それを分かってくれて俺がライヴをやるっていったら集まってくれる連中な訳ですから。普通の関係よりは濃くなるでしょうね」
「これが俺の天命」
「俺はこいつらと知り合うために生まれてきた」
「毎回こうして日本に戻ってくるたびに集まってくれるお前らとか、後ろを支えてくれているメンバーとか、こいつらをみると本当にガーディアンエンジェルに俺は守られているなと思う」
「氷室京介っていうのは多分お前らがつくってくれた存在なんだよ」
と、「氷室京介」のライブに集うファンへ愛情を返した。

そんな彼が、あの時選んだのは、一緒に闘ってきた「今のメンバー」であり、彼らと作りあげるステージだった。
そうやって作りあげたステージを届けようとしたのは、再結成や共演という言葉に踊らされる(普段は「氷室京介」の音楽に興味のない)人々ではなく、(ファン歴の浅い私が言うのも烏滸がましいけれども)「氷室京介」の音楽をずっと愛してきたファンだったのだと思う。

だから、あの横浜スタジアムもあれで良かったと私は考えている。
今、彼が一緒に音楽をやっている「あの頃とはまた違った、特殊な繋がりがあるメンバー」と一緒で。彼らと作りあげたステージが、あの時氷室氏が表現したかったこと、伝えたかったことに一番近いと思うから。あれが、氷室氏の到達したかった「Final Destination」だと思うから。
私は「それ」が観たかった。
骨折からの雷雨中断――「天から投げられたタオル」。そして「命懸けのANGEL」。どうしても納得がいかなくてもう一度再戦の機会が与えられたこと。リベンジマッチとなった「KYOSUKE HIMURO LAST GIGS」も、途中色々あったけれども、やりきって最終日には笑顔で終わった、その結末も含めて。

そうやって色々と想いを馳せていたら、いつの間にやら時間が過ぎゆき、気付いたらとうの昔に曲は終了していた。慌てて円盤を取り替え、『Q.E.D』へと戻る。
そうして、次の曲へ。

※『Q.E.D』の1枚目の感想はこちら↓からご覧ください。


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