政治形態と歴史、伝統、文化

 平成18年11月2日の記事。http://blog.livedoor.jp/k60422/archives/50606789.html

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 今はもう古いニュースになってしまったのかもしれないが、最近タイでクーデターが起こった。そのとき、アメリカ政府は(日本政府もだが)即時民主制に戻るよう、タイを非難したのである。私はこれに非常に反発した。アメリカの、「自国の民主主義が一番優れている」とでも言いたげな態度が腹立たしかったのである。

 前回、「国家の連続性」で「国家は有機体である」と述べた。これは「国家が民族の歴史、伝統、神話、信仰などを受け継いで作られた存在であるがゆえに、国家は人の血が通った生き物のような存在となっている」ことを表したものだ。

 国家(ナショナル)というものは元来、世代的に前も後ろも全部繋がっている、という観点がある。だから、自国の防衛において、「生を守るためには生を捨てなければならない」(三島由紀夫)のである。命を懸けてこの国を守った前の世代に対し、我われはこの国を命がけで守ることで報いなければならないのだ。そして後の世代に対し、この国を引き継ぐ義務を負うのである。国家と個人が契約を結んでいるかのようなルソーの社会契約説は間違いなのである。

 さて、ここまで国家とは歴史の連続性の上に成り立っていることを述べたが、それとタイのクーデターと何のかかわりがあるのか。実は大有りなのである。国家とは歴史の連続性の上に成り立っている。ということはその政治形態も世界共通の普遍的な制度などあるわけもなく、その国、その民族の歴史、伝統によって最良の政治形態は異なるのである。陸羯南は「近時政論考」の中で「元来議会政体は英国を以ってその創立者となす。しかれどもこれを仏国に移したる後はついに仏国的色容を帯び、これを独国へ移したる後はまた独国的色容を帯ぶ(中略)。国民論派は立憲政体を日本的にして、世界中に一種の制度を創成せんことを期するものなり」と言っている。国家がその国の歴史、伝統、文化などに立脚して成り立ってることを見抜いているのである。アメリカはそのこともわからず、自分の国のシステムが一番優秀だと思っているから、イラクのようなことや今回のようなことができるのだ。それこそアメリカの思い上がりというものだ。

 各国の政治形態は各国の歴史、伝統、文化に根ざしたものでなくてはならない。それを理解しなければ、グローバリゼーションの波に飲み込まれ、文化侵略を受けていることすら気づかないままに終わってしまう可能性すらあるのだ。

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