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橋岡和樹(hassy)

こんにちは。明治大学体育会サッカー部に所属している四年の橋岡和樹です。

自分がどんな存在なのかを伝えるのはとても難しい。サッカーを16年間続けてきたこと以外自分には何があるのかなって考えることがたくさんある。だからこの先どーしたらいいのか。とかどっかに飛び込んだらなにかあるか。とか考えることもたくさん。自分は将来どーなってんのかなって楽しみだし不安。まあみんなそうじゃん!って思ったら、どーなってても幸せって思えてたらいっか!ぐらいで生きようと思ってます。

父親は公務員で母親はファミレスでパートしているごく普通の家庭。ある意味違うといえば、弟はプロサッカー選手で従兄弟はアジア大会とか出ちゃうくらいの陸上選手ってことくらいかな。サッカー部の仲間とはふざけて明治のサッカー部で落ちこぼれじゃんっ!ってふざけあったりしてる。(笑)いやてか母親も叔父も叔母も陸上で過去に日本記録持ってたりするくらいの家庭だからだいぶ恵まれてるのかも。

その中でもある男を尊敬している。その男は2014年9月24日に亡くなった僕の祖父。叔父や叔母と違って日本記録持ってたりするわけじゃない。でもこの男がかっこいいと思う。祖父といってもおじいちゃんって感じでもないし、孫にとったら兄貴分に近かったのかもしれない。ちょうど見た目もイカつめだった。180センチあって色黒で原付乗り回してる70過ぎのおじいちゃん。自分の家族は特殊でおじいちゃんやおばあちゃん、叔父さん、叔母さんはみんな名前で呼び合うくらい仲良い。他の家庭でも結構そうなのかな?

まあそんな感じでおじいちゃんとは思えないワイルドな見た目も好きだったし、過去の武勇伝を聞くのも好きだった。特にこれに関しては弟がほんとに大好きだった。

「やっさん、喧嘩の話して〜」みたいな(笑)

その武勇伝にアドレナリン出して喧嘩もんのDVD借りてきちゃうみたいな感じだった。(笑)

やっさんはとにかく人に好かれる存在だった。やっさんの周りには人がたくさん集まってその周りの人は心の底から笑ってる。そんな人って稀にいますよね?

自分はそのやっさんが亡くなった時、もっと話しとけばよかったな、とかもっと遊び行きたかったなとかめちゃくちゃ思った。まあでも「死ぬ」ってそーゆうもんだよな。って思わされたりもした。

だけど、このやっさんが最後にかっけえことを教えてくれた。会社も倒産させて金もなくて、それでも孫の僕らに残してくれたもんは葬式にあった。

予想してた参列者は100人程度かなって感じだった。親族の席で参列者に挨拶してると、たくさんの人が来ていた。やっさんと同い年くらいの人、僕らと同い年、それより下の子供たち。結果、集まったのは約3倍の人たちだった。その狭い部屋に多くの人が集まったことに驚いた。しかもその多くの人たちが涙していたのを見て、つられて涙してしまった。どんなに金がなくても、いい車に乗ってなくても、いい家に住んでなくてもやっさんは幸せだったんだろうな。って一目でわかった。こんな男を心の底から尊敬する。

「生きる」ことは過程にすぎないし、みんな同じ「死ぬ」っていう結果で終わるなら良い結果で終わりたいよね。この場合の「良い」は人それぞれ違うと思うし、僕にとったらやっさんみたいに多くの人に死ぬことを悲しまれて多くの人に涙してほしい。そのためには「生きる」って過程を一生懸命になんなきゃいけない。じゃあ今の自分にそれが出来てんのかな?って常に問いかける。それが自分の生きるモチベーションなのかもしれない。

もう一つ「モチベーション」を高めてくれる場所がある。それは埼玉スタジアムだ。月に一度のペースで埼スタに行き、自分も頑張んなきゃって思う。埼スタの電光掲示板に「27 橋岡大樹」と映し出される瞬間は鳥肌が立つ。弟が約35000人の中で応援されている。そんな弟が羨ましいし、なんか誇らしい。あんなガキンチョだったやつが。(笑)

大樹がこんな頑張ってんのに自分ももっと一生懸命やんなきゃなって思わされる。まあ一言で言うと「刺激」。ありがたき弟よ。(笑)

まだ21歳の何も知らない自分が生きるっていう長い過程を楽しみ、死ぬっていう結果を迎えた時に周りの人が和樹は幸せだったんだろうな。って一目で分かる良い死に方が出来るように人生を頑張ろう。

https://number.bunshun.jp/articles/-/830848

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