支那と「中国」

平成18年10月16日の記事。http://blog.livedoor.jp/k60422/archives/50550721.html

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 当ブログでは一貫して「中国」のことを支那と表記している。これに眉をひそめる方もいるかもしれない。しかし厳密に言えば、「中国」というより支那というほうが正しいのだから、こう呼ぶのが当然だ。支那の由来となぜ「中国」と呼ばせたがるかを知れば、支那が日本にどういう態度であり続けているかを知ることができる。

 

 支那とはチャイナのことである。秦の始皇帝のとき、初めて支那は欧米と交流を持ったが、そのときこの「秦(shin)」が訛ってchinaとなったわけである。ローマ字読みすればチナだから、別に遠くもなかろう。

 欧米人がchinaと呼んでいたのが明治維新後、日本に知れ渡り、それがまた日本語なまりして(イングランドをエゲレスと呼んだように)支那となったわけである。つまり、支那とはchinaのことであり、決して差別語ではない。

 そもそも支那が差別語だということ自体、意味不明である。戦前、日本が「支那」と呼んで蔑視した記憶があるからだ、ともっともらしいことを言っているが、これはおかしな理屈である。欧米も支那を半植民地化したではないか。支那はchinaがそうした記憶をよみがえらせると一度でも言ったことがあるのか。イギリスの教科書には「チャイナマン」という言葉(これは明らかに差別語だそうだ)さえ出るそうである。いっそ日本も支那語で「中国人」と呼んであげればいいのだろうか。「チャンコロ」と。支那は那(日本)が支えているんだ、という思いがこめられているとか意味不明なことをいう奴もいるが、那に「日本」という意味はない。

 支那と呼ぶことを拒絶したのは中華民国政府である。代わりに呼ぶ呼称が「中国」だ。これは「中華民国」とか、「中華人民共和国」の略称ではない。「中国」とは「中華」のことである。では「中華」とは何か、それを理解するには「中華思想」を理解しなくてはいけない。「中華」とは真ん中の華、つまり「世界の中心」ということである。それを位置づけたのが「中華思想」だ。「中華思想」では「中華」以外の国の存在を認めない。「中華」以外の地域はすべて野蛮で到底人の住むところではない、という認識だ。「中国」に頭を下げて貢物を贈ればようやく「国」として昇格するのだ。だが、その「国」も「朝鮮」「蒙古」「倭」のように差別的呼称をつけられるのだ。地上には皇帝は「中国」に一人しかいなく、全世界の支配者である、という思想、それが「中華思想」だ。今はなくなったと思ったら大間違いだ。「中国」という呼称を周辺国に求めるということは、再び「中華思想」による皇帝を目指すという暗黙のメッセージなのだ。

 日本は聖徳太子以来、「中華思想」の枠組みに抗し続けてきた。天皇という君主をいただいているのがその象徴だ。日本は「中国」には絶対に飲み込まれない、という意思を示すためにも「中国」と呼んではならない。

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