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頑張らなくていいは、怠け者ではない。頑張らないから解消できること❗

製造工場で21年勤務している、だっちょです。

突然ですが、頑張れば頑張るほど、真逆にことが運ぶときってありませんか?

たとえば

頑張って仕事をしているつもりが、失敗の連続。

自分をアピールすればするほど、人とのコミュニケーションが上手くいかず、悩む。

同僚が悩んでいて、話を聞こうとしたら、ほっといてくれって言われ、嫌われるのを恐れて気を遣いすぎて疲れる。

上司から指摘された内容を、否定されたと勘違いをし、意見を述べたが、叱られ落ち込んだ。

それでもガマンして信頼を取り戻そうと、努力をしたが空回りして報われない。

そして周囲から、
「そんなに頑張りすぎなくてもいいんじゃない?」と言われれば言われるほど、自分を責めてしまい身も心もボロボロ。

こんな毎日が続いていませんか?

このままだと、ヤバいどうしよう。

何か解決しなくてはと、友人に相談しても再び、頑張りすぎなんじゃないと言われる。

ますます、ネガティブ思考で負のスパイラルへ。

けど、大丈夫です。

そんな頑張っているあなたのことを、どんなときでも見守ってる人がいます。

それは、もう一人の自分です。

たとえば、あなたが長距離マラソンの大会に出場することになりました。目標は完走するぞと、勢いよくスタート。順調に中間地点まで走った頃、ハアハア呼吸が荒れ、疲れてくると...

もういいんじゃない?

頑張ったよ。

ゴールできなくてもここまで、立派に走ったよ。

だから休みなよ。

誰かに言われたのではなく、こんなささやきが聞こえてきませんか?

もちろん頑張って、最後までゴールする人もいると思います。でも大抵の人は疲れてくるときに、頑張らず休みなよって、ささやきがあると思います。

このささやきが、もう一人の自分です。

でも頑張らず休んだとたん、そのささやきはいなくなる。

いえいえ、サボりたいだけだけじゃん、疲れてあきらめただけでしょ、言い訳じゃん。そういう思いもあれば、逆の思いとしては、頑張りすぎると疲れすぎちゃうよと、早目に注意をしてくれる心配性さんなのかもしれません。

頑張らない=あきらめ人間ではない

頑張っているからこそ、頑張らない勇気を持つことも必要です。

私も仕事で正直、燃え尽きネガティブ思考になりかけたことがあります。なりかけ寸前でもう一人の自分に気づき、頑張らない勇気を手に入れ、持ちこたえました。

それでは、私がどんなことをやってきたかをお伝えします。絶対ではないので、参考までに聞いて下さい。

ガマンすれば何とかなると信じていた

私は、仕事は頑張らなくては、いけないもの。仕事をさせてもらい、お金という対価を頂いているから。

上司の指示は、文句を言わずやらなくては、いけないもの。

とは、言っても仕事は一人ではできなし、周りの人と協力してやるべき。

でも、いい人もいれば、その逆もしかり。言い争うと面倒なことになるから、悪い状況になったら、すみませんと謝り、あとはガマンするだけ。

これが社会人として当たり前。

これだけを貫いても、もちろん長くは続きません。頭では分かっていても、人間は矛盾しています。ガマンの毎日だから、体が拒否反応を起こします。

それは、尋常じゃない疲れです。それでも働かないと生活への不安が...

体は拒否反応というメッセージを出しているのに、不安だという心情の方が勝ってしまい、無理をして、ガマンして、それでも頑張ってやれば、この疲れはきっとなくなると信じていました。

偏った信念をもっているから、もう一人の自分なんかには、気づかないし、休もうよ、なんて心のささやきなんか、聞こえてくるわけがありません。

趣味があったおかげで助けられた

私の趣味は、サッカーです。

なんだよ、頑張らない勇気って結局、運動かよ!って感じですよね。

すみません。私は、言い遅れましたがアラフォオヤジです。若いうちは自分もサッカーをやっていましたが、今はプレーをしているわけでなく、小学生に休みの日は、サッカーを教えています。

小学生って無邪気で正直者。指導者がイライラして「しっかりやれ!」って言うと、大人の感情にはすごい敏感です。言葉でなかなか言えないときは、めいいっぱい態度で主張します。

このことを仕事に置き換えたら、速攻で非難されます。

「なんだ、その態度は!文句があるなら何か言ってみろ」と叱られると思います。

指導者を続けてると、このようなことは、日常茶飯事です。でもなぜだか、イライラしない。それは小学生相手にムキになっても、恥ずかしいじゃん。

と思うかもしれませんが、これが結構、小学生指導者、アルアルなんですがムキになって、ずっ~と怒っている指導者もいます。

話がそれてしまいましたが、趣味があったおかげで助かったのは、子どもから言われたことです。

サッカーの試合中、大人としては応援で当たり前のように「頑張れ」って応援すると思います。

ひとりの子が試合が終わって、私のところに来て

「コーチ、ボク頑張れって言われれば言われるほど、頑張れないんだよね」

「どうして?」と聞くと、

「だって言われなくても頑張ってるもん!」

「そうっかあ」

「あと頑張りすぎると、疲れるときあるし」

「じゃあ、疲れたときはどうしてるの?」って質問したら、

「テレビゲームでしょ。友達と遊ぶことでしょ。」と次から次へと言ってくれます。

この会話が終わったとたんに、私のなかのもう一人の自分が、仕事で頑張りすぎなんじゃない。たまには休みなよって、ささやきが聞こえてきました。

自分のなかの心の葛藤を解消する

よく心のなかに天使と悪魔がいるなどと、例えられますがこれは、誰にだってあるのではないでしょうか?

たとえば、お酒をたくさん飲んでストレスを解消したい思いと、お酒を飲みすぎると健康に悪いので、控えなければという思いがぶつかりあうと、葛藤し悩みませんか?

解消するとしたら、両方の意図を同時に満たす、別の行動を探す。

上記の例であれば、お酒を飲みたいとお酒を控えなければ、という2つの思いの肯定的な意図を探す。

飲みたい=ストレス解消

控えたい=健康のため

両者が納得できる別の行動は、たとえていうなら、

「健康的なストレス解消の方法」とかでしょうか。

ストレス解消になるお酒以外のものは、何があるだろう。

それでいて健康によいものがいい。

だけど苦手な運動はしたくない。

週末ゴロゴロするのを止めて、子どもを連れて遊びにいく。

これだったら健康的にストレス解消ができそうだ。

両者の意図を満たす手立てを辛抱強く探すことが、大切なのかもしれません。

仕事でしたら、

頑張る=仕事をする

頑張らない=疲れをためないため

「疲れをためずに上手く仕事をする方法」って私は思い、もう一人の自分と向き合うことができました。

頑張っても失敗したら、休憩をし頭を冷やす。

積極的な姿勢も大切だが、相手の意見も聞いて判断し、行動する。

上司に指摘をされたら、成長できるチャンスと思う。

周囲から頑張りすぎと言われたら、深呼吸して仕事以外のことを考えてみる。

制限となる思いこみを変える

思いこみかもしれない

仕事は、生活するためにどんなことがあっても、ガマンして頑張ってやり続ける。

人との言い争いはいけないもの。

上司の命令は、必ず従う。

これらは、環境や社会から学んだ信念であったり、幼いある一時期にたまたま勉強がよくわからなかった経験によって、作られた思いこみであったりせよ、望ましい方向に進む制限になっているのかもしれません。

自分にとって、「だって本当にそうなんだから」と思われることであっても、自分が進みたい方向に阻む信念であるなら、変えてみる価値があるのではないでしょうか。

「~できない」はほんと?

「私は~できない」「私は~するべきではない」「私は~することが苦手だ」といったことをあげてみましょう。

いろいろなジャンルでいいので、思いつくままにあげてみましょう。このようなかたちで表現されている信念は、自分にとって心のブレーキの働きをしています。

もし「私は~できない」けど~と思い、次に出てきたことが、もしかしたら自分にとって良いものかもしれません。けどという言葉を使ってポジティブに考えましょう。理由は、ここでだってとかでもいう言葉を使うと、どんな思いになりますか?

たぶん、ネガティブ思考になってしまうので、「私は~できない」けど~という意識が必要だと思います。

まとめ

頑張る=偏った信念になる可能性も

頑張らない=あきらめた人間ではない

もう一人の自分と向き合い、自分のことを客観視できるようになることが大切だと思います。

それでは、また。

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