じゅん

日々の生活から得た気づきを文章にしています。みなさんと共有していきながら、学びを深めた…

じゅん

日々の生活から得た気づきを文章にしています。みなさんと共有していきながら、学びを深めたいです。

マガジン

  • 本を書くよ

    【2022年、本を書きます!】 今年は本を書いてみようと思います。出版社の方とのお話しをこれからしていきますが、今年中に出版したいなぁというところです。 内容としては、私自身の不登校の経験とそれから、支援者としての視点、これからのことについてなど。 自費出版という形になるかと思うので、またクラウドファンディング的にご支援を募りたいと思います。 はじめに、Noteで公開します。 お気軽にご意見ください✋

  • 生きるためのessay

    日々生きていくために書きます。ここに命をこめて。

最近の記事

「不登校の始まり」第一章 不登校・ひきこもり当事者が関わる支援の視点

不登校の始まり  学校に行かなくなったのは、小学校に上がってすぐ、入学式の次の日からです。入学式のことは覚えていませんが、「みんな一緒」という空気感がとても強く感じられて居心地が悪かったことは感覚として覚えています。  クラスに入れない。教室の、みんなが黒板に向かって等間隔で座っている空間が異様に感じられました。今でも、教室という空間に近いものに身を置くとストレスを感じます。  また、学校の先生がとても指導的な言葉づかいであったことも幼いながら怖いな、と思っていました。

    • ハラスメントにんげんの生態

      こんな人がいたら気を付けよう! ・行動を管理しようとしてくる ・自己肯定感が低い ・人のせいにする ・良い人のフリをする ・立場にこだわる ・言われたことしかできない ・気に入らないことはしない ・自分を愛していない ・相手の弱みをつかむ ・孤立させる ・自分に依存させようとする こんな人が近くに居たら今すぐ逃げよう。

      • 「学校に行ってみる」第一章 不登校・ひきこもり当事者が関わる支援の視点

        学校に行ってみる 前回のつづき。 幼少期のこと」第一章 不登校・ひきこもり当事者が関わる支援の視点|じゅん|note  その後ほぼ同じメンバーで小学校に上がり、状況が変わることもなく、「孤立」していました。  先生から見ると協調性がないなど、問題のある子だと思われていたかもしれません。 小学校では入学式の次の日から休み、その後もさみだれ登校のような感じで、「学校には 行きたくない」と思いながら家で過ごすことが多かったです。  小学校に上がってから変わったこととは、

        • 人にコントロールされて追い詰められる話

          表向きにはとても良い人当たりでいること。 自分が悪いと思い込ませること。 罪悪感を抱かせて、償いとしての行動をさせる。 他人を巻き込むなと言って、孤立させる。 自分は無力であることを言い続ける。 トラウマや弱いところを攻撃する。

        「不登校の始まり」第一章 不登校・ひきこもり当事者が関わる支援の視点

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        • 本を書くよ
          4本
        • 生きるためのessay
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        記事

          「幼少期のこと」第一章 不登校・ひきこもり当事者が関わる支援の視点

           私は今、奈良で小さなフリースクールを開いています。仕事の休みの日に活動しているので、のんびりとしています。この章では、不登校を経験した私の自己紹介と、不登校・ひきこもり当事者が関わる支援の視点について考えてみたいと思います。 幼少期のこと  幼稚園の頃から登園渋りがちで、今から振り返って考えてみると様々な要因が重なって、学校に行かない選択を取ったのだと思います。 幼稚園生の頃、「ゲームキューブ」が流行っていました。スマブラやマリオカート、太鼓の達人などです。その頃はゲ

          「幼少期のこと」第一章 不登校・ひきこもり当事者が関わる支援の視点

          出版企画「はじめに」公開します。

          はじめに  私はいま、26才になりました。  普段は市役所でアルバイトをしながら、休日はカフェを開いたり、子どもたちの学びの場づくりとしてフリースクールをやったりしています。  この本を書いた経緯として、私は小学校1年生から学校に行っていなかったことがあります。その後も長く、学校という空間から遠ざかって生きてきました。家でひきこもってゲームをしたり、長い一人の時間を使って自分の好きなことをしたり、フリースクールに通ってみたりしていました。  学校に行っていないと、

          出版企画「はじめに」公開します。

          言葉の持つ力

          言葉の持つ力ってすごく大きい。 それは、人の助けにもなる。 だけど、使い方を間違えたら人を傷つけてしまうこともある。 私たちは日々、人と関わって言葉を交わして生きている。 それが助け合いの関係になるのか、傷つけ合いの関係になるのか。 また、人のことを変えるのはなかなか難しい。 では、自分はどうあるのか。 自分自身を見つめることは普段少ないかもしれない。 自分に優しい言葉をかけられるかどうか。 ここから始めてみたい。

          言葉の持つ力

          出会いと別れ

          人と会うとたいてい楽しい。だけどたまに嫌な人もいる。 怨憎会苦、恨み憎んでいる者と会わなければならない苦しみというそう。 向こうからやってくる人のことはどうしようもできない。 自分はどうするか。人のことを言っても仕方ないのかもしれない。 好きな人や仲の良い人と別れる時も来る。 愛別離苦、愛する人と別れる苦しみというそう。 これもまた自分では変えられない運命。 出会っている今を大切にすること。 出会ったことでの楽しさと別れの辛さも学びに。

          出会いと別れ

          生きること、生かすこと

          ようやく暖かくなってきたこのごろ。 春は出会いと別れ、新しい生活が始まる季節。 これを読んでいるみんなはどうしているかな。 生きること。私が生きるために私がすること。 生かすこと。あなたが生きるために私がすること。 私も、あなたも大切。だけど、どちらかを忘れてしまいがち。 私も、あなたも同じ命。だけど、比べてしまいがち。 苦しいこと、辛いことがたくさんある世の中で、 自分の痛みを感じることもできない忙しさにまみれて生きている。 私を大切にすることは、あなたを大切にす

          生きること、生かすこと

          自由のない空間での孤立と自由のある空間での孤立について

          孤立はどこにでもある。 学校の中の自由のない空間では、集団に所属していないと孤立する。 また、自由な空間、それはどんなことをしても良い空間でも孤立すると言うことがある。どちらが辛いかと言うと学校の中のない空間で孤立してしまう事なのかなと思う。 いじめの対象になってしまったりどうしてお前だけずるをしているんだって言うふうに見られることがあると思う。 どんなことを思いをしても良い空間で孤立するって言う事はご自分をどこに置いているかわからない。3次元の空間の中にいるけど、どこに

          自由のない空間での孤立と自由のある空間での孤立について

          フリースクールに通っていたときのこと

          フリースクールは、施設によって活動が様々です。 基本的には、子どもが自由に活動できるように、スタッフ(大人)はそれをサポートするような形のところが多くみられます。対して、学校のようにカリキュラムが組まれているところもあります。 私の通っていたフリースクールの雰囲気は一言でいうと「その場にはいるけど、参加しなくても良い」ようなとても安心できる空間でした。 ひきこもっていた当時家ではゲームをして過ごしていました。一人で過ごす時間が多いので、「学校に行かなければならない」「こ

          フリースクールに通っていたときのこと

          ひきこもっていたときの近所の人の目線

          私は、小学校1年生の頃から学校に行かなくなり、不登校になりました。 その前の幼稚園に通っていた頃からも、行き渋りがちの傾向で休んで家に居ることが多かったように思います。 幼稚園に通っていた頃は、休んでもあまり言われることはなく、割と自由に過ごしていたと記憶しています。 小学校に上がってからは「今日は学校どうしたん?」「学校は行かなあかんよ」「なんで学校行ってないの?」と近所の人や周りの大人に声をかけられることが増え、学校に行くことがつらかった自分にさらに追い詰められるようで

          ひきこもっていたときの近所の人の目線

          ゲームにハマる日々について

          「学校に行きなさい」「将来どうするの」と周囲からの不安な言葉を投げられ、自分自身と向き合いしんどくなる、ということが学校に行かなくなった頃の自分自身の日常だったと思います。 不登校になりフリースクールに通い始めるも、長期間休むことがありました。家でひきこもっている多くの時間をオンラインゲームに費やしていました。毎日朝起きてから夜寝るまで、平均10時間くらい没頭していたと思います。 ゲームに没頭していたことで、余計に心配されたり、不安な言葉かけが増えていったと思います。もち

          ゲームにハマる日々について

          不登校のきっかけ

          ●私の生きづらさ体験 私は、小学校1年生の頃から不登校でした。
幼稚園の頃から登園渋りがちで、今から振り返って考えてみると様々な要因が重なって、学校に行かない選択を取ったのだと思います。 幼稚園生の頃、「ゲームキューブ」が流行っていました。スマブラやマリオカート、太鼓の達人など。 その頃はゲームが家になく、買ってもらうこともなかったので、友だちの家に遊びに行っても遊びの輪になかなか入れない、ということがありました。 そんなこともあり、当時好きだった「電車」で一人遊びを

          不登校のきっかけ

          メタバース空間における居場所

           メタバースという言葉が最近のはやりです。コンピューター上でのやり取りを指す言葉で、現実世界と区別されています。  私の経験から言うと、オンラインゲームはメタバース空間だったと感じています。オンライン上での友達はリアルの友達とは別で存在していました。では、リアルとメタバース空間はどう違うかというと、身体性が現実的にないと言うことだと思います。  第二の自分がバーチャル空間にいて、その人たち同士が交流し合う、そこには相互性があります。この相互性こそが、現実世界と同じように居

          メタバース空間における居場所

          境界線を作ること

          自分と他者は同一ではない それは、家族でも恋人でも、友人でも同じことが言えると思います。たとえ、同じ価値観を共有できる社会に生きていても、考えていることは違う。文化、宗教、教育、生活が似通っていたとしても、生まれ育った環境やこれまでの生き方がその人を作っていく。 他者と自分が異なるのは、悪いことではない。もし同じなら、それはとても気味の悪いことだと思う。ネットの社会が普及して、SNSでは同じような価値観のもとに人が集まってくる。だから、みんなコピーされた知恵や経験を持って

          境界線を作ること