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偽善者

東日本大震災以降、

自分の人生=実験ということは認識していたけれど、
それがHuman Designに直結しているとは知らなかった。

今まで誰かをお手本にして、
社会的に受け入れられている生き方をしてきたけれど、
蓋を開ければ不満だらけ。

私はどうやら、何が何でも、
自分の人生を歩みたいというのが、
本音らしい。

「らしい」というのは、
いまだに(これからも永遠に)
私の中には2つの意識が存在して、
日々の実験の結果、
私が私だと思っていたのは、
思いっきり思い込みだった
ということが明らかになったから。

今生で自分がすべきことーstrategyーが明確になると
ーWaiting to respond to lifeー
それ以外が、どうでもよくなってしまう。

グレーゾーンの問題も、突き詰めれば
私のInner Authorityである身体の一部Sacralの出す
めちゃめちゃ繊細な反応 (音)に対する
Yes/Noで判断できることに気がついた。

Sacralって音を出すんです!
(社会化で、ほとんど役立たず状態にされているけど)

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白黒はっきりの超微調整。

おかげで、感情的だと思っていた私は、
実は人の感情を自分のものだと思い込んでいたことが分かった。

だから、どんどん手放して、
お気軽、お気楽になって、
あっという間に人生、楽になった。

しかし。
ここに来て課題が。

今までと同じように人と関われない!

人だけじゃなくて、ものにも、
どうやって関わったらいいんだか。

何だか小学1年生より前に戻った感じ。
右足と右手を同時に前に出して歩いているような。
いや、小学1年生じゃなくて、胎児以前かも。

それまでも、

身体の声を聞くことは大事

だと知っていたし、
それを教えたりしていたのに、
実際にそれを生きていたかと言われれば、
違うと言わざるを得ない。

全然違う!

偽善者とは私のこと。

完璧じゃなくてもいいじゃない。

という声も聞こえるけれど、

それって、
私が本来の私を生きると困っちゃう
マインドの声だったりして。

一昔前は、こんな状態から
自己嫌悪に陥るのがパターンだった。

でも。
今は、さっさとマインドのスイッチをオフって、

身体意識に戻る。

マインドはしぶしぶ運転席から助手席に移って、
ドライバーの身体が運転するという
人生という名の乗り物。

そして、マインドは
車窓の風景を楽しむ。

そんな瞬間が増えてきた。

続、実験。

90%は、まだ拷問です。

Non-emotional GeneratorのStrategyは
Waiting to Respond
Waiting to be asked

マインド曰く

そろそろ動かないと、
まずいんじゃない?

Never initiate
自分から動かない。

これまで

率先して動く!
リーダーシップ!
自分発信!

と叩き込んできた私(マインド)にとっては
拷問以外の何物でもない(笑)。

でも、Strategyを一つクリアできたときは、

どんなに小さなことでも
(喫茶店でオーダーせずに
聞かれるまで黙って座っているとか)

ほかのオーラタイプの真似をして
なんちゃってManifestorとして
とにかく自分から動く!
と頑張っていたときより、
なぜか、はるかに大きな満足感を得られるので、

ラディカルにシフト中・・・。

継続は力なりです。

立ち寄ってくださって、ありがとうございます。心に響いたことがあれば、ぜひサポートお願いします。ライフワークの活動に使わせていただきます。一緒に楽しいエネルギーを広げていきましょう。