若年性アルツハイマー型認知症の母と ギャンブル依存症の父を持った 私の生き方vol.2

私は今、祖父母と母と一緒に生活をしている。

今でこそ家事や仕事を当たり前のようにこなしているけれど、ここまで決して平らな道ではなかった。

特に、母が認知症だと診断を受ける前から、我が家に平穏という言葉からは遠ざかっていた。

自由で何でも手に入り幸せだった子供時代からここまで、どんな風に過ぎていったかを書き記そうと思う。


子ども時代のこと、そして専門学校時代までの母との関係については、プロローグでも書いてきた。

そして、我が家が狂う一大原因となった父の借金のことについて書き記す。

父は、鉄道会社に勤務する車掌だった。私の中で、父の印象はとても薄く、良い思い出がない。

幼い頃から、学校が休みの日でも家にいることはなかったからだ。

もちろん、仕事の日もあったのだろう。でも、たとえ仕事が休みだったとしても、パチンコや競艇、競輪などのギャンブルに出かけていた。

今でも忘れることができない。

保育所を休んだ時に自分を置いてギャンブルに出かけたこともあり、小さい時から信用できなかった。


父という存在を毛嫌いしてまで距離をとるまでしなかったけれど、私の人生にまるで興味がなさそうな父に、愛情が湧くはずがなかった。

父の借金が判明した時、家族の反応は様々だった。貯蓄に余裕のあった祖父は、借金を肩代わりする。

面倒見の良かった祖母は、状況を受け入れられずに精神を病み、引きこもる。

母は、そんな父と離婚したいと漏らす一方で、六歳離れた私の弟がまだ中学生だったこともあり躊躇していた。まずは、祖母のメンタルケアをすることで精いっぱいだった家族。

私は就職したばかりで、実家を出ていたこともあり、様子を電話やメールで聞き、帰省した時に確認をするしかなかった。

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