見出し画像

氷室京介の『Q.E.D』~ 所感① 発売前 ~

2023年10月7日。
氷室京介氏の63回目の誕生日である。
その前日の10月6日、ソロデビュー35周年を記念した映像作品『Quod Erat Demonstrandum』が同年12月20日に発売されることが発表された。

よ、読めん……。
舌を噛みそうなこのタイトルは、『クォド・エラト・デーモンストランドム』と発音するそうで。なんでも「証明されるべきもの」「証明完成」といった意味のラテン語だとのこと。
ニュースサイトには、「氷室京介の35年の軌跡である『証明の記録』と言える映像BOX」と紹介されていた。つまり、氷室京介のソロ活動35周年を総括するような作品であることを示す。

ソロデビュー35周年を記念した映像作品が発売されることは、発表の数ヶ月前からファンの中では周知の事実であった。何故ならデビュー日である7月21日のフィルムギグ『KYOSUKE HIMURO 35th Anniversary Film GiG “EMBRACE THE SOUL” 』の最後に「特報!」として告知があったから。

映像も終わって後は客電が付くのみ、となった時に、スクリーンに大きくドーンと輝く「特報」の文字。
会場のみんなが「ま、まさか新譜の情報が……?!」と息を呑んだ瞬間、次にスクリーンに映し出された文字が「ソロデビュー35周年記念映像作品発売決定!詳しくは次の会報誌で!」だった時の、あの何とも言えない会場の雰囲気。(心情的に)ズコーッとなりましたわ。
いや、アニバーサリー映像作品が発売されるのは嬉しいんですよ。本当に!!
でも私が一番待ち望んでいるのは新譜なわけで。そんな中でデビュー日のイベントにおいてわざわざ「特報」とくれば、ほんのちょっとは期待してしまうじゃないですかぁ……。
思わずお隣の見ず知らずのファンと「今回も新譜情報も近況報告もなかったですねー。」「まぁ、わかってましたけどねー。やっぱりなかったですねー。」と苦笑しつつ言葉を交わしたのも良い思い出。
「これ、特報じゃないよねぇ……」との呟きと乾いた笑いは漏れても怒る人はいらっしゃらなかったあたり、氷室ファンの皆様は本当によ~く訓練されてらっしゃる。(苦笑)

そんなわけで、これまでの傾向からして、恐らく氷室氏の誕生日頃に35周年記念映像作品発売が告知され、クリスマス頃に発売されるだろう、といった予想はファンの間で共有されていた。ので、リリース決定の報自体には今更驚きはしなかった。驚いたのは、5枚の円盤からなる、その内容。「DISC-III」に、23年の長きにわたり、これまで商品化されていなかった「TOUR2000 BEAT HAZE ODYSSEY」(以下『BHO』と称す)の横浜アリーナ公演が完全収録されるという。

正直、意外だった。
BHOツアーは、長い間ファンが商品化を熱望していた映像。ではあるけれども、きっと発売されることはないだろうな、と半分諦めかけていたから。どうしてかというと、商品化を頑なに拒否していたのが氷室京介御大御本人であらせられたから。

1993年に開催された「TOUR1993 L'EGOISTE」の映像も、BHOと同様に、実は長らく氷室氏が商品化を許可していなかった。だが、ソロデビュー20周年に向けて商品化する企画が持ち上がった際に、氷室氏に荒編集の素材を確認してもらったところ、一転「いいじゃないか。どうして当時嫌だったんだろう?」となり、2008年に発売された、という経緯がある。

「 L'EGOISTE」は有名なやり直し公演を映像化したもの。予定曲数は全て終えていたにもかかわらず、体調不良で納得のいく出来ではなかったとして、その時の観客を無料招待して開催された。そんな曰くのあるこのライブは、氷室氏のプロ意識の高さを賞賛され、美談のように語られることが多い。しかしながら、氷室氏自身は「プロとしてはあってはならない、忘れてはならない、自分を戒めなければならないひとつのエピソード」「エンタテイメント・ビジネスの風上にも置けない、自己満足というか、若気の至りというか、非常に恥ずかしい思い出」と、本人的には黒歴史であることを表明している。そういった事情もあってか、ツアー直後は「とにかく嫌」だとなったのかもしれない。だが、時を経て冷静に映像を見つめ直してみれば、音も映像も決して悪くはなく、映像作品として残す基準はクリアしていると判断して、リリースされたようだ。

他方、BHOは、同じように20周年に際して商品化企画が持ち上がり、氷室氏が確認したものの「見たらやっぱり気に入らなかったですね(笑)」と再度没になった経緯がある。
「beat haze odysseyは、ビートがね、beat haze odysseyなのに(笑)」と仰って。

つまりビートがダメだと。
まぁ、氷室氏はノリとかリズムとかタイミングに異様に拘る方ではいらっしゃるのでね。
このライブが行われたのが、制作にコンピューターを取り入れて自分の音楽を細かく分析し、いろんなバリエーションを実験しはじめた時期というのも影響しているのかもしれない。
当然、ライブでも、自分の頭の中の完成形に近づけるよう拘って「こういう風にやってくれ」とサポートメンバーに指示を出していただろうが……何せメンバーの中にスティーヴ・スティーヴン氏とホッピー神山氏がいる。氷室氏の言うことを聞かずに好き勝手に暴れる二大巨頭(笑)。
ホッピー氏は、同ツアーのリハの後に飲みながら、「ちゃんと、言われた通りにきちんとやりましょうよ」と他のサポメン方からありがたい訓示もいただいたそうで(苦笑)。ちなみに「女装はやめてくれ」と最初に氷室氏から念を押された模様。

氷室氏の方も「すごい楽しかったですね。めちゃくちゃプログレッシヴですよ。」と言いつつも、「何せ、ホッピー神山の3m前にスティーヴ・スティーヴンスがいるっていうね(笑)。その地獄のようなシチュエーションの中で1本ツアーをやったワケですから。これはもう人生経験としては、非常にありがたい経験をさせてもらったなと。楽しい思い出です。」とこのツアーを振りかえっていた。
「地獄のような」って……。うん。このお二方、相当好き勝手やったんだろうなぁ。ただ、やる方はすごく大変だったろうけど、その分スリリングで熱いステージになったのではないか、と観ている側は、思う。

なので、ファンサイドが「このツアーを円盤化してくれ」と熱望する気持ちは、同じファンとしてよーくわかる。また、氷室氏のマネージャー氏がこのツアーに対する強い思い入れをSNSで熱く熱く語っていた気持ちも、スタッフが一新されたツアー、且つマネージャー氏が初めて氷室氏に深く関わったお仕事だそうなので思い入れも一入だろうし、まぁわかる。けれども、氷室氏にしてみると、氷室氏が目指していた音の完成形というか着地点と異なっていたので、これまで円盤化を許してこなかったのだろうと考えていた。

大昔に、氷室氏のスタッフが雑誌で「『アーティスト本人がいいと言うライブ』と『ファンがいいと感じるライブ』と『スタッフがいいと思うライブ』はそれぞれ違う。その3つが全て揃うライブはそうない」みたいなことを仰っていた記憶がある。どこにフォーカスするかは人それぞれ。ファンにとっては「音はちょっと粗いけど、それも生の醍醐味。熱くて勢いのあるステージでいいじゃないか!」と感じていても、演者からすると「こうじゃない」「プロとしてこれではいけない」と反省点が多かったのだろう。ファンとスタッフはいいと思うけど本人はいいと思っていないライブだったのだろう。きっと。
氷室氏は非常にバンド感を大事にするミュージシャンでありながら、ライブであっても何ミリセックというレベルで音に拘るという、ある意味アンビバレントな性質の持ち主でもあるから。
「その場で楽しければいい」「盛り上がってサイコー」……それも重要な要素の一つだとわかってはいても、決してそれだけではいけないと考えるミュージシャン。音を突き詰め、その上でバンドメンバーが放つエネルギーを、彼らと渾然一体となってグルーヴを作りあげていくことを愛す御方。歴代のサポメンが口を揃えて「氷室さんは非常にバンド・サウンドを愛している」と言うくらい。
もしかしたらツアーファイナルだったら違う感想になった可能性はあるが、映像が残されているのは、色々試行錯誤している最中のツアー序盤の公演だったので。
実際、氷室氏も「最初はね、正直言ってどうなることかと思ったよ」「横浜アリーナとかはあんまりよくなかったけど、武道館はひとつのバンドっぽかったと思う」とBHOのインタビューで仰っていたし。

だから、これまでにもイベント等での一部公開はあったものの、それはスタッフからの強い働きかけもあったろうし、また、基本的にその場限りで後世には残らないのもので、活動休止が長くなっているにもかかわらず集まってくれている「連中」がそれで楽しんでくれるなら、と許したんじゃないかなぁ……なんて思っていた。

それが今回、(単品としてではないものの)リリースされた。
だからといって氷室氏の意向を完全に無視して勝手にスタッフやレコード会社が出したとも思ってはいない。それならもっと早くにリリースされていただろうから。ぶっちゃけ、売り上げや話題性重視ならもっと前の方が効果的だったと思うので。
他方、御大が20周年の時に(本人的には)「やっぱり気に入らない」と感じたにもかかわらず、35周年に際して改めて映像を確認し、「 L'EGOISTE」の時のように一転「いいじゃん!」となったというのも、なんか釈然としない。

ならば何故今回リリースが許されたか。
結局のところ、このアニバーサリーボックスのタイトル『Quod Erat Demonstrandum』にその答えが集約されているのではないか、というのが私の辿り着いた結論。(あくまでも私の解釈です。)
「ミュージシャン氷室京介の35年にわたる『活動の証明』」に必要だっただから。
「25th Anniversary TOUR GREATEST ANTHOLOGY -NAKED- FINAL DESTINATION DAY-02」のリリースを(ファンクラブ限定とは言え)許したのと、或いは「KYOSUKE HIMURO LAST GIGS」全公演のリハーサルにカメラを入れることを許したのと似た理由ではないか、と。
多分、BHO単品だったとしたら、許されはしなかったんじゃないかなぁ。あくまでも氷室京介の『活動の証明』となるクロニクルな映像作品」としてだったから。
BHO収録の報を耳にした時に、そんな風に考えた。
で、発売後にこれらの5枚の円盤を観て、この考えはそう間違ってはいないのではないか、と思った。

身も蓋もないことを言えば、
35周年アニバーサリーなのに、目玉となるめぼしいものがないから。
コロナ禍により還暦アルバムの制作が中断し、リリースまでまだ時間を要するから。
年齢を重ねて氷室氏も多少は丸くなったから。
ずっとリリースを願い続けてきたファンやスタッフに根負けして。
そんな理由も多少はあるとは思っているけれど。(笑)
でも、それだけではない。それが大きな理由ではないと思う。
氷室京介の35年間を証明するには、これまでリリースされてきた作品群に加えて、この5枚の円盤(個人的には4枚目は微妙だけど)も必要だったから。

そんなわけで、次回は『Q.E.D』 を観た私の感想(+観て思い出した諸々)などを書いていきたい。
需要がないのは百も承知だが、ここで自分の気持ちの整理をつけないと他に何も手につかない、というか他のネタに取りかかる気力が湧いてこないので。(笑)

『Q.E.D』で気付かされたのだが、どうやら私は自分が思っている以上にミュージシャン「氷室京介」が好きなようだ。
『Q.E.D』をきっかけにして、今、あらためて氷室氏の過去作品を見返したり、聴き直したりしている。温故知新というと大袈裟だけど、未だに新たな発見があるし、『今』だから感じられることがある。
散々観た(聴いた)作品たちなのに、超・楽しい。(だからnoteを書く時間(というより出典を調べる時間なんですよね。記憶の中にあるのに、どこに書いてあるか思い出せなくて探し当てるのに時間がかかる)が益々減っていく、とも言う。)

やっぱり過去の全映像作品をBD化してほしいなぁ。できれば完全盤で。
でも初期の作品はユイが権利を押さえているから難しいのだろうか。ワーナーではダメなのかなぁ。
公式での受注生産でもいいから、どうにかなりませんかね。ホント。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?