岩木寛人

生きた証を残すための記録です 誰かの背中をポンと押せるような執筆を心掛けます

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若年性アルツハイマー型認知症の母と ギャンブル依存症の父を持った 私の生き方vol.5

第4章 若年性アルツハイマー型認知症を患った母。私が、母のことを好きなのはこれまでの内容で、どれほど伝えられただろうか。 自分の人生に、決して欠かすことができない存在の母。世の中の人は、母と自分の関係性をどれだけ重要視しているのだろうか。 そして、どれだけ切り離して考えることができているのだろうか。正直言って、私は全く切り離すことができない。 むしろ、影が見えなくなることくらいのレベルで恐れを感じるほどだ。この章では、衰えていく母に、どれだけ私が恐怖を覚えたか。 そ

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    • 若年性アルツハイマー型認知症の母と ギャンブル依存症の父を持った 私の生き方vol.4

      働いて、給料をもらって生活をする。これは健康に生きているならば当たり前にこなすことである。 でも、給料をもらっていてもその中身について深く考えたことはあるだろうか。 もし自分が、人事関係の仕事をしていれば、勝手に勉強して知識がつくことだろう。 それ以外のことを仕事にしていれば、給料の中身が細かく分かれていることさえ深く考えずに、自分の口座に入っている金額のことにしか気にしない人は多いのであろうか。 所得税や住民税、厚生年金や介護保険料。色んな項目で、自然と控除されてい

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      • 若年性アルツハイマー型認知症の母と ギャンブル依存症の父を持つ 私の生き方vol.3

        母のことを記すにあたって、決して切り離せないのが父の存在である。 母の症状の直接的な関連がどこまであるのかは不明だけれど、父の行った行為で母が病んだ事実は決して消えない。 私がこの世に生まれて、少なくともこうして大人になることができたのは、父が働いてお金を稼いだからでもある。その点に関しては、人として感謝をしている部分はある。 だが、それを上回る家族への仕打ちがあるからこそ、私は今後も父と会うつもりはない。 私の記憶にある限り、十歳頃には父と母の仲はすでにいい関係では

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        • 若年性アルツハイマー型認知症の母と ギャンブル依存症の父を持った 私の生き方vol.2

          私は今、祖父母と母と一緒に生活をしている。 今でこそ家事や仕事を当たり前のようにこなしているけれど、ここまで決して平らな道ではなかった。 特に、母が認知症だと診断を受ける前から、我が家に平穏という言葉からは遠ざかっていた。 自由で何でも手に入り幸せだった子供時代からここまで、どんな風に過ぎていったかを書き記そうと思う。 子ども時代のこと、そして専門学校時代までの母との関係については、プロローグでも書いてきた。 そして、我が家が狂う一大原因となった父の借金のことについ

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        若年性アルツハイマー型認知症の母と ギャンブル依存症の…

          若年性アルツハイマー型認知症の母と ギャンブル依存症の父を持った 私の生き方vol.1

          窓から差し込む光に目を開けると、まどろみの中、部屋を出る。 母の部屋に行くと、すでに起きているようだ。 「おはよう」と声を掛けて、ゆっくり体を起こす。 にっこりとほほ笑む様子を見ると、どうやら今日もご機嫌のようだ。 両腕に体重を預けてもらい、ゆっくりと車椅子へ移動してもらう。 朝は母の足元がおぼつかないので、車椅子を使って移動する。 介護者も頑張りすぎず、安全に。 これは、介護士の資格を持つ私が身をもって感じている大切なことのひとつだ。 岩木あさ子(60)、私

          若年性アルツハイマー型認知症の母と ギャンブル依存症の父を持った 私の生き方vol.1