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【深い社会】10 その他の男「レオナルド」

レオナルドは公証人の家に生まれました。

十字軍により地中海での貿易が盛んになり、商人たちが力をつけていきます。
すると、様々な契約や帳簿などの、情報を記録する重要性が増します。

そんな時に生まれた仕事が公証人です。
公証人は私的・法的文書作成を請け負いました。

「情報を記録する」そのままの仕事です。

レオナルドもおそらく、公証人としての教育を受けたのでしょうが、
残念ながら、彼は公証人にはなれませんでした。

レオナルドは非嫡出子だったのです。

①その他「非嫡出子だった。」

当時の公証人の組合は非嫡出子が家業を継ぐことを認めませんでした。
そのため、レオナルドは当時の学校「ラテン学校」へは通えませんでした。
おそらく、一緒に暮らした祖父や叔父に読み書きを教わったのでないかと思います。
そして、その時に独学の姿勢も培われたのでしょう。

②その他「学校に通わず、独学で育った。」

彼は一族が暮らす村で育ちましたが、
成長して、父が暮らすフィレンツェに呼びよせられます。
彼が育った村が、ヴィンチ村。
そう、彼の名は、「レオナルド・ダ・ヴィンチ」です。

レオナルド・ダ・ヴィンチ
https://ja.wikipedia.org/wiki/レオナルド・ダ・ヴィンチ

ヴィンチ村を離れ、フィレンツェに着いたレオナルドはその様相に驚きます。
フィレンツェは、当時、世界最先端の街でした。

地中海貿易で豊かになった商人たちが、自由な思想で発展させた街です。
学問、産業、芸術、様々な文化が盛んでした。
支配する貴族もなく、選ばれた有力者が民主的に運営していました。
異端への取り締まりなどのキリスト教のしがらみも、そこでは比較的弱かったようです。

③その他「キリスト教のしがらみが弱かった」

レオナルドはフィレンツェに訪れ、そろばん学校で算術を学びますが、
あまりよい生徒ではなかったようです。
先生に質問ばかりして困らせたり、気が散りやすく集中も苦手でした。
左利きで書字も鏡文字になりがちでした。
今でいう、発達障害ですね。

④その他「発達にハンデキャップを持っていた。」

レオナルドの父は、彼の特性を踏まえ、自分の事務所のそばにあった
取引先の工房に弟子入りさせます。
その工房が、「ヴェロッキオ工房」。
フィレンツェでも指折りの工房でした。
主人のヴェロッキオは温厚な性格で、たくさんの若者を招いて制作する環境を作りました。
その中でレオナルドはのびのびと芸術に関わっていったようです。
特に絵画においては素晴らしい観察眼で、いつの間にか師を超える技術を持つようになりました。

当時のフィレンツェでもっとも力を持っていた有力者が「メディチ家」です。
メディチ家は毛織物を作る際の染色用薬剤「ミョウバン」の取引で財を成しました。
その材で銀行業をはじめ、さらに莫大な財力を持ちます。

メディチ家は財力を持つだけでなく、たくさんの文化人のパトロンにもなりました。
中でも、知識人を集め、古代ギリシャ時代の学問を研究させる「プラトン・アカデミー」は、現在の大学教育「アカデミー」の元となっています。

芸術方面でも、工房に様々な依頼をし、文化発展のきっかけを作りました。
才能豊かであったレオナルドにも注目し、絵画制作を依頼しています。

その才能を見込んだメディチ家は、その後、フェレンツェの安全保障のため、近接する都市「ミラノ」に、捧げものの形で「レオナルド」を送り出すのですが、この時のレオナルドの自薦書が、非常にユニークです。

この自薦書には、レオナルドが自分のことをどう思っているかがリストになっています。
「その他」「その他」「その他」・・・
その他を自覚してきたレオナルド。
さて、レオナルドは自分をどう思っていたのでしょう。

センスの良い絵師?
ちがいます。

ググらないで、予想をコメントに書いてみましょう。

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