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モロゾフと山の娘

 あるところに美しい娘がおりました。
彼女の仕事は山に木を植えることです。
彼女は仕事のために故郷を離れましたが、ちっとも寂しくなんかありません。
彼女の親友、ハリネズミのモロゾフと一緒だからです。


 山の仕事は男たちの社会です。
彼女が山に入りたいと職場を探した時、働き手を求める会社はそもそも「女性の働き手」など想定していませんでした。
女が山に入ると「トイレや着替え」などに気を使わなければなりません。元いた男たちが働きづらくなる可能性があります。
肉体労働を女性にどこまで任せていいのかまるでわからない、という心配の声もありました。
また、若く美しい娘に「意外とおっぱいないんやな」、「トイレしてる時見に行ってもいい?」と冗談をいう男もいました。
娘はそういう時は決まって目を細めて少し歯が出るくらいまで口角を上げます。
それは、どこからどう見ても笑顔とはちがうものでした。


 娘は若く美しい自分の肉体を恨みました。「魂のいちばん外側が男だったら、こんな目には合わなかっただろう」と考えたのです。
若さなんてドブに捨てたい、美貌も邪魔だ、こんなものがあるから私の中身を覗いてくれる人が現れないんだ、と嘆きました。

 モロゾフは「彼女がこの世で成したすべてのよいことによって、どうか神様、よき場所をお与えください」と祈りました。

モロゾフの祈りの甲斐があり、娘は良き職場に恵まれました。

 娘が所属することになったチームの班長は「娘なら、山に入っても大丈夫や」と言い切りました。
班長は娘が失敗しても決して咎めることはありませんでした。「出来んでもええ、これから出来るようになったらええんや」と班長はよく言いました。
そして仕事が終わると必ず、「今日はみんなでこれだけ作業が進んだなぁ」と山を振り返るのです。
班長は会社の稼ぎ頭でしたが、娘の数倍働いている自分の仕事量を誇ることはせず、必ずチームで動いた総量で表現するのでした。

 娘はとても嬉しかったのです。すぐに班長が大好きになり、育ててくれた班のお兄さんとも打ち解けました。モロゾフも大喜びです。

 しかし、会社には恐ろしい魔女がおりました。
そう、山で働く女は娘だけではなかったのです。
魔女は二回りも年下の娘に激しく嫉妬しました。
「大した仕事量でもないくせに、あいつは若さだけでチヤホヤされていて、ズルい」というのが魔女の言い分です。魔女ははっきりとした物言いと情緒不安定な態度を誰にでも表にするので、山の男たちからもひどく恐れられていました。

魔女はいちいちそういった嫉妬の言葉を直接娘に投げかけました。

「お前は若さで下駄を履かせてもらって評価されているだけ」
「職場はおままごとする場所じゃない」
「お前は若いから好かれているだけで、誰もお前のことを本当は好きじゃないよ」

そしていつも最後にはこう付け足します。
「私はお前の知性と美貌と、若さを正当に評価しているからお前のためを思って、嫌われる覚悟でこう言ってるの。私だけはお前の味方だよ」と。

山で働く人々の中には若者が少ないという問題も孕んでいました。娘の若さは山でひどく目立つものでした。

 娘は、次第に罪悪感を抱くようになりました。

若さは、罪だ。なぜなら、生きているだけで魔女に嫌な思いをさせてしまうから。
若さは、ゴミだ。生まれてくるのが少し遅かっただけで、まるでズルをしているかのような言われ方をするから。

魔女は「すべての元凶はお前が女を使うから」だとも言いました。
娘が一言喋ると「若い女の言葉」、娘が笑うと「若い女の笑い声」、娘が動くと「若い女の一挙手一投足」になります。
娘の無頓着さや、大雑把なところだって、それはそれでまた「ギャップがあって可愛い」とされました。

 娘はモロゾフの前で泣きました。
つらい。苦しい。この身体で生きねばならないことが、もう我慢ならない。
私が私で生きると「若い女」で評価されてしまう。この肉体で生きる限り、「若い女」に対するリアクションしか受け取れない。
そんなものは、ニセモノなのかもしれない。私には判断ができない。わからない。私が間違っているのかもしれない。
そして私は老いることもこわい。あれだけ魔女が嫌がっている老いはどれだけ恐ろしいものなのか。
娘はモロゾフに問いました。

モロゾフはゆっくり瞬きをして娘に話しました。

「下駄でもハイヒールでも靴下でも、履いたまんまでいいんだよ」
これには娘も驚いて、
「あなたまで『今しか履かせてもらえないんだから』なんてつまらないことを言うのね」と皮肉を言いました。

「いいかい。下駄の種類は若さだけではないんだ。経歴や学歴、身長、家柄、職業、収入、様々な種類の履き物がこの世にはあるんだよ。
履き物を履くのも磨くのも罪じゃない。履き物を他人に振りかざすのは罪だけどね」

「それに君はおばさんになっても、かの日の己の若さを名残惜しく思うことは1秒たりともないよ。たとえ世界中の人が若さを嘆いたとしても、君はちがう。
なぜなら君は立ち止まって『考えた』からさ。考えた時間は、思考は、正真正銘君の持ち物さ」

娘は少しだけ救われた気がしました。
娘の脱げない下駄は、遠くの誰かも履いているかもしれなくて、違う履き物を今この瞬間掴み取ろうと努力する人のことを娘は否定することはできませんでした。

「班長もチームのお兄さんたちも、周りの人たちのことも君は大好きなのに、彼らは君のことを若さでしか見ていないからつらいと、そう言いたいんだね。
たしかに、魔女の言う通り、もしかしたら、そうなのかもしれない」

「そして、もし新しい若い女が入ってきたら、君は『サヨナラ用済みのおばさん』と捨てられるかもしれない、そういう恐怖があるんだね」
モロゾフは娘の気持ちを言い当てました。

娘は小さく、ゆっくりと頷きました。
「それは当たっているかもしれない。でも、間違っているかもしれない」
モロゾフは娘の目を見て続けました。

「君は起こっていない火事を「今か今か」と心配しているかのようだ。
未来に起こることを心配して慌てふためいても、何の解消にもならない。
そして、彼らの本心もまた君にはわからないのだから。
であるならば、相手を愛する、慈しむ、愛おしく思う気持ちがあるなら、彼らを信じなさい」と続けました。

「好きならば、相手は絶対に見る目がある、私を下駄だけで評価している訳ではない、どこか見込みがある、見所がある、魅力的なやつだと思うからこそ、優しくしてくれていると信じなさい」

「そんなの賭けじゃない」と娘は自信なさげにモロゾフに呟きました。

娘は「信じる」という根拠なき大きな賭けに出るのが怖かったのです。

「人を好きになるっていうのはギャンブルだよ。相手が自分のことを好きになってくれるかわからない、もしかしたら条件付きの愛なのかもしれない。でも自分はその人のことが好きだ。
それなら、命づななしで飛ぶんだ! 落っこちるかもしれない。無視されるかもしれない。嫌われるかもしれない。でも飛ぶんだ、そうするしか相手からの愛をもらう方法はないんだよ」

なんて途方もなく勇気のいることなんだと娘は驚きました。
「私……こわいわ……」娘の目には涙が溜まっています。

「いいかい。君の心は恐怖と不安でチクチクだ。ぼくの身体みたいにね。でも、その針は人を貫くためにあるんじゃない。それは、アンテナなんだ。初めはわからなくたっていい。取り返しのつかないことなんて、あるもんか。自分のタイミングで人に触れてごらん。一歩づつ、一歩づつ近づいてごらん。少しでいいんだ。思い切って足を踏み出してごらん。」

 モロゾフの言っていることは娘にはわかる気がしました。
山の仕事も一歩づつ一歩づつが大事です。

そしてまずモロゾフの話してくれたことから、信じてみたい気がしました。


 娘は意地悪な魔女のことを恨むことはできませんでした。
それは娘が優しいからではありません。魔女の苦しみは、強い女として誇り高く生きた証でもあると娘は悟っていたからです。
どんな理由であれ、人を傷つけてもよい理由にはなりません。
けれど魔女を一辺倒に論破することが、魔女の孤独を踏み躙ることが、魔女を蔑ろにすることが、なんだか自分を傷付けていることと同義になる気がするのです。
魔女は自身が呪われています。それは、彼女が彼女にかけた呪いです。
しかし、魔女の心が落ち着いているほんのひと時は娘に誰よりも優しくしてくれました。
娘はどれだけ呪いを吐かれても魔女のことを「優しくて」「仕事のできる」「カッコいい」女だ、と評価し続けました。

娘は魔女を表面で見えている部分だけでは評価しませんでした。魔女の履物にも目をくれませんでした。

モロゾフは得意そうな顔をしました。

「君が魔女を見ているように、みんなも君を見ているよ」

娘に吹き荒れていた嵐はさっと姿を消しました。



 山の朝は日の出から始まります。
さあ、早くお布団にはいりましょう。



明くる日の朝、娘は「若い女」の足を使って、「若い女」の顔で、「若い女」の声で「おはようございます!」とほほ笑みました。

もうちっとも嫌な気持ちなどしませんでした。

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