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氷室京介の『Q.E.D』~ 所感② DISC I. GiG at Sanctuary -TOKYO DOME Live Chronicle since 1988- ~

『Q.E.D』の感想を書くつもり……でしたが、あっちこっちに脱線しまくって、『Q.E.D』に収録されている各公演に託けた四方山話と化してしまいました。
つい筆が滑って、氷室氏が「卒業宣言」した際の騒動にまで話が及んでしまったという。しかも『Q.E.D』に全く関係のないその話が何故か一番長い……。
さすがに話が飛びすぎて『Q.E.D』に掠ってもいないうえに、読む人を非常に選ぶ内容のため、この時の話は「余話」として記事を別けさせていただき、後日アップさせていただきます。


KING OF ROCK SHOW "FLOWERS for ALGERNON"

東京ドームは、1988年3月18日に開場した日本初の全天候型多目的スタジアムであり、野球場としての用途だけでなく、国内では最大規模のライブ会場として使用されることもある。
そのドームのステージに、氷室氏はこれまでに計14回立った。
「BOOWY」として2回、スティングとのジョイントコンサートで1回、「氷室京介」のライブとして11回。
「ソロアーティスト」として、「11回」は東京ドーム公演最多記録である。また、80年代、90年代、00年代、10年代と4つの年代にわたって公演した唯一のソロアーティストでもある。
彼が“サンクチュアリ”とも評した東京ドームでの公演は、ファンにとっても思い出深いものが多い。

そんな公演のうち、
・KING OF ROCK SHOW "FLOWERS for ALGERNON"(1988年1月)
・NEO FASCIO ENCORE TOUR ARENA ' 90(1990年4月)
・SHAKE THE FAKE TOUR 1994(1994年4月)
・21st Century Boøwys vs HIMURO〜An Attempt to Discover New Truths〜(2004年8月)
・東日本大震災復興支援チャリティライブGIG at TOKYO DOME "We Are Down But Never Give Up!!"(2011年6月)
の5公演から抜粋した映像がこの円盤1枚に収められている。
それがこの35周年アニバーサリー・ボックスの1枚目だった。

そして、その最初の曲がDEAR ALGERNONだった。

「DEAR ALGERNON」

1987年12月24日、BOOWY解散。
渋谷公会堂のステージにて「BOOWYの氷室京介」は、今後はBOOWYとしてではなく、メンバーがそれぞれ一人で活動していくことを宣言した。「これから、一人ひとりが、一人ひとりの為に、今まで4人でしかできなかった音楽をやってきたように……、一人ひとり、これからやっていこうと思います」と。

翌1988年4月4日・5日。最初で最後の同窓会「LAST GIGS」で「BOOWYであった氷室京介」は最後に「今度は、ひとりひとりで、必ずここで会おうぜ!」とファンにこの場所での再会を約し、名実ともにBOOWYは終焉を迎えた。

そうして本格的にソロ活動へ向けて動き出した氷室氏は、同年7月21日にファーストシングル「ANGEL」を発売した。その僅か4日後には、ソロ・ファーストツアー「KING OF ROCK SHOW "DON' T KNOCK THE ROCK"」が始まる。
9月1日にはソロ・ファーストアルバム「FLOWERS for ALGERNON」を発売。このアルバムタイトルは、ダニエル・キイス作のSF小説「アルジャーノンに花束を」からインスパイアされて、というのは有名な話。彼はBOOWY解散の時期にこの本を読んだという。
10月1日からはツアー「KING OF ROCK SHOW "FLOWERS for ALGERNON"」も始まった。
そのツアーの最中に、「氷室京介」はBOOWYを終わらせてから初めての誕生日を迎え、同日、セカンド・シングル「DEAR ALGERNON」が発売された。

「4人でしか探せなかったモノ」がBOOWYだった。
最初の「ANGEL」はともかくとして、この曲は、明らかにBOOWYのあの4人ではできなかった「曲」だろう。そうしてこの曲は、ツアーのラスト、彼とファンとの約束の地「東京ドーム」で行われたこのライブのラスト・ナンバーでもあった。

氷室氏は、このツアーファイナルを東京ドームで迎えたことについて、「BOOWYという下地があって、レコード会社や事務所が金になる素材として、真剣にバックアップしてくれていることを考えると、東京ドームに戻るくらい当たり前という感覚があった」と述懐する一方で、「BOOWYのヴォーカリストだった氷室京介が、ソロ・ヴォーカリストの氷室京介として。これからけじめをつけていけるスタートラインに、やっとBIG EGG 2DAYSで立てた。マイナスからゼロに戻れた」「BIG EGGは自分の中でのこだわりを精算するためのもの」とも話していた。
この円盤の中に収録されているインタビューにおいても、東京ドーム公演を終え、リラックスした表情で「ホッとした」と語る氷室氏の姿が確認できる。

「BOOWYのヴォーカリストだったのならそのくらい当然」とされてしまう決して失敗できない「ソロ・プロジェクト」。
多大なプレッシャーに晒されたそれが成功で始まったことへの証明と、「BOOWYに本当の意味で勝ちたい」と闘い続けることになる「ソロ・ミュージシャン 氷室京介」の門出として、この東京ドームはあった。
そんな公演のそんな曲から「氷室京介の35年に及ぶ『証明の記録』映像」は始まったのだ。

これらの前提条件を踏まえて鑑賞すると、なかなかに感慨深いものがある。(前置きが長いわ!)

ちなみにこちらに収録されている東京ドーム5公演は、完全版ではないものもあるとはいえ、全て映像作品化されている。よって、この1曲目の「DEAR ALGERNON」も、映像自体は、既発作品「KING OF ROCK SHOW 88' s-89' s TURNING PROCESS」(以下『KOR』と称す)に収録されているものと同じ。(ただし既発作品では、「DEAR ALGERNON」は最後に収録されている。)
そのため、目新しいものではない。はずだったが、(当然と言えば当然なのかもしれないが)BD化されたことによって既発DVDに比べて音の情報量が断然増えているのに感動する。

元々、35周年記念映像作品の円盤1枚目の1曲目がこの曲から始まると言うことは、発売決定ニュースの時点で判明していた。そのため、このアニバーサリーBOXが自宅に届き、いざ鑑賞との段になって私がまずやったのが、2009年に発売された既発作品に収録されている同曲を再生すること。

その目的は、DVDとBDではどの程度違うのかを確かめるため。
同じプレーヤー、同じイヤホン、同じ音量で再生してみた結果、映像はDVDよりも勿論綺麗になっている。けれど、元映像が何せ古いものだから、いくらアップコンバートしたとはいえ、そこまで劇的に画質が向上しているようには見えなかった。いや、確かにアップの映像はかなり鮮明になっていた(気がする)。だが、引きの映像はやっぱりそれなりかなぁ、と。ただ、高画質の綺麗な映像を見慣れているはずの現代の自分から見ても大して違和感を感じないというのは、実は相当な技術の為せる技なのかもしれない。
一方で音については、明らかに違う。私の素人耳でも、音の解像度が高くなっていることがわかる。拾える音が増え、細かいニュアンスが伝わってきて、余計に魂が揺さぶられる。

力強く、想いを吐き出すように歌い上げる「28歳の氷室京介」。
荒削りではあるものの、力業で押し切ることができるのは若さ故の特権か。ある種の強引さもまた説得力を生んでいる。
途中、気分が高まったのか、ギターを弾くのをやめて、スタンドに設置されたマイクをつかみ取り、気持ちを叩き付けるように、時には命を削るように歌うその姿。「我武者羅」という形容詞がよく似合う。
歌い終わって最後に漸く見せた笑顔は、「今度はひとりで必ずここで会う」という約束を果たした安堵感からなのか、重責からの解放感なのか、それともやりきった、やりとげたという充足感なのか。その姿を見て、胸が熱くなる。心からの拍手を贈りたい。(注:まだ1曲目です。)

インタビューと「LOVE&GAME」

さて、次は2曲目にクレジットされている「LOVE&GAME」か……と思いきや、画面一杯に映し出されたのは、陽が差し込む大きな窓辺に一人腰掛け、窓の外を見やる氷室氏。からの、モノクロのBOOWYのLAST GIGSで歌う氷室氏の映像。BGMはSTRANGER。からの氷室氏のインタビュー映像。
一部抜粋であるが、KORに収録されていた「1989年4月13日(木)の朝に都内某所で収録された氷室氏のインタビュー」と同じだ。

夏に行われた野外サマーツアー(KING OF ROCK SHOW "DON' T KNOCK THE ROCK")やパワステでの映像を随所に交え、煙草をくゆらせながら穏やかに話す「28歳の氷室京介」。

「BOOWYというバンドは俺の中で大きな存在感を占めていた」
「BOOWYはある種俺の全てだった」
「あんないいバンドはもう出てこないでしょう」
その言葉からは、彼が確かにBOOWYを深く愛していたこと、しかしそれが未練ではないこと、解散を後悔していないことが伝わってくる。

そうして、今度こそ2曲目の「LOVE & GAME」へ。
久方ぶりに『KOR』の「LOVE & GAME」を見ると……若っっ!!。なんか無駄に踊っている 。(無駄って言うなー!)
格好いいのは間違いないのだが、それよりも「微笑ましい」という感情が勝る。一体、私は何目線なのだろう (笑)。

「STRANGER」&「TASTE OF MONEY」

続く3曲目の「STRANGER」、4曲目の「TASTE OF MONEY」もまた、『KOR』から収録されたもの。
この時のライブは、バブル期という世情と東京ドームという広い会場故か、非常に大がかりなセットが組まれていた。
宮殿なのか劇場なのか神殿なのか……廃墟めいた雰囲気を漂わせつつも、荘厳にして厳粛なセットを背後にして歌う「氷室京介」を見て私が感じたのは、圧倒的な「孤独感」。「独り」でその場に立っている、という印象を受ける。ステージ上に“転がし”もないところが、ステージを余計に広く見せ、「独り」感を増しているのだろうか。
また、巨大で重厚なセットが醸し出す重苦しさが、偉大なバンドの一員から一人のソロ・ミュージシャンとなった彼が背負うモノの大きさと重さを象徴しているようにも見えてしまう。
ステージ上にバンドはいる。バンドメンバーも華麗なプレイを披露している。演奏もポップでノりやすい。けれど、氷室氏とバンドメンバーが同じところに立っていない。あぁ、ソロ・ミュージシャンとバックバンドだな。そう感じた。
そんな「独り感」が「TASTE OF MONEY」(と最後の「ANGEL」)では薄れるのは、照明演出とチャーリー・セクストン氏がゲスト参加しているからなのかも。でもやっぱりバンドっぽくはなくて、ソロミュージシャンの“ROCK SHOW”感が強い。

NEO FASCIO ENCORE TOUR ARENA ' 90

5曲目の「NEO FASCIO」から9曲目の「CALLING」までは、「NEO FASCIO ENCORE TOUR ARENA ' 90」(以下『NEO』と称す)のもの。

このツアーは、氷室氏の2ndアルバム「NEO FASCIO」を受けて行われた。
ファシズムをテーマとする、この重厚なコンセプトアルバムは、「氷室京介」でなければここまで売れなかったと感じる一方で、「氷室京介」の作品だからこそ、本来受けるべき評価よりも低く扱われたような気がしてならない。いや、忌避されがちな硬質なコンセプトをああいった形でアルバム及びツアーで昇華させることができたのは、ひとえに氷室氏とそのブレーン達の力によるものだと思っているけれども。

当時の文献を色々読んでいくと、どうも当時の業界人には、「氷室京介」を絶対認めてやるもんかマンとか、「氷室京介」を意思ある一アーティストとしてではなく、単に金の成る木的に扱う人とかが結構いたのではないかと感じることがあるので。
前者はこのアルバムをスルー、或いは言及するにしても言葉少なく過小評価(もし彼らのお気に入りのミュージシャンがこれと同じようなことをやろうものなら大絶賛したと思われる)し、後者はただただ困惑したであろうことが見て取れる。

勿論、当時も、へんに色眼鏡をかけずにきちんと評価している、評価しようとしている方も沢山いらっしゃったので、そこは誤解なきよう。
ファンの方も、このアルバムで戸惑い脱落したという人もいれば、このアルバムがあったからこそ、その後の氷室氏を追っかけていくことができたという人もいるので、「氷室京介」に何を求めるのかは人それぞれなのだろう。ただこのアルバムは、その後の『氷室京介』を形作るための重要な一歩となる作品であることは間違いない。

ライブ映像に話を戻すと、今更ながらではあるが、何だかとっても新鮮に映る。
近年の(といっても2016年までだけど)黒!! 革!! 中心な衣装を見慣れていると、“ザ・ライブ衣装”なお召し物が、逆に目新しい(笑)。バンドメンバーも統一意匠で揃え、悪い意味ではなく、派手派手しく、仰々しい。セットも東京ドームという格に相応しい威容を誇る。それでいて、当時の世界情勢の先行き不透明さを反映しているのか、どこか不穏なものも感じさせる。
ライブの全ての要素が一つのコンセプトに集約されていた。

そういったこともあってか、音楽のライブなのに、ステージの上で何か別のドラマが展開されているような感覚に陥る瞬間がある。どこか現実味がないというか、全く違う別の場所の話のようにも感じるというか。氷室氏が演じる他の誰かを観ていると錯覚する一瞬が訪れるのだ。
『QED』には収録されていないが、この『NEO』のオープニングはたくさんのスモークが焚かれる中、巨大な扉が左右に開き、ステージ奥から光が溢れてくるという、まるで天岩戸伝説を彷彿とされるような演出で始まった。外界へと誘われ、そこを覗いているような感覚になったのは、そういった演出のせいもあるかもしれない。知らんけど。

氷室氏自身については『KOR』ほどの強烈な孤独感は感じない。しかし、やはりまだ「独りで全て背負って立つ」感を感じる。「CALLING」などにはそれが良い方向に作用している気もするが。
はためく赤い旗をバックに歌う氷室京介は文句なしに格好いい。「CALLING」を歌うライブ映像は他にもいくつか残っているが、演出も含めて、『NEO』の「CALLING」は私の中で白眉の存在となっている。

ところで「SUMMER GAME」は、この時もう既に「ガッチュ!! ガッチュ!!」になっていたけれど、この曲を元々の歌詞通りにライブで歌ったことはあるのかしら。後追いの私にはわかりかねます。

SHAKE THE FAKE TOUR 1994

10曲目からは、「SHAKE THE FAKE TOUR 1994」(以下『STF』と称す)の映像。

ビジュアル的には、負けん気の強い不良青年(氷室氏)とヤクザの舎弟(香川氏&西山氏)。(笑)
とてもとても柄が悪い。だがそれがいい。
このライブが醸し出している刹那感は、この不良っぽさが一因であるかも。

氷室氏はこの時、御年34歳也。大人の色気と不良性が相まって見事な伊達男ぶり。その目線はひどく鋭い。ただ単に「華がある」という形容だけではおさまらないのは、その「目」ゆえか。

サポートギターを努めた香川氏が氷室氏のことを「飢えた獣の目を持つ」と評したことがあったが、油断をすると喉仏を喰い千切られそうな感覚に陥る。
この寄らば斬るな見た目で、さらにライブでピリピリしていたのだろうから、さぞかし怖かったろう。
これでは、氷室氏着用のクロムハーツの皮ジャケを脱がせようとして、焦って袖を鋏で切ってしまったスタッフのことを責められない。(苦笑)

アルバム「SHAKE THE FAKE」は、前作でBOOWYのセールスを抜いた氷室氏が、対BOOWYから対自分の音楽へと変わっていった変革期の作品。漸く自分の音楽を追究できる段階へ到達した氷室氏は、自律神経をおかしくするほど懊悩し、煩悶していたという。
ステージ上に圧倒的な存在感で立つその姿は、そんな苦悩・苦闘をファンに感じさせない。

硬く研ぎ澄まされた美しき刃に潜む揺らぎ、そんな危うさは時折覗かせるが、強いて言えばそれくらい。逆にその陰影が氷室氏をたまらなく魅力的に見せてもいる。そんなアンバランスさが余計に人を惹きつけるのかも。
ステージの上に立って居るだけで凄まじく人目を奪う御方。
私はライブへ行くと、メインの人以外に注目することも多いのだけれども、「氷室京介」のライブは別。氷室氏の吸引力が凄まじすぎて、別の何かに目移りする暇がない。
私が実際に生で観ることができたのは後期だけだが、ライブ映像等々を確認する限り、この吸引力は昔から変わらなかったのだろう。ダイソンもびっくり。吸引力の変わらないただ一人の「氷室京介」。

「SHAKE THE FAKE」の頃の話は、別記事で言及しており、繰り返しとなるので、割愛させていただきたい。また、ここに収められている東京ドーム公演にまつわる話はその続編で触れる予定(アップ時期は未定)なので、そちらに譲る。

21st Century Boøwys vs HIMURO〜An Attempt to Discover New Truths〜

お次は『STF』から10年後の「21st Century Boøwys vs HIMURO〜An Attempt to Discover New Truths〜」(以下、『BVH』と称す)。別名半分BOOWY。「今夜は最後まで火遊びするぜ!」な「一生に一度のスペシャルな夜」となったもの。
観客の反応が凄すぎて、ライブが始まった途端、演者側に全く音が聞こえなくなったり(本田氏談)、騒音の苦情がドームに殺到した(から音量を下げても、原因が観客の歓声なものだから全く意味をなさなかった)という、そういう意味でも伝説的ライブ。

色々けちを付ける方もいらっしゃるが、歓声が五月蠅いとドームに苦情が殺到するほどライブは盛り上がった、その観客の反応が全てを物語っているのではないか。

このライブを氷室氏が開催するに至った心境や経緯については非常に興味深いものがあるので、関心がおありの方は、是非このあたりのことを語っている氷室氏のインタビュー(できれば全部)と、それまでのライブ映像(最低限「TOUR 2003 ”HIGHER THAN HEAVEN”」のライブ映像だけでも)を是非ご覧いただきたいと思う。私の拙い文章では到底伝えきれないから。

ちなみに私のBOOWY楽曲のファーストインプレッションは、この『BVH』のライブ映像。
BOOWY至上主義者や布袋氏の熱狂的信者のように「氷室氏がソロでBOOWY楽曲をやること」に対する強烈な忌避感が私にないのは、元々ソロの「氷室京介」が好きだからBOOWYも好きになったということと、私が氷室氏のソロでBOOWY楽曲を学んだということが大きいだろう。氷室ソロによる、誠実でオリジナルへの敬意溢れるBOOWY楽曲は、オリジナルとは別物として大好きだ。

もっとも、氷室氏のサポートメンバーが最も活きるのはBOOWY楽曲よりも氷室氏のソロ楽曲であるとも思っているため、氷室氏のライブでBOOWY楽曲を聴けると嬉しい反面、レアなソロ曲をその分やってもらいたいとの想いが頭をよぎることもあった。BOOWYをやれというファンもいたり、BOOWYをやるなというファンもいたり、本当に我儘なファンばかりで申し訳ない。

GIG at TOKYO DOME "We Are Down But Never Give Up!!"

最後を飾るのは、「東日本大震災復興支援チャリティライブGIG at TOKYO DOME "We Are Down But Never Give Up!!"」(以下、『GAT』と称す)。
タイトル通り、東日本大震災復興支援のために開催されたチャリティライブ。本来であれば氷室氏の50歳を祝うアニバーサリーライブとして開催予定だった東京ドームでのライブを、震災を受けて急遽全曲BOOWYのチャリティライブとして振り替えたもの。

このライブ開催にあたっては本当に色々ありました……。
事実誤認や思い込みで氷室氏を叩いている人々(何故か自信満々且つ断定系で)が多すぎて、この辺りの関係者の発言や時系列をまとめたものを何度か書こうと試みたことが実はありました。
書いてはやめを何度も繰り返し、折角途中まで書いたのだからと、震災から10年を一区切りとして、2021年3月に、今度こそ書き上げようと再チャレンジしたものの、やはり途中で挫折。
理由は単純明快。
書いている途中で布袋氏の言動(と、それに煽られて、ろくな事実確認もせずに思い込みと思いつきで氷室氏を誹謗中傷する方々)にムカついてきて、書くことがストレスになってしまうから。(苦笑)

布袋氏に対しては、BOOWY時代に彼が作った楽曲については勿論リスペクトしているけれども、それ以外の部分――特にその言動や人間性については、普段は呆れや諦めが先に立ち、彼が何かをやらかす度に一々怒りの声をあげても仕方がないとなることが多い。(決して怒っていないわけではない。)
だが、こちらを書くために状況を整理していくと、一体どの口が言うかな、という出来事を山ほど思い出してきてしまいましてね。一つだけならまだ飲み込めても、それが複数あっては堪忍袋の緒も切れるというもの。
10年以上も経つのに、思い出したら未だに苛ついてしまうという。その間、「隣でギターを弾きたい」発言や「さらば青春の光」に関する二枚舌等々、色々あったから余計に。
(まぁ、直接の被害者は氷室氏だし、当の氷室氏はほぼ黙して語らずだけれども。ただ正当な批判ならまだしも、布袋氏の自己保身で吐いた言葉や思わせぶりな言葉、わざと勘違いさせるような話し方によって生じた「誤解」で氷室氏が見当違いの恨まれ方をされているのは、ファンとしてどうにも我慢がならないので。勿論、氷室氏のことを全て肯定するものではないが。実際、「それはちょっとどうだろう」とか「それはまぁ、批判されるよね」と感じるようなこともあったから、きちんとした冷静な批判はむしろあるべき。というかそれが当然であり、健全でもある。そのうえで、是非を判断したい。)

この時の話は8割方は書き上げているので、いつの日か完成する日が来たら、あらためてnoteに掲載します。
というわけで、こちらもここでは触れない。

この公演から収録されたのは「”16”」「PLASTIC BOMB」「ON MY BEAT」の3曲。もんのすごく盛り上がった曲達。
公演初日、「”16”」を氷室氏が歌い出した時の会場のどよめきは忘れられない。「地鳴りのような」という形容は、きっとこういうときに使うのだろう。キャーじゃない。ギャーでもない。「ぅぉおおお!!!」という表現が一番近かったろうか。
一瞬の思考停止。からの、その曲が「”16”」だと観客が認識した瞬間の怒濤の雄叫び。私が座っていた限りなく天井に近い席に、観客が放った重低音の叫びが津波のように下からせり上がってきたこと、さらにその歓声が天井に跳ね返って後ろからも降り注いできたことが強烈な記憶として脳内に焼き付いている。
惜しむらくは、映像化されているのが2日目だということだろうか。初日はあんなもんじゃなかった。本当に、凄まじかった。

「PLASTIC BOMB」は最初からフルスロットル。盛り上がってみんな壊れてた。会場が揺れた。

「ON MY BEAT」は、歌う前の氷室氏の「心まで潰されちゃたまんねぇぞ!」という叫びが、今でも脳内にリフレインする。
この曲はとても愛おしい。

なお、この全曲BOOWY楽曲からなるチャリティライブの収益は、義援金として被災地へ全額寄付されている。
同チャリティライブを含め、氷室氏が東日本大震災復興支援のために寄付した義援金は、公表されているだけでこれだけある。(あくまでも私が覚えている限りなので、抜けがあったらご容赦願いたい。ご指摘いただければ追加いたします。)

①チャリティライブの収益金(コンサートグッズの販売利益も含む) 669,220,940円
②公式サイトにおける募金活動及びチャリティライブのグッズ通信販売収益金 51,721,941円
③チャリティライブDVDの販売収益金 159,642,481 円
④SHIZU革×HIMUROコラボ・ブレスレット収益金 13,498,000円
⑤Charity Live in SENDAI収益金 6,986,017円
合計 901,069,379円

金額は公表されていないが、同チャリティライブのDVD販売等により発生する氷室氏本人の著作権料も寄付されていた。
私が知っているのは、以下の2つ。
①同チャリティライブのDVD作品販売により発生する氷室氏本人の著作権料
②「IF YOU WANT」販売により発生する氷室氏本人の著作権料
※著作権料については、著作権管理団体JASRACが行っている【東日本大震災復興支援基金「こころ音」基金】に拠出されている。

氷室氏による義援金は、主に岩手、宮城、福島の被災地三県に直接寄付された。その使途は、震災遺児孤児の為の各県における基金での活用。
また、義援金の一部は、「特定非営利活動法人ジャパンハート」での「被災地における子供の心のケア」の活動資金に充てられた。

なお、当時、同じくジャパンハートに寄付をされて、同団体からの御礼のメール等をブログで公表されていた方(一般人)がいらっしゃった。
その方によると、街の復興を支えるために同団体が開設した石巻市のクリニックに、寄付された方々のお名前が1年間掲示されるとのことだった。そして御礼メールとともに送られてきたその掲示板の写真の中には、「氷室京介」の名前のほか、氷室氏の所属事務所及び関連会社計4社の名前が一緒に映り込んでいたそう。(当時、その写真もブログにアップされていた。)

同チャリティライブに密着していたNEWS ZEROのディレクターが「氷室さんはチャリティライブ以外にも色々寄付されている」と仰っていたことがあったが、多分公表していないだけで、氷室氏は他にも色々と復興支援をされていらっしゃったのではないかと思う。
チャリティと銘打ったものは、金額を1円単位に至るまで公表した。しかしそれ以外は、黙って御自分にできることを、できるだけやられたのだろう。きっと。

「ANGEL」

ラストナンバーは「ANGEL」だった。
ソロになった氷室氏が初めて東京ドームに還ってきた時の、本編最後に演奏された曲。
言わずとしれた「氷室京介」のソロデビュー曲だ。

この曲はこれまで何百回となく演奏されてきた。
殆ど全てのツアーで通常のセットリストに入り、たまに入らないことがあっても、ツアー中のカウントダウンライブやツアーファイナルなど、「特別な時」にはサプライズ的に演奏されたりもする。

氷室氏自身も曲紹介の時に「○○年間一番大事にしてきた曲」とよく紹介する「特別な曲」。
過去には、勢いあまって「15年間ずっと俺のデビュー曲だった曲を~」と紹介してしまい、「いや、デビュー曲は何年経とうがデビュー曲に変わりはないでしょ」と会場のみんなを困惑させたこと(15th Anniversary Special LIVE "Case of HIMURO")もあったり。(笑)
この時も「俺が一番大事にしてるやつ、一発ぶちかましたいと思います」と紹介して、曲が始まった。

ノりやすく、演れば大盛り上がり必至の王道の「8ビートのロックンロール」で、且つ、氷室氏が「一番大事」と連呼するものだから、ファンもこの曲を非常に大切にしている。
そんな曲がDISC Ⅰの最後の曲だった。

やっぱり、この曲で〆ないと終われない。最早、好きとか嫌いとかを超越した存在。
「KYOSUKE HIMURO LST GIGS」の時も、BOOWYのラスギグの「NO.NEW YORK」のように、最後にもう一度この曲を演っていただいても良かったんですよ……?(小声)
ただ、関係者の証言によると、あのアンコール3は当初から予定されていたものではなかったそうだし(実際、DAITA氏がアップしていた当日のセットリストにも入っていなかった)、「破れた翼でもう一度翔ぶのさ」「こわれた心でもう一度笑ってよ」という、あの時のシチュエーションに相応しい歌詞の曲が残っていたいたから、「B.BLUE」で〆たことは理解できる。……できるけれども、やっぱりもう1回「ANGEL」を聴きたかったー!!
いや、あの時「B.BLUE」の歌詞で救われたので、この曲は演ってよかった。聴けてよかった。だけど、ファンにとって特別な存在である「ANGEL」を最後に聴きたかったんですよ……。この曲こそ「一度と言わず、二度三度」なわけで。
まぁ、欲を言えばきりがないので、この辺りでやめておこう。

『KOR』の時のお召し物は、日本レコード大賞授賞式でこの曲を披露した際に着用していたものと同じ。この真っ赤なジャケットは着る人をとてもとても選ぶと思われるが、大層お似合いで。レコード大賞の時は髪を下ろし、落ち着いた感じだったが、この時はソフトに髪を立てていて、やんちゃな青年っぽい。
氷室氏を見ているといつも思うのだが、この御方、髪型をちょっといじったり、服をちょっと替えたりするだけで、印象が随分変わる。いくつもの「貌」を持つ男。
歌も「MORAL」から「IF YOU WANT」まで歌いこなして、振り幅が広い。
偉そうに言って大変申し訳ないが、「素材」として最高の存在だと思う。
氷室氏に大なり小なり関わった方々が「氷室は俺が育てた」的なことを言いがちなのも、なんかわかる気がする。数多くの引き出しを持っている人だから、料理のしがいがあるだろうし、ウケたら、「俺」が「あの『氷室京介』の新たな一面を引き出した!」と自慢したくもなるだろう。
偶に自分自慢が行き過ぎて、「俺がいなければ〜」的なことを言い出す主客転倒した人が現われるのもご愛敬(笑)。

歌の方は、勢いがあってよき。
「歌」も「演奏」も、それを受け止める「観客」も若くないと、このステージは成り立たない。歳を取ったらできないステージ。その瞬間をパッケージされている。
ストロボライトが激しく明滅する演出も、シンプルだけど、この「8ビートのロックンロール」によく似合う。
うん。いつの時代も格好いい。普遍的な格好良さ。

そして、爆発とともに曲が終わり、彼はステージを降りていった。
ゲスト参加したチャーリー・セクストン氏と抱き合ったところで、画面が暗転。映像が終わった。

「ANGEL」に見る「氷室京介」活動の軌跡

観終わって暫くは余韻に浸る。
その時、ふと、この「ANGEL」の軌跡も辿ってみたいと思ってしまった。
このDISK Ⅰが東京ドーム公演という「会場」を固定して辿った氷室氏の音楽活動の軌跡の映像集だというのなら、「曲」を固定して彼の軌跡を追っていったらどう感じるのか。
『KOR』から始まり『KYOSUKE HIMURO LAST GIGS』まで、「ANGEL」は常に彼とともにあった。「ANGEL」の軌跡を辿れば、『Q.E.D』とはまた違ったものが見えてくるのではないか。

うっかりそんなことを思いついてしまい、やりましたよ!「ANGEL」ライブ映像連続再生耐久レースを!!
観終わるまで3時間くらいかかったけど!!(一々円盤を入れ替えたりしないといけないので、実際の再生時間以上に時間がかかる。)

再生したのは、円盤化されている「ANGEL」の映像。
それを古い順に観ていった。
具体的には、

  • KING OF ROCK SHOW of 88'S-89'S TURNING PROCESS

  • NEO FASCIO TURNING POINT

  • Birth of Lovers

  • OVER SOUL MATRIX

  • L'EGOISTE

  • LIVE AT THE TOKYO DOME SHAKE THE FAKE TOUR

  • The One Night Stands 〜TOUR "COLLECTIVE SOULS" 1998〜

  • BEAT HAZE ODYSSEY-2000.11.07 YOKOHAMA ARENA-

  • CASE OF HIMURO 15th Anniversary Special LIVE

  • KYOSUKE HIMURO TOUR2003 "HIGHER THAN HEAVEN"AT YOYOGI NATIONAL STADIUM

  • 21st Century Boøwys vs HIMURO〜An Attempt to Discover New Truths〜

  • SOUL STANDING BY〜(Zepp Tokyo公演)

  • SOUL STANDING BY〜(国立代々木競技場 第一体育館公演)

  • KYOSUKE HIMURO COUNTDOWN LIVE CROSSOVER 05-06 1st STAGE

  • KYOSUKE HIMURO COUNTDOWN LIVE CROSSOVER 05-06 2nd STAGE

  • KYOSUKE HIMURO TOUR 2007"IN THE MOOD"

  • 20th Anniversary TOUR 2008 JUST MOVIN' ON -MORAL〜PRESENT- Special Live at the BUDOKAN

  • 20th ANNIVERSARY TOUR 2008 JUST MOVIN' ON -MORAL〜PRESENT-

  • KYOSUKE HIMURO TOUR2010-11 BORDERLESS 50×50 ROCK'N'ROLL SUICIDE at BUDOKAN

  • SPECIAL GIGS THE BORDERLESS FROM BOØWY TO HIMURO(2011.12.20 NATIONAL YOYOGI 1st GYMNASIUM)

  • SPECIAL GIGS THE BORDERLESS FROM BOØWY TO HIMURO(2011.12.31 NIPPON BUDOKAN)

  • COUNTDOWN LIVE CROSSOVER 12-13

  • KYOSUKE HIMURO 25th Anniversary TOUR GREATEST ANTHOLOGY -NAKED-FINAL DESTINATION DAY-01

  • KYOSUKE HIMURO 25th Anniversary TOUR GREATEST ANTHOLOGY -NAKED-FINAL DESTINATION DAY-02

  • KYOSUKE HIMURO LAST GIGS -2016.5.21 TOKYO DOME DAY-

  • KYOSUKE HIMURO THE COMPLETE FILM OF LAST GIGS

の全26公演。ついでに、円盤化はされていないけど、2024年2月にPJOで限定公開されていた「20th ANNIVERSARY TOUR 2008 JUST MOVIN' ON -MORAL〜PRESENT-」の横浜アリーナ公演完全版の「ANGEL]も後で観た。

歌詞は途中で「ANGEL2003」に変わり、そこからさらに折衷バージョンに変わったりしているので、厳密に言えば全く同じではないが、そこはご容赦を。

で、やろうと決めたはいいが、結構長丁場になることはやる前からわかっていた。それでも、どうせ途中で飽きるだろうから飽きたらその時点でやめればいいやと軽い気持ちで始めたのだが……飽きなかったよ!約3時間ずーっとひたすら「ANGEL」だけなのに!!おかげで翌日寝不足になったよ!
「ANGEL」……恐ろしい子!

氷室氏は、曲を「ライブで育てる」的なことを仰っていたが、『KOR』で生まれたばかりだった「ANGEL」は、みんなに愛され、慈しまれ、立派な大人へと成長していた。
円盤の交換はちょっと、いや、かなり面倒臭かったけど、やってよかった。成長記録を記したアルバムを見たかのような気持ちになった。
もういっそのこと、1枚丸ごと「ANGEL」の円盤を公式は売ってもいいのではないか。(さすがに需要がない。)(私は喜んで買うけど。)

そうして、1988年から2016年までの「ANGEL」を歌う氷室氏を観て思った。
この人、無茶苦茶歌が上手くなってる……!!(上から目線でスミマセン)
元々歌の上手な方だから、単体で観ると気付きにくいけど、年代順に並べてみると一目瞭然。

歌も変わっていったけど、演奏も変わっていったし、MIXも変わった。ついでに言うと、偶に映り込む観客のノリ方も変わっていった。(笑)
歴年の「ANGEL」の中から自分好みの1曲を見つけ出すのも楽しいかも。

あまりにも楽しかったので、他の曲もいつかやってみたい。
第一候補は、「WILD AT NIGHT」かな。この曲はリリース以降、BOOWY楽曲縛りだった東日本大震災復興支援チャリティライブ以外のライブ皆勤賞(多分)な曲。
次点は、「SUMMER GAME」。こちらもライブでの演奏機会が多かった曲なので、変化の歴史がきっと楽しめる。

と言っても、「ANGEL」ほどではないとはいえ、こちらの2曲も相当時間がかかるのは確実。
その前に『Q.E.D』を見倒さなければ、ね。

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