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【深い社会】24 シンの構成主義は足元に

小学校教師だったウィトゲンシュタインは、構成主義のもとに言語のもつ関係性、限界性、可能性を示しました。

それを受け、チョムスキーは人間の構成主義的な言語獲得の仕組みを明らかにし、その研究は現在AIの深化に大きく影響を与えています。

対してデリダは、構成主義は、結局本質を見つけ出すことはできない、とアンチテーゼを出し「脱構築」を主張しました。絶えざる追及過程です。

また、心理学者のガーゲン夫妻は、社会構成主義を応用したカウンセリングで、固定観念に苦しんでいるたくさんの人々を救おうとしています。

このように、哲学を学ぼうとすると、そこら中に構成主義が横たわっていることに気づきます。
学ぶことそれ自体が、構成主義のただなかにいると言ってよいでしょう。

構成主義とは何か、という定義を村野先生が美しく描いてくれました。

概念を自分で作る 「構成主義」
概念をみんなで作る 「社会構成主義」

この定義自体では、『学び合い』「学びの共同体」を批判することはできません。
しかし、付け加えて構成主義の原点を探っていくと、

概念をみんなで作り上げる 「○○○?」

と言う概念が明らかになります。
この概念に「シン構成主義」と名付けたとき、
『学び合い』「学びの共同体」の形式主義的性質がまざまざと見えてきます。

なにより、学びが協同的であるのは、それが普遍性を求める手段だからです。
普遍性、つまり、子どもが未獲得の概念をつかみとるための手段が、本来の協同性であり、構成主義的教育です。

結論として、「ただの社会科の授業こそが構成主義である」と言ってよいと思います。
もちろん、これが難しい。
私たちはいつもいつも、自分の授業に問いかけ続けなくてはなりません。

構成主義社会科へのアンチテーゼ*********

1 形式主義に陥ってないか。
2 子どもは自由であるか。
3 教師の創造性を阻んでいないか


「協同」が目的化した瞬間、協同できない存在が異端とされ、差別が始まります。
向山氏はその協同から生まれる差別と、生涯かけて闘い続けました。

そして、個人と協同とのせめぎあい学習、
シン構成主義『討論』を作り上げました。
私たちは、それを引き継ぎ、さらに新しい教育概念を作り上げていかねばなりません。

まさしく、この構成主義運動が、絶えざる社会科への追及過程であり、
この過程こそが、真なる、新しく、深い社会科授業の本質を作っていくのではないかと思うのです。

参加してくださった皆様、本当にありがとうございました。

共にあがいていただいた、向社神奈川の皆様、大変心強かったです。

そして、大きな見地からまとめていただいた村野先生、先生の存在があるからこそ、向社神奈川は、勇気をもって知的混沌の中に飛び込むことができます。

まだ、未参加の皆様、来年のテーマは、いよいよ向山実践の最高潮となる
「イノベーション」です。

「イノベーション」という語のもつ学問的背景、
そして、向山氏はどのように子どもに「イノベーション」を伝えようとしたか、
なにより、その実践を私たちがどのように展開させていけばよいか、

向社神奈川は、来年も挑戦します。

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