アフリカと商業主義

平成18年11月20日の記事(http://blog.livedoor.jp/k60422/archives/50657760.html)。

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 今号(11月22日号)のSAPIO(リンクはウィキペディアによる解説)に、「グローバリゼーションの罠」と題された『ダーウィンの悪夢』という映画の評が載っている。そこではナイルパーチという、日本人には耳慣れない、しかし日本人の食生活に影響を与える魚を鍵にして、グローバリゼーションを考えさせる内容になっている。ナイルパーチは白身魚で、外食産業やファーストフードなどではこの魚が「白身魚」としてフライなどにしてだされるそうだ。この魚はアフリカ(タンザニア)に元からいた魚ではなく、外来魚だ。この魚により生態系は一変。ビクトリア湖は危機に瀕している。日本を含む先進国の利害が環境さえも破壊してしまった一例である。しかしその一方でこの魚はタンザニアの飢餓をすくう役割も果たしている。ビクトリア湖周辺にはナイルパーチの加工工場が立ち並んでいるそうだ。

 この問題に関して、先進国を悪玉にするのは簡単だが、事態はそうたやすくない。ナイルパーチが飢餓を救う側面が確かにあるからである。そしてそれはタンザニア側からの希望でもある(もちろん先進国側の希望でもある)。したがってこの問題を解決するにあたってナイルパーチの不買運動などもってのほかである。では飢餓を救っているからこのままでよいというわけにもいかない。ナイルパーチの恩恵に預かれない人は確実にいる。さらに、先進国がナイルパーチの代わりにアフリカに与えているものは「武器」である。先進国が内戦を助長しているとも言える。

 下手をすると日本のサヨクは、この事例から「先進国悪玉説」を引き出しそうに思われる。しかしことはそのようにたやすくない。なぜなら途上国の「豊かになりたい」という思いがそのまま彼らの生活環境を破壊しているともいえるからだ。そして近代資本主義システムにいる以上避けようの無い矛盾がそこにあるからだ。

 前に「商業主義の危機」という題で沖縄の資本主義による環境の一変について語ったが、それと似たようなことが、ここでも繰り広げられている。資本家側の「市場がほしい」という要求と、売り手側の「豊かになりたい」という要求が一つになり、環境の破壊が行われる。売り手側はそれにより資金が入るとますます環境の破壊を進め、資本家側にとって「魅力的な市場」となろうとする。その結果ますます元の環境は破壊されていき、資本主義的なステレオタイプの空間だけが残る…。

 観光地化はさらに根が深い。観光地化するということは道路や宿泊環境などを整備すること、つまり近代化である。さらに観光地において危険がないように、環境を破壊し、「安全な環境施設」を作り上げていく。それはハワイのビーチなどに顕著である。ハワイの海岸はもともとマングローブが生い茂る場所であった。しかしマングローブが生えるところにはマラリアが発生するので、マングローブ林はすべて伐採。そして出来上がったのが、観光地化したイメージの産物、ワイキキビーチ、そしてハワイである。

 さきほど観光地化とは近代化することだと述べた。しかし近代人が観光に行くとき、自分のすむところ(近代都市)には無いエキゾチックなものを求めていくのが普通である。しかし観光地はこうしたエキゾチックな気持ちを満たすだけの、「イメージの自然」しか提供できない。それには近代化が不可欠である。しかし近代化することはそのまま、都市に近づくことであり、それは観光地という市場の魅力を喪失していくことにはならないだろうか。これらがすべて、(資本家側だけの要請ではなく)売り手の「豊かになりたい」という当然の、否定されてはいけない感情の元に成り立っているのだ。売り手の「豊かになりたい」という感情が観光地化、市場化を生むのだが、それを達成した結果、観光地しての価値、市場としての価値を失っていくとは、なんという皮肉であろうか。市場化、観光地化は決してその場所を豊かにしない。しかし「偽りの豊かさ」に目がくらみ、また市場化、観光地化が進み、その結果資本主義に毒された、「公」を完全に失った廃墟が今日も生み出される…。

 当然のことながら、売り手が責められるいわれは無い。資本家側も資本主義システムにのっとった当然の行動をとったまでだ。とすればそのシステム自体に何か欠陥を感じるのは当然ではないだろうか。高度資本主義はどこか置き忘れた部分があったのではないだろうか。こうした事実を早くから見抜いていたのは皮肉にも社会主義者たちであった。しかし彼らの国は(彼らのシステムの欠陥により)瓦解した。私は社会主義も、社会主義国家も全く支持しない。むしろ憎悪すら抱く。しかし社会主義が間違っているという事実は、資本主義に免罪符を与えることなのだろうか。私はそれに激しく疑問を抱く。高度資本主義というグローバリズムが猛威を振るいつつある今日。そしてそれがアメリカと、その影に惨めにくっついている我が日本によってなされている。日本はこれでいいのか。もっと自省的になるべきではないのか。「アメリカにくっついていれば大丈夫」などという自国の主体性すら放棄した行動が、自称保守からなされている。この国はこれでいいのか、私は激しく不安に思う。高度資本主義、グローバリズム、そしてそれを体現するアメリカにもっと懐疑的になる必要があるのではないか。アンチ社会主義は、本当に資本主義の是認と捉えていいのか。現代日本に突きつけられた課題ではないだろうか。

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