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新章と死角

Human Designの実験を始めて2か月。
私、Sacral beingのstrategyは

Sacral(丹田あたり)の反応(声)に従って動く(あるいは動かない)

自分から動かない、
求められるまで(何が求められるかも分からないけど)待つ

これに尽きる。

シンプルなのに、
いや、
シンプルだから?
深い。

そして、思うことは、
今まで真逆に生きてきた癖
ー私にとってエネルギー的にNGなことーを
根こそぎ引っ剥がすのって
相当しんどい。

待つ。

これに比べたら、

今までの瞑想やビジュアライゼーション、
リチュアルなんて、かんたん極まりない。

・・・と思えるほど、今の自分は待つことにストイック。

カフェに行っても注文しないんですよ。
セルフでも(笑)。
座って待つ。

そんなちっちゃなことから、
経済的なことやら、仕事のことやら、
人生における比較的大きなこと(?)に関わることまで、
規模に関係なく、スタンスは同じ。

どれだけ、動きたいと思ったことか(マインド君)。

“Wait for Life to Come to You”

実に人口の70%を占めるGeneratorのうち、
半分ぐらいがSacralに当たると言われてます。

だいたい自分のデザインを全うせずに
(=知らないで)人生を終えるシナリオが普通と思われているので、
全うしようとすると、最初は内外から相当な抵抗に遭います。

でも、全うしたら世界が変わるんです。

だって、不満を持つのが当たり前の世の中がそうじゃなくなるから。

不満が普通の人生を歩んできた人間が、
“Wait for Life to Come to You”なんて聞いたら、

そんな都合のいい話あるか!シンプルすぎる!

と一蹴するのが関の山(シンプルと簡単は違いますが)。

私も実験前は、そうでした。

でも、エビデンスが続々出てくる今は、そうじゃない(笑)。

待って反応するという基本に忠実にいたら、
人生が、どんどん知らない自分を見せてくれて、
その分、どんどん今までの自分が剥がれていって(笑)、
それでも人生という名の映画は、
マインド君がコントロールできないところで
新しい章を生みだすべく、美しく展開している。
でも、マインド君はそう思っていないようです。

産みの苦しみ=マインド君の抵抗。

今までのように運転席に座りたいマインド君が
助手席で唖然とする時間が、ちょっとだけ長くなったとき、
ふと気がついたこと。

両親には自分から動いていた

うちの母は要介護5で、いわゆる通常のコミュニケーションは不可能。
父は父で、日本男児の性格だから、私が話しかけなきゃ始まらない。

と無意識に思い込んでいて、
朝、ケアに行くと、私が最初に挨拶をしていた。
それに、

いくら実家だとはいえ、鍵を開けて入るとき、挨拶ぐらいするよね。

そこが死角でした。

気がついたので、

自分のエネルギーはキープして、挨拶しない

両親に、やってみました。すると、

父が「おう、おはよう。」

え?

・・・え??

二度聞きしちゃいました。

父には、とりあえず、びっくりした笑顔で応えて、

ベッドの上の母には、挨拶なしで、ただ近寄ると、

「うん。」

え???

「うん。」

え????

しゃべってはいないけど、声、出したよね?

・・・私の身体にピュアなエネルギーが充満した一時。

本当の満足って、
自分が本来与えられたデザインを生きた上で、
他者と関わって初めて得られるものなんだー!
生まれてはじめて味わった!!

感動しました、1分ぐらい。

そして引き続き、今を生きる(言葉だけじゃなくて(笑))。





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