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三河宇宙造船所 宇宙への軌跡 第7回「ハマーを抱いたまま」

1964年5月5日 火曜
海面に着水。回収され到着した静岡県静岡県賀茂郡東伊豆町 稲取漁港の公衆電話、通称ピンクの電話から会社へ電話をかけるジェバダイア飛行士。
1964年5月5日 午後4時30分 電話を取り次いだパートさんから社長室へ電話が回され、社長と楽しいお話し。
「Ich habe es geschafft! Ich habe es geschafft!」とジェバダイア飛行士。
「ジェバダイア君、日本語で頼む」と宗弐郎。
「飛べたんです!」とジェバダイア飛行士。
「ああ、見ていた。カーバル・モーション社からも連絡があり、『調査結果が楽しみです。おめでとう』と言われたよ。よくやったジェバダイア君」
「ありがとう。ありがとう。あの翼ならハマーを抱えて飛べます」
「ああ、そうだ。そうあって欲しい」と宗弐郎はそう言いながら、電話機本体を抱え、社長室窓へ近づき、会社正面玄関に詰め寄った群生が抗議の声が大人しくなっているさまを確認していた。
「二日ほど楽しんでこい。君の出社は此方で記録しておく」
「ありがとう」とジェバダイア飛行士。
「よく飛んでくれた」と宗弐郎は言い、電話を「ガチャリ」と切った。
ジェバダイアは地元民宿で一泊し、翌日東京まで上京。
10月。秋に開催されるオリンピック。「変わりゆく日本、東京の姿を見てみたいと思っていた中、実に良い機会に恵まれた」と彼の手記には書かれていた。「日本の春もいいが私は日本の秋ほど素晴らしい季節だと思う」とも書かれていた。

実証飛行は無事成功した。この翼を抱えて飛翔回数を繰り返し、繰り返し、地道な経験の蓄積を重ねた。
そして六菱重工業経由でデルタデラックスウィングがフランス航空機開発会社から届く。
「『飛行実験記録の提供をも願う』と紐付きですが」とジーン・カーマン。
「まあそういうことか」と宗弐郎。
社の知名度が稼働翼界隈にも広まったとも測ることも出来る。此方で実証実績を積み、その一部を提供。相手も開発品への改良、開発経験に使用したいんだろう。
「判った。その豪華でけばけばしい羽根を導入してみよう」と宗弐郎の声にジーン・カーマンは嬉しそうな笑みを見せた。

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写真:三河3.2号 デルタデラックスウィングを垂直尾翼にプラモ感覚で取り付けました。 

1)デルタデラックスウィングを垂直尾翼に搭載
2)RT-10 ハマー固体燃料ブースターを三基搭載

1)について
AV-R8の旋回性が安定をブレイクさせ運動性を獲得することに比べ、デルタデラックス、ファ◯ク誰だよこのカロリーが一度で三日分のようなセットメニューみたいな名称つけたやつ。兎に角デルタええっと、面倒臭い。
DDW(デルタ デラック ウィング)は名称とは裏腹に、安定を崩す率は小さく、ジェット戦闘機のような急激な姿勢変化を求めていない現開発方針と合致する。名称は派手だが技は地味。そんな感じだよ。
2)について
あのハマーだ。暴れ出したら止まらない固体燃料ブースターを三基も搭載。
それだけ姿勢制御の実証実績を積んできた証でもある。
写真左の固体燃料ブースターを第一のハマー。一つ飛ばして右を第二のハマー。二人のダブルハマーの推進力制限を62という値にし、暴れる二人のハマーを制御下に。
紹介が遅れた中央のザ☆ハマーこと母なるハマー。母だが男性的に力強い彼の推進力制限を30という値へ。細く長くそばのように燃え続けて欲しいことを願い設定。

暴れるハマーを三基。それを制御して見せよう。
そして・・・。

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写真:マクソー・ブロック社との契約はまだ有効だ。可能な限り達成してみせる。

「私はプロだ。目標へ向けて達成可能であればやってみせよう。これでキッズの心を大気圏外まで連れていく」とフォン・カーマン博士。

「これで飛ぼう」とフォン・カーマン博士。
「やりましょう」ジェバダイア・カーマン飛行士。

1964年7月2日 木曜 午後3時
三河宇宙造船所 宇宙への軌跡 第7回「ハマーを抱いたまま」
https://www.youtube.com/watch?v=cJf320x5fh4

次回予告『濡れている燃料』

バイクを買うぞ!