【雑記】対話の価値と落とし所を作るには

こちらの方々の話を踏まえて思う所をコメントしようとしたら長くなってしまったので、自分の所で雑記としてまとめて記載します。

対話の意味とは

まず前提として、対話相手の価値観をその場で変えるというのは基本的ほぼ不可能に近い芸当と思われます。
ギャラリーの価値観に影響を及ぼす(こっちの価値観のがいいなと思わせる)のがせいぜいかなと。

これはディベートの技術や知能が高くても不可能なのは変わらないどころか
下手をすると不可能さの度合いが高まる可能性すらあると思います。

先日の饅頭日誌のコメントでも少し触れましたが、10年くらい前にGoogleの人達が社食で『フリー・チベット』の名を冠するデザートが出た際に論争になり
お互い平行線のまま誰も意見を変えず何も解決しなかった(合意されなかった)というのが象徴的でしょう。

この時のGoogleの結論は『誰も処罰せず激しい論争自体にも罪は無いものとする』といったものでしたが、私もこれ以上の結論は無いだろうというのが現時点での考えです。

『様々な価値観があるという事を不透明にせず、明らかに出来る状況を確保しておく』ことが最悪の事態を回避するのに有益であり
これが対話を行う意味(価値)の一つでもあると考えているわけですね。

このGoogleにおけるフリー・チベット・ゴジチョコレート・クリームパイにまつわるエピソードは
こちらの13章の一節 ある政治的なデザート、もしくは「つねにすべての人を喜ばせる事はできない」 をご覧ください。


落とし所ってどうやってつくるのん

こちらもまた最初に前提の話になりますが、基本的に利害関係のある当事者間でなければ、そもそも落とし所を作る事は出来ないと思われます。
無関係の他人(代表者ですらない他人)が作った落とし所なんて誰も納得して受け入れないでしょう?

ではどうやってという話になりますが、これは問題解決のステップを整理する時の話と似ていると思っています。

問題解決においては、まず理想(あるべき姿)と現実(現状)の差を「問題」として整理するのですが
この「あるべき姿」が利害関係者同士で一致する点を見出す、あるいはそのような状況に追い込む事が非常に重要です。

戦争であれば「あるべき姿」に「とにかく一日も早く一切の戦闘行為を止めたい」と当事者双方に設定してもらうのも一つの道でしょう。
攻められた国が限界まで抵抗したり、直接戦闘に参加しない諸外国が経済制裁を行うのも「戦うのを止めた方がまだマシだ」と攻めた国に思ってもらう事には大きな意味があります。
この「あるべき姿」は本当に曲者なんですよ。何しろ状況によって変わりますから。

交渉のチャネルを確保し続けようとするのも、大きな破局を回避したいという理想を共有できるハズであるという期待(祈りに近い)が込められていると考えます。
また、それを共有できない可能性を、今回の宇露の戦争では多くの人達が懸念しているようにも思います。

問題解決のステップの話と流れについてはこちらがオススメです。
chapter5の一節 ②What:何が問題なのか(問題意識の明確化) あたりだけでも一読する価値はあると思います。

オマケで、饅頭noteで触れられなかったもう一つの分かり合えない話ですが
この話は何を「あるべき姿」とするかについて、事前に合意形成がなされていない対話であるという認識です。
双方の芸風とTwitterという舞台効果も相まって、プロレスショーに近いにものを個人的には感じてもいます(偏見)。

登場人物や状況次第で移ろう「あるべき姿」が今の自分にとってはどういったものなのか
そこと現状の差(問題点)が集中しているのはどこなのか、優先順位の高い問題に具体的に対処する施策は何なのか
それらを各々で自問する事をギャラリーは暗に問われているようにも思います。

紹介した本について

今回紹介した本はハードカバーだしそこそこお値段もするので学生さんとか買うの躊躇われると思いますが
手近な図書館で探したりリクエストするのもアリですよ。


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