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「人ったらし」たれ!媒酌人らしからぬ発言の真意とは

昨日、「恐怖政治」の「暗黒時代」の記事を書いていて、思い出したことがある。

昨日の先輩との会話も興味深いが、もう二人別の上司の言動を紹介したい。

この「暗黒時代」(あらためてフォローするが、実はこの間学んだことも多く、今の自分の基礎になってるのも事実)は1年半くらい続いたと記憶している。当時20代後半。この間、2回も会社に始末書の提出を要求された。言い訳するわけではないが、「こんなことで始末書?」って思うような内容なのだが、「暗黒時代」だからしょうがない。それがノーマルな状態なのだから。この間、他にも相当数の社員が、相当数の始末書を提出していたんだと思う。提出された始末書が、どのように処理されたのかはわからないが(特にそれによる減給等もなかったし)、仮に年度ごとに保管されていたら、そこだけボコッと山になってるんだろう。

とはいえ、入社して10年も経たないのに始末書を提出することになるとは、想定外だった。始末書なんて、それまで見たドラマの世界なら、公金の使い込みとか、相当ヤバい案件で出てくるアイテムの印象だ。ショックは大きい。

同時に、かわいそうなのは、直属の上司である部長。通達は、局長→部長→本人となる。当の部長も、その決定には、釈然としていないが、拒絶するわけにもいかず、納得いかないことを部下に提出を強いることになる。結構エグい。

ということで、私は人生で2回、直属の上司から始末書提出の指示をもらった。それぞれ、時期も違い、別々の上司からの通達だった。もちろん、通達の仕方は互いに違っていたが、どちらもケースも、そのシーンは強く記憶に残っている。

1回目は、確か、取引先(販売代理店のようなもの)の権利を第三者に引き継ぎをした際に、中身を洗ったら、当初想定していた以上に経営内容がよくなかった、ということが原因だ。まあ、これに関しても、色々とあるが、専門的な話になるので割愛。「どういう実態把握をしているのだ!」ということで始末書提出。

この当時の部長は、実は私たち夫婦の媒酌人。公私ともに、面倒を見ていただいたが、実に「言葉」での表現がユニークな人だった。だから、仕事でも印象に残るフレーズも多い。特に「媒酌人なのに、そのアドバイスか!」ということで、特に印象に残っているものある。ちょっと今の時代、不謹慎な表現かもしれないが、20年前の話なので、ご了承願いたい。

「Kくん(私)、遊んでるか(ここでいうのは「夜の街」での遊び)?出張も多いんだから遊ばないとダメだよ、遊ばないと。遊んで女にもてて、女ったらしにならないと。女ったらしなヤツは、人ったらしになれる。この仕事は人ったらしなヤツじゃなきゃダメなんだ」

まあ、これにより「仕事をデキルヤツになるために、遊ぶ」という、わけのわからない三段論法が完成し、大義名分が立つわけだが…。実際に、出張中も、仕事の後によく二人で街に繰り出したりと、今思えば、二人の関係を考えるとシュールな絵である。

さて、そういう部長も、私に通達をしなければいけない。いくら媒酌人だからとはいえ、仕事は仕事だ。なんなら、その取引先なんて、何度も部長も同行しているわけだし。

「Kくん、ちょっといいか?」。部長席まで、呼び出しを受ける。「今回の件で、どうも局長が納得していないようで、ついては、君に始末書を提出させろ、って言ってるんだ。始末書とは、随分大げさな話だが、これは、いかんともしようがないよ。そこでだ。書くのはいいが、タイトルは顛末書にしろ。それでいい。あとは、なんとかする」。

「よろしくお願いします」。突然のことで、こちらとしては、ポカーンと部長の話を聞いていたような気がする。始末書?顛末書?何が違うんだ。当時、知識もなく、席に戻って調べてみた。どうも、内容は似ているが、ニュアンスとしては、顛末書の方が始末書よりも軽いらしい。もちろん、部長もそれを知っての、アドバイスだろう。

あの時代である。局長の指示と違う行動を取るわけで、部長にもリスクはあったはずだ。本当に、大丈夫かな。が、こちらとしても、それにすがるしかない。やはり、今後のキャリアアップの中で、それを阻害するものがあれば排除しておきゃなきゃ、というのは若いなりにも感じていた。

「顛末書」を部長に出し、「よしっ!」ってことで、受け取ってくれた。結局、その後も、なぜか、この件に関しては再提出の指示もなかった。どうやって乗り切ったんだろうか…。なんか気まずい出来事のため、それっきり、その後も、この件に関しては部長とも話すことがなかった。今想像するに、おそらく、提出先は局長本人ではなく、総務的な部署だったのではないか。部長もそれを知ってて、ツラーっと、何の説明もなく、そこの所属長に顛末書を提出したんじゃないかと思う。今度会ったら聞いてみよう。

まあ、媒酌人であり、もともと尊敬はしていたが、この「顛末書でいいから」という一言により、さらにグイッと惹きつけられたのは間違いない。そして、「あぁ、結局、あの人は『人ったらし』だったんだな…」と、今ならわかる。

しかし、いったい「人ったらし」って何なんだろう?

きっと、「この人のためなら」と思ってもらえる人のことを言うんだろう。そこは、上司と部下とかの関係を越えて、アイドルとファンのような関係に近いかもしれない。そして、そのきっかけは、もしかしたら、大げさな話ではなく、今回のようなちょっとした一言なのかもしれない。一言だけど、ドンピシャのタイミングで、ドンピシャの言葉を使えるっていうのは、結構難しいものだ。本当に刺さる言葉ってことだ。

「女ったらし」がそうなのかはわからないけど。

※ちょっと、ボリュームが多くなったので、もう一人の上司の話はあらためて。


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