見出し画像

自由のない空間での孤立と自由のある空間での孤立について

孤立はどこにでもある。
学校の中の自由のない空間では、集団に所属していないと孤立する。

また、自由な空間、それはどんなことをしても良い空間でも孤立すると言うことがある。どちらが辛いかと言うと学校の中のない空間で孤立してしまう事なのかなと思う。

いじめの対象になってしまったりどうしてお前だけずるをしているんだって言うふうに見られることがあると思う。
どんなことを思いをしても良い空間で孤立するって言う事はご自分をどこに置いているかわからない。3次元の空間の中にいるけど、どこにいて何をしたらいいかわからないという、もどかしさがある。空間に責められいるよう。

また、孤立は1人で孤立する場合と集団で孤立する場合があると思う。孤立は、そうではない集団との関わり社会があってこそ効率が生まれるんだと思うけど、その社会自体が大きな枠組みの中で、孤立していたらその集団の中にいる人たちは孤立していることになる。

そうなるとその人だけを助けるのではなくて社会全体で孤立した集団を、をもうそれは孤立ではなくて社会なんだと認めてあげることだと思う。

そうであれば孤立も社会の1つなんだと思う。孤立と言って排除するのではなくて孤立と言う関わり方を社会の中で持っている。

そういうふうに解釈することができると思います。もちろんこれは支援者側から孤立と言うふうに見た場合なのかもしれない。当事者は孤立していると思っていて、社会に参画したいと思っていたら、そう支援していく必要はあると思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?