巨人

遠くのほうにずっと巨人が見えていて、お母さんは家で私に歌を教えるとき、あの巨人に聞こえるくらい声を出しなさいとよく言った。私は家の窓から巨人をよく観察したけど、動いてるところは見たことなかったから、あの巨人はもう死んでるよ、だから声も聞こえないよ、と言ったら顔を叩かれた。生きているらしかった。

お母さんのことが心配だった。ずっと優しかったのに、お父さんが事故で死んでから様子がおかしくなって、家に帰ってこなくなったり、なぜか歌の練習を始めさせられたり、窓の外をぼんやり見ていたりして、少し不気味だった。

そんなとき、何より信じられないことが起きた。4軒向こうの家のおじいさんが死んだのだけど、それを聞いたお母さんが見たことないくらい泣いたのだ。お母さんは、お父さんが死んだときは泣かなかった。それはつまり、私はお父さんが大好きだったから、死んだときは大泣きしたものだけど、おじいさんのことは名前も知らなかったから、泣くとか、そういうのはなくて、ということは、お母さんはお父さんのことが好きじゃなくて、私が名前も知らないおじいさんのことのほうが好きだったのだ。最初から、いやなお母さんだったということだ。

その日の夕方、近くで見てみようと巨人のほうへ歩き続けてみた。しかし、いくら歩いても巨人との距離は変わらず、ついに崖まで来てしまった。あの巨人はこの町のどこから見ても、同じ距離にいるようだった。ただ、昨日までとは確かに姿勢が変わっていて、やはり生きていることには間違いなさそうだ。崖には巨人を見つめる少年が座っていて、話を聞いてみると、死んだおじいさんの孫だとわかった。おじいさんが死んだことがとても悲しいと話し、涙を流しているのを見て、お母さんの流した涙は汚いと感じたけど、それがどんな理由で流れたにせよ、涙に差はなく、平等に美しいものなのだとなんとなく思った。少年は巨人を見つめるのをやめようとせず、こちらと話すどころでもなさそうだったので帰ることにした。なんとなく良い時間だった。

翌日、お母さんはまた私に歌を歌わせた。あの巨人に聞こえるように声を出しなさい、お決まりの台詞だけど、あの巨人は町のどこからでも見えてどこにもいない、どんなに近づいても近づけない存在だ。歌声なんか聞こえるとは思えなかった。お母さんはまた私を叩いた。なぜ死んだ人に敬意を払えないの。言っている意味がわからなかった。私だって、お父さんが死んだことで精神的なダメージをかなり受けている自信がある。お母さんより大人なだけだ。死んでやろうと思った。

家を飛び出して崖に行くと、また少年がいた。私は死ぬと伝え、巨人にも軽く会釈をし、崖の先に立つと、少年は私の服を掴んだ。おじいさんがいなくなってしまう、やめてくれ。どいつもこいつも意味の分からないことを言う。あなたのおじいさんはもう死んだじゃない、そう言うと少年はまた泣きだしてしまった。死んでない、まだあそこにいる、そう言って少年は崖の向こうを指さした。君が死んだら、おじいさんがいなくなる、ひとりしか入れないんだ、順番なんだ。少年は涙ながらに叫んでいたけど、何が何だかわからなかった。ただひとつわかることは、少年は私の心配をしてるわけじゃないってことだ。腹が立った。私の人生だ。私は崖から飛び降りた。

目を覚ますと、パノラマの中にいて、私の住んでいた町を360度見渡すことができた。知らない煙突や、知らない家具屋を見つけ、あとは少年に悪いことをしたな、などとも思い、少しだけ死んだのを後悔した。お母さんはたぶん、私がこのパノラマを体験するために死を選ぶのではないか、と恐れ何も言わなかったのだと思う。とはいえせっかくだし、と神の視点を満喫していると、どこからか聞き覚えのある歌が聞こえた。私の家の窓から、お母さんがこちらに歌を歌っているのが見えた。はっきり聞こえた。これならきっと、私の声でもちゃんと聞こえていただろうと思い、すこしほっとした。

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