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苦しさ、辛さの共感

単身赴任をしている金沢では、自宅から20分も車を走らせると海を見ることができる。私の行きつけは内灘海岸だ。

同じような時間をかければ山もある。

金沢バンザイ。

さて、先日も休みの日にブラっと内灘海岸に立ち寄った。ここは、砂浜そのものが駐車場になっている。手前の方で車を止めて、そのまま3分程度砂浜を海に向かって歩いていけば波打ち際だ。

その日は風が割と強い日で、軽く砂埃が舞っていた。今考えると、それはサインだった。

いつのもように車を止めようとするが、夏休みということもあってか、割と車が埋まっていた。そこでいつも止める入口付近ではなくて、更に奥の方へ…行こうとすると、突然前に進まなくなった。案の定、バックもできない。砂に埋まってしまったのである。

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靴の中が砂だらけになりながらも、前後進を繰り返して、なんとか抜け出せた。それほど深くハマっていなかったからよかったものの、冷や汗モノである。

運転したり、タイヤの下の砂を取り除いたりと繰り返していたが、きっと誰かの一押しがあれば簡単に抜け出せたと思う。「すみません、車押してもらっていいですか?」。周りには人はいたが、意外と声はかけづらいものである。

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朝のウォーキングは休みの日のルーティン。往復3キロ程度の距離を歩いている。今朝は天気はいいが、夜中に雨が降ったからか、若干地面は濡れていた。

ウォーキングも折り返しから後半の半分地点くらいのところで、聞き覚えのある音が。

ズルズルズル、ズルズルズル。

地面がぬかるんでいるためか、タイヤが空回りしているいやーな音。

普段なら、大丈夫かな?と思う程度で、なんとかなるだろうとスルーしていたかもしれない。別に死傷者が出るわけでもない。その人が、何らかの解決法を見つければいいだけのこと。本当に助けが必要であれば、向こうから声をかけてくるだろう。

ただ、今朝の私は違った。状況に気付くやいなや、駆け寄って声をかけた。

「大丈夫ですか?押しましょうか?」

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別に「どうだ、俺っていいことやっただろう?」ってことを自慢したいわけではない。逆に、自らが似たような苦しさ、辛さを経験しないと、第三者のそれを共感できない鈍感さの情けなさよ。

人への優しさの本質は、想像ではなく、実体験に根付いているんだ、ということを再認識した、そんな休日の朝だった。


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