イスラエル国防軍兵士と皇軍(天皇の軍隊)兵士のまなざしは重なっている

昨日、新宿のK's cinemaで、土井敏邦監督「愛国の告白──沈黙を破るPart2」を観てきました(同館での上映は12月9日まで)。

上映後のトークイベントには、『国のために死ぬのはすばらしい?──イスラエルからきたユダヤ人家具作家の平和論』の著者、ダニー・ネフセタイさんが登壇するので挨拶も兼ねて参加しました。


さて、この映画ですが、イスラエル国防軍の元兵士たちがつくったNGO「沈黙を破る」の活動の映像、団体の創設者をはじめ、命がけで活動する主催者たちのインタビュー、イスラエル国防軍によって家や農地を破壊されるパレスチナの人々の話が収録されています。

この映画を現場から遠く離れた日本の私たちはどう見るか、映画に登場する人々の声をどう受け止めるのかを考えました。

私は、今の日本人は皇軍(天皇の軍隊)兵士の末裔として受け取るべきだと思いました。
1875(明治8)年の江華島事件に始まる朝鮮侵略戦争と植民地支配、そして日中戦争に関する本を編集・出版してきた者としては、「侵略戦争」「占領」「植民地支配」に関することはすべて脳内で「帝国日本の戦争」に変換されてしまうようになりました。

自らの加害体験を語るイスラエル国防軍の元兵士たちは、中国帰還者連絡会(中帰連、現在は「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」)の元皇軍兵士たちに重なりますし、パレスチナの人々は皇軍の侵略行為に命を奪われ、家屋などの財産を破壊された朝鮮や中国の人々に重なります。

パレスチナの人々の出入りをチェックするゲートで、彼らに銃を向けるイスラエル国防軍兵士の指が目に入ると、自分の指のように感じました。
「日の丸・君が代」強制に見られる同調圧力、「村八分」をおそれる日本社会の中で銃の引き金を引かない決断が自分にできるのか、それが問われている映画でした。

イスラエル国防軍の兵士と私たち日本人のまなざしは重なっている──そう感じさせられた映画でした。


※直接編集を担当していない本も入っています。

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