娘への最後の手紙

ミラダー・ホラーコヴァーは処刑の前夜に一人娘ヤナに宛てて最後の手紙を書いた。彼女が貫いた信念と、限りない偽りのない娘への愛が切々とつづられている。

ミラダ・ホラーコヴァー(1901-1950):チェコスロヴァキア国民社会党幹部、国会議員。第二次世界大戦中はナチスによって強制収容所に入れられ、戦後はスターリン主義者によって捕えられ、1950年6月8日、みせしめ裁判で、チェコスロヴァキア共産党政権に対する「国家反逆罪」で死刑を宣告された。アルバート・アインシュタイン、バートランド・ラッセルやウィンストン・チャーチルといった世界の著名人が彼女に対する特赦を訴えたが、共産党政権は訴えに耳を傾けることはなかった。1950年6月27日、プラハのパンクラツ刑務所で、彼女の絞首刑が執行された。48歳であった。

ミラ

1950年6月、彼女は見せしめ裁判の法廷で陳述した。
「新しい法の下で、私たちに国家反逆罪という判決が下されました。しかし、もしも私たちが再び行動の自由を得たら、これまでと寸分違わない活動を行なうでしょう。自由、民主主義、社会的進歩、そして人道という高貴な理念に奉仕するためです。このような理念に身を捧げることは、現在、国家への反逆と考えられています。この苦々しい時にあっても、私たちは決して孤独ではないという思いに力を得ています。私たちの肉体は滅びても、私たちの目指した目的が滅ぶことはありません。」

彼女は、処刑の前夜、16歳の一人娘ヤナに宛てて手紙を書いた。

娘に
                          1950年6月26日
ヤナ、あなたという娘を授かったのは、神が私の人生を祝福してくれたからです。お父さんがドイツの監獄で書いた詩の通り、神は愛の証として、あなたを私たちに授けてくれました。お父さんの魔法を別にすれば、あなたは私が運命から受け取った最高の贈り物、驚くべき愛でした。しかしながら神の摂理は、私があなたのために準備していた心づもりを完全には実現させてくれませんでした。それは、私の愛が不足していたからではありません。世の母親の子供たちへの愛に劣らず、私はあなたを心の底から熱く愛しています。

私のこれまでの仕事は、あなたはもちろんのこと、全ての子供たちが良い生活を送れるようにすることでした。そのために、家を留守にすることが多く、長期間あなたに会えないことがしばしばありました。そしてまた、運命に導かれて、再び別れなければなりません。私が再び帰ってくることがないことを、怖れたり悲しんだりしてはいけません。私の娘よ、人生がいかに厳しいものであるかを学びなさい。人生は厳しい、誰に対しても容赦することはありません。あなたも打ちのめされることがあるでしょう。でも、それに耐えることを覚えれば、あなたが打ち負かされることはないでしょう。立ち向かう強い気持ちを持ちなさい。勇気と確かな目標を持てば、自分の人生を勝ち取ることができるでしょう。若いあなたにはまだまだ学ぶべきことが多くあり、恐らく、私に聞いておきたいこともたくさんあるでしょう。でも私に残された時間はありません。いつの日か、あなたが大人になって、あなたを愛してやまなかった母親は、どうしてあんな数奇な人生を送ったのだろうかという疑問を抱くときが来るでしょう。この疑問に対しては、ここで私が答えるよりも、大人になったときのあなたのほうが、より正しい答えを見つけ出すことができるでしょう。つまり、あなたは、もっともっと多くのことを学んで、確かな真実にせまることができるからです。書物からだけではなく、周囲の人々からも多くのことを学ぶでしょう。万人から学びなさい。軽重の違いはありません!何事も見逃さないように注意を怠らず、自分だけでなく、他人の痛み、関心、そして望みに耳を傾けなさい。自分には関係ないと決めつけて無視してはいけません。無関係なものなどありません。何事も考察の対象として受け止め、あらゆる事象を比較・検討しなければなりません。この世から隔絶した人間など存在しません。大きな悦びは責任を伴います。その責任を果たすには、何事であっても、自分本位の思い込みで行動しないことです。そのためには他人の要求や目標に寄り添うことです。これは、決して集団の中で個性を失うことではありません。自分自身が集団の一部であることを自覚することです。そしてその集団の中でベストを尽くすことです。そうすれば、人間社会の共通の目標に寄与することができるでしょう。私よりももっと深くひとつの原理を認識しなさい。すなわち、何事にも前向きに取り組みなさい――無暗に否定しないように気を付けなさい――あらゆる否定がいけないと言っているのではありません。悪と戦わなければなりません。どんな環境に置かれても、真に積極的な人であるためには、本物と偽物を見分けることができなければなりません。これは意外と難しいことです。なぜなら、偽物は見た目にまぶしく輝いていることがあるからです。私も、うわべのメッキに目が眩んだことが何度もありました。メッキの輝きに目がくらみ、純粋の金を見過ごして、偽金に手を伸ばしてしまうのです。真の価値を評価する力を得るためには、自己分析のみならず、他者を深く知ることが重要です。そしてまた、過去、現在、未来にわたって世の中を知ることです。要するに、知識と分析が肝要です。何事にも耳を塞いではいけません。自分の心を踏みにじり、深く傷つけた人々の考えや意見に対しても聞く耳を持たなければいけません。検証、考察、批判、そうです、先ほどまで否定していたことであっても、正しいという認識に至れば、それを真理として受け入れることを恥じてはなりません。自分の意見にやみくもに固執してはいけません。正しいと考えるに至れば、それのために戦い、死を賭す覚悟を持たなければなりません。詩人ヴォルカー が言ったように、死は悪ではありません。他人の実生活から遊離して、漠然と死んでいくことは避けるべきです。運命が導いたあなたの生きる場所に両足を降ろしなさい。自分の生きる道を見つけてください。自分の力で探しなさい。迷ってはなりません。父母の思い出に縛られてはなりません。父母を心から愛していれば、彼らを批判的な目でみたとしても、決して彼らの価値を下げることにはなりません。間違ったことや不正など、道を踏み誤ってはいけません。私は何度も考えを変えました。様々な価値観を秤にかけてきました。そして最後に残った本質的な価値は、これ無しでは私の人生を想像できないこと、すなわち、良心の自由です。あなたには、私が正しかったかどうかを考えてほしいのです。

もう一つの大事なことは、仕事です。何が一番で、何が二番なのか、私には分かりません。仕事を愛するように!どんな仕事であれ、全身全霊でうちこみなさい。何事も恐れずに立ち向かえば、きっと道は開けるでしょう。

生活の中で、愛を忘れないように。何時の日か、幸いにも、あなたと生活をともにすることになる人の心の中にも咲くだろう、赤い花のことだけを考えているのではありません。その愛がなければ、誰も決して幸せになれないのです。愛を見失ってはいけません――愛は全てです。愛を軽んじる人を愛せるようになりなさい――そうすれば、あなたは過ちを犯さないでしょう。わたしの愛する娘よ、あなたの無垢な心を焦がす相手が現れて、自分の全てを捧げたいと思ったら、あなたの父を思い出しなさい。

あなたが私のような幸運に巡り合えるかどうかはわかりません。あなたが素晴らしい人に出会えるかどうかはわかりません。それでもできる限り、あなたの理想に近い人を選びなさい。もうあなたにも分かりかけていると思いますが、私たちは、その人に会うことが叶いません。私にはそのことがとてもつらいのです。

おじさんとおばさんがあなたに注ぐ愛と犠牲を忘れないでください。彼らに感謝するだけでなく...彼らとともに、積極的で建設的な幸せを築くように努めねばなりません。彼らの親切には感謝しなければなりません。そうすれば、親切な彼らと良好な関係が維持できるでしょう。

あなたが学校でちゃんと頑張っているし、これからも頑張るつもりだと、学校の先生から聞いています...私はとても嬉しく思っています。でも、学校を卒業してから、生計の資を自分で稼がなければならなくなっても、学究心を失わないようにしてください。あなたが望みを捨てなければ、きっと目標を達成できるでしょう。わたしはあなたに医者になって欲しいと思っていました――そのことについて話し合ったことを憶えているでしょう。もちろん、自分の道は自分で決めることだし、その時の周りの状況に動かされることもあるでしょう。でも、あなたが伝統的な大学に入学し、卒業して、医師免許を得て、医師として人々の苦痛を和らげる職に付けたら、わたしはどんなにか嬉しいことでしょう。あなたが手術室で仕事をしていようが、旋盤に向かっていようが、子守をしながら家事をしていようが、あなたが平凡であっても、自分をいつわることなく楽しみながら一生懸命であれば、わたしにとってこれほど嬉しいことはありません。あなたならどの道に進んでも成功するでしょう。中途半端にあれこれと手を付けてはなりません。高い目標を持ちなさい。様々な目標は、互いに相容れないということではありません。わたしが、「あれこれ」という意味は、自分の思いとそれに必要なものということです。自律的な生き方ということです。あなたの身に降りかかった災難や悲しい出来事をみて、おばあさんやおじいさん、その他、多くの人々が、あなたに最善を尽くしてくれたことを忘れてはなりません。おねだりばかりするのではなく、慎ましい生き方を学ばねばなりません。そのような生活に慣れてくれば、物に不足したからといって不幸せだとは思わなくなるでしょう。つましい生活に慣れると、身軽で自由であると感じるものです...私自身もそのように努めてきました。そしてあなたもそのように努力すれば、勇敢になれるし、高い目標を掲げることができるでしょう...多くの書を読み、言葉を学びなさい。そうすれば、あなたの視野は広がり、人生は豊かになるでしょう。私にも読書に没頭した時期がありましたが、その後、専門書以外の本を読む暇のない時期がありました。それはとても恥ずかしいことでした。この数か月間、わたしはとても沢山の本を読んでいます。外部に居たら興味を抱かないような本ですが、ここにいると、それらがとても価値のある本だということを痛感させられます。この手紙の追伸に、わたしがここで読んだ本をリストアップしておきます。将来あなたがその本を手に取った時にわたしを思い出す縁になるかもしれませんね。

あなたの体の問題についてふれておきましょう。あなたがスポーツに身を入れていることはとても喜ばしいことです。計画的に実行してください。体操がありますね。たしか、計画的な体操があるはずです。毎朝、15分間ずつ続けるよう心掛けてください。真剣に続けたら、ウェストのプロポーションの悩みを解決してくれるでしょう。それに、意志と忍耐力の鍛練にもなるでしょう。それに、顔の艶肌にも心を配りなさい。化粧のことではありません。毎日の手入れのことです。顔や唇と同じように、首や足を大事にしてね。手足だけでなく、毎日、髪にブラシをかけてください。肌をいたわるように…日光浴も忘れないでください。でも、この点に関しては、わたしよりもずっと優れたアドバイザーがそのうちに見つかるでしょう。

あなたの写真で、新しいヘアスタイルを見ています。とても素敵ですが、あなたの素敵なひたいを隠すのはみっともなくないですか?それに舞踏会用のドレスを着た女性!とても可愛らしいのだけど、ひとつ目につくところがあります。写真の写り方に問題があるのかもしれませんが、16歳にしては胸元が開き過ぎではないでしょうか?あなたの新しい冬コートの写真を見れないのが残念です。伯母さんにいただいたマフを毛皮の襟に使いましたか?特に着飾る必要はありませんが、できるだけきちんとした服装を心掛けてください。踵の擦り切れた靴は履かないようにしてくだい!あなたはインソールを使っていますか?甲状腺の具合はどうですか?もちろん、これらの質問に答える必要はありません。母を思い出してもらいたいだけです。

ライプツィヒの監獄で、わたしはある本を読みました――そこには、マリア・テレジアが、彼女の娘マリー・アントワネットに宛てた手紙が載っていました。この女帝が娘によこしたアドバイスは、とても実践的で女性的なものでした。ドイツ語で書かれた本ですが、著者名は忘れてしまいました。もしもあなたがその本に出会うことがあったら、わたしがあなたにわたしの経験とアドバイスを手紙に書くことを決心させた本だということを思い出してください。残念ながら、わたしは言いたいことを上手に表現できませんでした。

ヤナちゃん。おじいさん、おばあさんを大事にするのですよ。お年寄りに必要なことは、慰めです。しょっちゅう顔を出して、あなたの父母の若い頃のことを話してあげてください。そうすれば、あなたの子供たちにも同じ話をしてあげられるでしょう。そんな風にして、語り継がれ、私たちはあなたや家族の中に生き続けるでしょう。

もうひとつ――音楽です。あなたは、おじい様に頂いたピアノを心を込めて演奏することで、おじい様に感謝の気持ちを伝えることができるでしょう。おじさんがバイオリンやビオラを演奏するときに、あなたがピアノで伴奏すればどんなにか素晴らしいことでしょう。ぜひ一緒に演奏してください。おばさんにとってもたいへん嬉しいことだし、とても微笑ましいことです。わたしのリクエストは、マルタのアリア「私の薔薇よ、丘の上に咲いている一輪の薔薇よ」、そしてモーツァルトの「眠れ私の王子様」、そしてあなたの父が好きだったショパンのラルゴ「あなたの窓の下」です。わたしのために演奏してくれるわね?わたしはいつもあなたのピアノを聴いています。

さらにもうひとつ――友達は慎重に選んでください。付き合っているひとから多くの影響を受けることがあります。ですから、よくよく注意してください。あなたのお友達についての他人の意見に耳を傾けてください。わたしには、忘れられないあなたの素敵な手紙があります。わたしの枕元においてあった手紙です。あなたが、門の所で、ひとりの女の子と、ひとりの男の子と一緒にいたとき、わたしが初めてあなたを怒ったことについて謝罪した手紙です。その時あなたは、遊び仲間の必要な理由をわたしに説明していましたね。遊び仲間を作るのはいいことですが、善良な若者と付き合う様になさい。そして立派なことで競い合うようにしなさい。若者の青春期の惑溺を真の愛と混同しないように。わたしの言っていることが分かりますか?もし分からなければ、おばさんに訊きなさい。彼女ならわたしの言っている意味を説明してくれるでしょう。そうよ、わたしの可愛い娘ヤナ、新しい命、わたしの希望、わたしの未来の夢、生きるのよ!両手で命を掴みなさい!わたしの命が果てる最後の瞬間まで、わたしはあなたの幸せを祈っています、わたしの愛しい娘よ!

あなたの髪、目、そして口にキスを送ります。あなたをわたしの腕の中にしっかりと抱きしめます。わたしはいつもあなたとともにいます。
                              母M


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