太字だけ読んでください。 #2月課題図書:田中章義『世界で1000年生きている言葉』【1カ月1冊生活】

もう4月になってしまった今日、2月の課題図書について。

(2月3月、忙しかったのです、、でもちゃんと2月中に読みました。うん、えらい!)


2月の課題図書は、田中章義さんの『世界で1000年生きている言葉』。

会社の先輩に、おもむろに貸してもらった本です。


その先輩のデスクには色々なものが置いてある、という話をしていて、「こんな本もあったよー貸してあげる」と渡されました。あまり深い意味のない提案と受け取ったのですが、もしかして読んでみたら、先輩から私へのメッセージが何かあるのかな?と思ったのでした。


といっても、それも1年半くらい前の話で、1ページも読まずに返さずに放置してしまっていました(本の放置癖がすごい、、)。


この【1カ月1冊生活】は、この本を読了して先輩に返す、という目標を達成するための目標でもあったのです。


読んでみて思ったこと。

この本は、世界中で言い伝えられていることわざや教訓を99個、紹介しています。


時代も言語も文化も違う地球上のどこかで生きた、あるいは生きている人間が糧にしてきた言葉が、2021年日本の片隅で生きるとある27歳の人間にとっても糧になり、今行き詰まっていることに対する答えのひとつが見えてくる。

という、ちょっと不思議な感覚がありました。


正直、それぞれの言葉の言い回しやメッセージは感慨深いものの、それについて各ページで書かれていることは筆者個人の思い出話が多いなぁ

(世界で活躍されている筆者が出会った人物の名前が何十人と出てきたり、この言葉とどう関係があるのだろう?というエピソードが結構あったり)

という感じで、読み切るのが少し大変だったので、細かいことは読み飛ばしてもよいかなと思ってしまいましたが。



ということで、2021年日本の片隅で生きる、とある27歳にとって印象に残った言葉を8個、ご紹介したいと思います。


たぶん、筆者と同じように私の思い出話になってしまいそうな感もあるので、みなさまも自分の過去・今・未来に思いを馳せながら、太字を中心にお読みいただけたら


🇲🇳塩を入れるなら溶けるまで、仕事をするなら終わりまで。

こちらはモンゴル国の言葉。


今の私の仕事は、このコロナ禍で頓挫するリスクがありました。


足掛け数年のこの仕事を完遂することはできるのか。世界中が危機に陥っているこの時世に、「頓挫」という選択肢もありうるのではないか。

そんなことを思いながら日々働いているので、この言葉が刺さってしまいました。


今のいまでさえ、「終わりまで」目指してよいのかはわかりません。

そりゃあ、「終わりまで」できるに越したことはないけれど、それって聞こえはシンプルだけどなかなかに難しいことなんだよなぁと思ったり。


善に善をもって応じるのは誰でも。悪に善をもって応じるのが、本当の人。

こちらは、タタールスタン共和国の言葉(国旗の絵文字がなかった、、)。

学がないので、どこだそりゃって思ってしまいました。タルタルソースを発明したのはこの国の人だとか。


できていますか。

「悪」に「善」をもって応じること。


身近に、「悪」とはいわないまでも明らかに「善」ではない(私にとってはほぼ「悪」に近い)人がいるのですが、その人に対して自分はひたすら「善」を向けるのって、結構覚悟がいります。

まず「私はこの人とは違うのだ」と自分の中で言い切る必要があるし、プライドを捨てて、権利の主張はある程度諦めないといけない。

文字にすると、いかにも生きていれば当たり前のことではあるんですが、私には難しいのです。いつも苦しい。



でもこれができたときに初めて「本当の(ていうか一流の)人」になることができるのだと思って、日々がんばっております。


🇮🇹今日という日は、残りの人生の最初の日だ。

イタリア共和国の言葉。

これは結構聞いたことがありませんか。

それだけ、多くの人の心に刺さっているのでしょうね。


もう本当に、おっしゃるとおり、なのですが。

何か失敗や不足があったとき、今日までの自分に嫌気がさすとき、そんな自分をこれから先どこに連れて行くかは今の自分にしか決定権がない。


何かを始めるのにも、やり直すのにも、正直「早い」「遅い」はあると思います。

もっと早く変わっていれば、もっとよい「今」があっただろうに、と思うことばかりです。


だけど、「遅いからできない」ということはない

だって今日が、今が、ゴールに立っている自分が振り返る「ここまでの道のり」の一番最初の瞬間だから。


そう言い聞かせて毎日「奮起→行動」を繰り返すことで、きっと、自分が誇れる自分になることができるんでしょうね。


さて、これを書き終わったら筋トレしてきます(痩せるぞー)。


🇲🇬小事を断念できない人は、大事を成就できない。

マダガスカル共和国で語り継がれている言葉だそうですが、痛いとこつかれてしまいました。


小さなことを断念するということは、意外にも難しかったりします。

ダイエットでたとえるとわかりやすいですが、そのちょっとした食欲、そのお菓子、デザート、もう今日は筋トレしなくていいかなという怠惰を断念しないといけません(?)。


いつも何の気なしに使ってしまっているお金、時間、労力を削ぎ落とすことが、大きなことを成し遂げるためには必要、ということなのかなと理解しました。


🇪🇬成し遂げた善は隠せ。源を隠すナイル川のように。

エジプト・アラブ共和国の言葉です。


これ、肝に銘じようと思いました。

成し遂げたことを誇示しているような人は、「世界最長」と畏れられるほどにはなれないってことですよね。


🇧🇹都会にあるものには価値はない。森にあるものはどんなに小さなものにも価値がある。

ブータン王国の言葉。


これは正直、はてな?でした。


森が身近にある田舎で10数年生まれ育ち、今、都会で10年近く暮らしている身からすると、都会だって価値だらけだと思っています。

確かに森にあるようなもの、自然の価値は計り知れません。落ち葉を分解する小さな虫だって、そのおかげでおいしい水が飲めているわけですから。


だけど、都会にも「価値あるもの」はたくさんあります。


たとえば、いろいろな町から、いろいろな思いをもって、都会に何かを求めてやってきた人たちが何の因果かひとつの場所で出会って会話する。

もうこれだけで私は本当に楽しい。


とどまらず、そうして出会った人たちが切磋琢磨したり、一緒に何かをつくったりしている。

少ない人数に届いているものも、とんでもない人数に届いているものもある。

それって全部すごいことじゃないですか?都会じゃないと怒らなかった化学反応のような。


だから、私は都会も大好きです。


🇵🇪他の人を許すたびに、きみ自身を強くしている。

ペルー共和国の言葉だそうです。


「善に善をもって応じるのは誰でも。悪に善をもって応じるのが、本当の人。」という前述のタタールスタンの言葉に近いものを感じます。


誰かを許すという行為は、覚悟も勇気も諦めも必要になります。

些細なことだとしても、許す側からすれば断腸の思いです。


その「断腸」の経験が人間としての成長につながっているのだと思います。

許すことで見えてくるもの、一歩前進した感じ。

それもわかるのですが、やっぱり難しい。


許される側や第三者側にいると、どうしても「もういい加減許してほしい」「許したほうが楽になるのに」と思ってしまいがちです。

確かに、許すと自分が一番楽になるんですけどね、当事者の立場からは難しいこともあります。


と、今、許してほしいことも許したほうがよいことも抱えている現場からお伝えしました。



🇧🇷与えようとする人が与えられる。

最後は、ブラジル連邦共和国で言い伝えられている教訓。


この1、2年前まで、「いかにして与えてもらうか」「与えてもらって成長できる」「あの人はあんなにも与えられていて羨ましいなぁ」と本気で思っていました。


でも、そんな考え方からはもう卒業しかけています(しかけ、、?)。


今まで偶然にも、「与えようとする人」が周囲にいてくれる恵まれた環境に身を置いていただけで、別に相手が私に「与える」義務なんてないんですよね。

「与えられる」ことは当然の権利なんかではない。


だからこそ「与えようとする人」は本当に尊い存在だし、私もそちら側の人間になりたいと思います。

それは、その結果として「与えられたい」からだけではなく、自分の周りにいる「与えようとする人」たちが大好きで、そんな大好きな人たちに少しでも近づきたいから、というのもある気がしています。



早く完全卒業したい!

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