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【深い社会】23 いよいよ明日、シン構成主義の全貌が!

さて、向山氏の全生研批判の続きです。


外的に与えられた自由で平等な関係が、
内的に獲得され育成された自由で平等な関係へ発展するのである。
そしてそれは学級内を単位とした関係から、
学級の外へとさらに発展させられていくであろう。


差別を憎み、自由で平等な関係を教師が作れば、
子ども自らが、自由で平等な関係を求めるようになる、と言っています。
そして、その態度は、社会に出たときも発揮されるというのです。


外的なものから内的なものへ、
与えられたものから獲得されたものへと発展していく中で、
個々人に求められるのは自主性であり主体性である。


「私たちの社会に自由で平等な関係を。」
それこそが、自らの学び、人生に対するアクティブな態度です。


そして、その自主性と主体性は、全集団 対 個別集団の中で、
集団 対 個人の中で、しか作り上げることはできない。

自由で平等な関係が発展すればするほど、
自主性と主体性はより強固に要求され、
自主性と主体性のより強固な発展は
完全な自由で平等な関係を要求するようになる。

この発展の中で、個人と集団はそれぞれ新しいものを生み出す苦しみを通らなければならない。

自主性と主体性が獲得される中で、集団の中の個々人の矛盾、
集団 対 個人の矛盾を解決する必要に迫られ、
集団は規律と規則とを要求するようになる。


自由で平等な関係を求める態度は、
集団と個人との葛藤から生まれるものとしています。
テーゼとアンチテーゼがあるからこそ、ジンテーゼが生まれる。

国家の言うがままになる共産主義。
教師の言うがままになる集団主義教育。

葛藤のない状態からは、新しい価値は生まれない。
葛藤があるからこそ、そこに、「集団 対 個人」の関係を超える新しい価値が生まれる。
まさしく構成主義です。

さて、向山氏がこの提案をしたのが26歳です。
向山氏はそこから、集団主義を超えた新しいテーゼ「授業群」を作っていきます。
そして、自らがリーダーとなって教育運動を作っていきました。


教育実践記録を書くことは、まとまった教育実践の発表であるというより、
より価値ある教育をしたいという、絶えざる追及過程への参加である。
優れた実践の創造は、教師全体に課せられた共同の仕事であり、
幾世代にもわたって引き継がれていく課題である。
それは一教師一研究団体だけでできるものではない。


そして、この絶えざる追及過程、構成主義的運動体に、
「法則化運動」と名付けます。

向社神奈川はこの運動体の実践群より、
アクティブ・ラーニングの原理として、以下の原理を抽出しました。


シン構成主義の原理①

「それは熱中する授業である。」

そもそも、子どもたちが熱中するしかけのある授業でなければ、
学習はアクティブになりません。


シン構成主義の原理②

「それは討論の授業である」

すべての問題解決は、弁証法を基にしています。
すべての授業は討論にあこがれます。


シン構成主義の原理③

「それは逆転現象のある授業である」

もっとも立場の弱い子がもっとも輝く。
そんな授業だからこそ、すべての子どもたちは自らの可能性に目を向けます。


シン構成主義の原理④

「それは仮説を作る授業である」

問題解決学習の目的は「ひらめき」の能力
仮説化する力があれば、新しい価値を生み出せます。


シン構成主義の原理⑤

「それは問いのある授業である」

問題解決の基本のキ。それは問いです。
問いがなければ、世界は動きません。


シン構成主義の原理⑥

「それは価値判断のある授業である」

価値を判断しようとするから思考が始まります。
問いの深化につながります。


以上、6つの原理を向社神奈川は導き出しました。

さあ、いよいよ明日、行われます。
第5回 主体的・対話的で深い社会科セミナー with 村野聡

6つの原理を生かした提案を講師のみなさんが準備しています。
もちろん、志半ば、矢玉尽き果て、知的シカバネと化す可能性も十分にあります。

それでも大丈夫。
ここまで一緒に歩を進めてくださった村野聡先生が、われわれの骨を拾ってくださいます。

どうぞ、ご参加いただき、その知的葛藤をご覧ください。

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