ガマンの仕組み
あなたは大抵の場合、物静かで控えめな言いたいことや、やりたいことをガマンし周囲に合わせる人ですよね。
でも、時と場合により条件が整えばあなたはいつも陽気に振る舞い、周囲の中心になれる人だと思います。
本当はこうしたい、本音ではこう言いたい!
でも、それを伝えると相手は「ウン」と言わない可能性がある。そのとき、相手は気を悪くして怒るかもしれない。そうすると自分もイヤな思いをすることになる。それなら、いっそ言わないほうがいい...
心の中で人とのコミュニケーションにこんな葛藤をして、ガマンしたときはありませんか?
今回はガマンの仕組みについて紹介します。
社会の知恵
私たちは一見、何にも縛られず、人生を自由に生きています。
ところが、実際の私たちは「社会」という枠組みの中で生きているので、それほど自由ではありません。
なぜなら、ガマンしなくてもいいことでも頑張ってガマンする「いい子でいなければいけない」という知恵=常識に自分を合わせたため、自分を失っているからです。
たとえば、子どもが親に叱られ「そんなことでは生きていけない」と諭されながら合うものは引き受け、合わないものは引き受けやすい形に変えるなど、自分に合ったやり方で社会になじむことを覚えていきます。
ところがなかには、引き受けにくいものを、そのまま引き受けて生きようとする人がいます。
それは、周囲に受け入れられるように振る舞い、ガマンしてでも周囲に合わせようと、そんな知恵に自分を縛りつけ自分を押し殺してしまう場合です。
人間は成長過程で社会の知恵を習い、それに従って生きてみるしかなく、その中にもガマンが含まれています。
常識って何?
常識的なことは、根拠とは関係なく
「だってそれは常識だから」というルールとして通用し強制力を持ちます。
なぜなら、知らないと「社会人失格」「できて当たり前」「やらなければ相手に失礼」という評価をするからです。とはいえ常識に息苦しさを感じるが、従ってさえいればまともな人間として扱われるので、最低限の承認欲求が満たされます。
場合によっては、非常識な他人に対し優越感を抱くことさえできるからです。それは分かるのですが、そもそも常識とは絶対なものなのでしょうか。
よくよく考えてみると、常識はその社会のなかでの決めごとですが、それはその社会から外に出れば変わることもあります。
常識とは、その社会をつくってきた人々の経験から、年月をかけて良しとされた行動や考え方です。それが誰にでも、いつの時代にも適応するはずがありません。生きてる時代や場所によって、自分に合わない常識に出会うことさえあります。
それなのに社会の常識は大きな影響力を持つため「常識に逆らう人はどうかしてる」と決めつけます。
その反面、多様性を持つ人は自分に合わない常識によって自分らしさがつぶされることもあります。
たとえば、
混雑する満員電車で通勤しなければならない!
自分の城を持って、初めて一人前!家を買え!!
これらは、会社員の常識かもしれませんが、誰にとっても「当たり前」ではありません。
やらなくてはならないことがあるときは、ガマンが当たり前、ガマンするのが常識。こんな思い込みは、自分らしさを殺していく可能性があります。
もし辛い、そう感じたら自分が間違っているからダメなんじゃなく、常識の方を疑ってみましょう。
受け入れてもらうにとらわれすぎると
ガマンを重ねて、人から受け入れられるように振る舞っていれば、人との関係が悪くなることはないでしょう。どこでも、誰といても気に入られるような八方美人になれば、その時、その場の人とうまくいきます。
ですが、ガマンを重ねると、皮肉なことに相手任せの関係になるので、不安や寂しさがつのります。
しまいには、ひとりでいるのがカッコ悪い、職場でお昼に一緒に食べる人がいないなど、薄っぺらいつき合いだったので、長続きする深い関係には発展しません。
要するに何でも話せる親密な関係は、ときに葛藤や対立を経験しながら、それを解決し、違いを理解して、互いに受け入れる関係であり、相手に依存しない関係です。
受け入れてもらうことに、とらわれすぎると結局、関係づくりに自分が受け身になり、相手がめんどうを見ようと思わない限り、親密な関係に近づくことさえできないでしょう。
ガマンは感情を抑圧する
人間のガマンは左脳の働きが勝って、右脳の働きを抑えています。生き生きした豊かな感情を抑えます。自分の脳をフル活用していない、もったいない状態です。
しかし人間は左脳が発達した動物で、覚えたり、考えたり、方法を工夫したりといった知的な働きをしています。左脳が優位に働けば感情を抑えてその場を乗り切る行動をとることができます。
とはいえ、人間はガマンをしているとき「苦しい」「悲しい」「困った」といったネガティブな感情を打ち消そうとしてしまいます。その感情を感じると辛くなるので、感じないようガマンし「頑張ろう」「先に進もう」と意志の力でその場を乗り切ろうとします。
感情が抑圧されているので、苦しみをこらえて動き、かなしみを隠して笑顔をつくり、冷静に何もなかったように振る舞います。
さらに、断りたい残業を引き受け、会いたい友人に今日は仕事でダメになったとも伝えてしまいます。その行動の裏には、仕事のために、友人を失うこともあると再び左脳を働かせ、自己説得しています。
一方、感情を感じているときは、右脳が働いています。右脳が働くと喜怒哀楽、様々な感情が豊かに感じることができます。
ただ、注意が必要なのは、そちらだけ優位に働くと、いわゆる感情的になったり、感情に巻き込まれます。
できそうもない仕事を頼まれると「できない、どうしよう」「そんな無理を言うなんて、ひどい!」「無理です!」ともなります。
右脳ばかリが優位に働きすぎると、思考・判断ができない感情的な反応になりかねません。
つまり、自分の脳の働きを取り戻すためにはまず、生まれたときから自然に出てくる感情と丁寧につき合い、感情とはどんな働きをしているかに向き合うことです。
おわりに
ガマンの努力とは、いわば人間関係への配慮なのかもしれません。
人間関係の中で育てられ、助け合いながら生きていきます。
そんなの当たり前だと思われるでしょうが、案外多くの人が、この基本を忘れているようです。
常識に縛られず、目の前いる人を大切にして、ガマンしないでいかに人間関係をつくっていくか。
効率と競争が重視される時代では、人間関係は二の次され、それゆえにますます仕事上のつまずきや息苦しさが増えています。
つまり、人間はコミュニケーションなしには生きていけない。コミュニケーションを通して関係をつくるためには、互いに思いを伝え合うことが必要です。
それでは、また。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?