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【深い社会】11 ダ・ヴィンチの1番の作品は、芸術作品じゃない。

みなさんはレオナルド・ダ・ヴィンチと言えば、どの作品が一番だと思いますか。
「モナ=リザ」?
「最後の晩餐」?

・・・んーー、どれでもないかも。

さて、フィレンツェからミラノに移ったレオナルドは
自分のことをどう思っていたのでしょう。
ミラノ公への自薦書を読んでみましょう。
https://lettersofnote.com/2012/03/28/the-skills-of-leonardo-da-vinci/


私の最も輝かしい主よ、

閣下に私自身を理解してもらうため以下に簡単にリストします。

  1. 私は、敵を追跡したり、逃走したりするために使用できる、軽くて丈夫で、持ち運びが簡単な橋の計画を立てています。

  2. 私は、地形を包囲するときに、堀から水を取り除く方法と、必要な無数の橋、防盾、はしごやその他の器具を作る方法を知っています。

  3. 私には、すべての要塞やその他の防御を破壊する方法があります。

  4. 私は、最も便利で持ち運びが簡単なタイプの大砲を持っています。大砲からの煙は、重大な損害と混乱で敵に大きな恐怖を植え付けるでしょう。

  5. 私は、堀や川の下を通過する必要がある場合でも、鉱山や秘密の曲がりくねった通路を通って指定された場所に到着する手段を持っています。

  6. 私は、敵とその大砲を貫通する、安全で攻撃不可能な屋根付き車両を作ります。その後ろで、歩兵が全く無傷で、何の妨害も受けずに続くことができるでしょう。

  7. 必要があれば、非常に美しく機能的なデザインの大砲、迫撃砲、軽兵器など、常識にとらわれないものを作ります。

  8. 大砲の使用が不可能な場合は、カタパルト、マンゴネル、トレバケット、その他一般には使用されていない素晴らしい効率の器具を組み立てます。つまり、様々な状況に応じて、攻撃用と防御用の武器を無限に作ります。

  9. 海戦が起こった場合、私は攻撃にも防御にも非常に適した多くの兵器の例を持っており、あらゆる最も重い大砲の砲火や火薬や煙にも耐えることができる船の例を持っています。

え?あなた何者?
軍事技術者なの?

そして・・・・最後に・・・・

  1. 平和な時には、大理石、ブロンズ、粘土で彫刻を行うこともできます。
    同様に、絵画においても、彼が誰であろうと、私は他の人と同じように、可能な限りすべてのことを行うことができます。


やっと、納得。

ただ、この自薦書の1~9に書いていること・・・実はすべて未経験なんです。
人によっては、レオナルドはハッタリをかましただけ、なんていう人もいます。

さて、レオナルドはハッタリをかましただけなのか。
それとも本気でできると信じていたのか。

たしかにレオナルドは、「モナ=リザ」や「最後の晩餐」など、不朽の名作を残しています。
ところが彼が描いた作品は、全部で15作品のみ。
その高い技術により受注は多かったようですが、いつも途中で仕事を放り投げてしまいます。

そもそもミラノは武器製造で有名な街でした。
軍事に対してニーズがあることを十分に知っていたらからこそ、
軍事技術で自分を売り込んだんですね。
実際にレオナルドは都市防衛や水利事業の設計を行っています。
武器の設計も行いました。

レオナルドは、本当に芸術家と言えるのでしょうか。
彼の一番の作品は、おそらく、芸術作品ではありません。

彼の一番の作品は・・・・「メモ」です。

レオナルドは、公証人の血筋からなのか、
大量のメモを残しているんです。

・アトランティコ手稿 1119枚
・トリヴルツィオ手稿 51枚
・鳥の飛翔に関する手稿 36枚
・パリ手稿 12冊
・アッシュバーナム手稿 2冊
・ウィンザー手稿 234枚
・アランデル手稿 283枚
・フォースター手稿 54枚・158枚・94枚
・マドリード手稿 184枚・157枚
・レスター手稿 36枚

その数、合計13000枚。
実際はその3倍はあったと言われています(ほとんどが散逸)。
https://ja.wikipedia.org/wiki/レオナルド・ダ・ヴィンチ手稿

目にする様々な事物をじっくり観察し、記憶するようにメモを作りました。
当時は紙が貴重だったので、1枚1枚、びっしりと書き込んでいます。
このような観察と思考の蓄積が、軍事技術者としての自信を作っていたのです。

おそらく、レオナルド・ダ・ヴィンチの1番の作品はこのメモ群です。
どうやらレオナルド自身はこのメモを生かして本にしたかったようです。
残念ながら、1冊「芸術論」のみ、後世に本になりましたが。それ以外のメモが本になることはありませんでした。

しかし、このメモ群の存在が後世の科学者・芸術家たちのインスピレーションのもとになりました。

そして、500年後。
ある日本人、2人の人生に大きな影響を与えるのです。

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