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皆婚社会よりも自由恋愛社会のほうが、「普通の男性」が「女子供」に支払わなければならない費用は安くなる

まあお察しの方も多いと思いますが、実は書き始めた時系列は今回記事→前回記事前々回記事の順です。本当はあともう1連載あるのですがそれは今回記事よりもさらに前に書き始めたものだったりします。


ど、ど、ど、どうした小山狂人!?

小山晃弘狂人といえば、反フェミニズムオピニオンリーダーの中でも特にマスキュリズムの問題に特化した主張をしている代表的な論客ですが、「女をあてがえ論(皆婚社会待望論)」を支持する第一人者という側面もありました。しかし最近では「日本型皆婚社会」を批判する側に回ってきています。

この記事は元々「彼が女をあてがえ論者である」ことを前提にして、こうした動きが起こる前から執筆していたものなので、あまりにも想定外のことでした…

なぜ非モテ男性は「皆婚社会」を望むのか

長らく日本の「非モテ弱者男性」は、いわゆる「女をあてがえ論」すなわち「自由恋愛社会を禁止し、一対一の婚姻規範が徹底される」ことを訴えてきた、とされていました。

小山氏を含め、多くの論客はその理由を「自由恋愛社会とその下で『少子化対策』 子育て支援 を行うことの構造的問題」に求めてきました。

自由恋愛は未婚化を推し進めるばかりか、男女のパートナシップに深刻な危機をもたらす。上では触れていないがシングルマザーの問題も基本的には自由恋愛の必然的な帰結だ。
内閣府によって編纂された少子化対策白書(令和元年版)によれば、2015年の生涯未婚率は男性23.4%に対し女性14.1%と17:10ほどの開きがある。
なぜこのような差が生じるかと言えば、少数のモテる男性だけが結婚と離婚を繰り返しているからだ。このような構造を「時間差による一夫多妻」と呼ぶ。
そのような構造によって生じるのがシングルマザーだ。自由恋愛社会が性関係を代替可能なものに変える。それは「恋愛」だけではなく「婚姻」という関係でも変わらない。
シングルマザーに対する公的支援の必要性は常に叫ばれる問題だが、ここにもまたひとつの問題が生じる。シングルマザーの子供を未婚者の税金で養うという話は、相対的な強者の子供を相対的な弱者の税金によって養うという話になる。つまり徴税における逆進性が生まれるわけだ。この構造を批判する論者も多い。

「少子化対策」と「男女平等」を選び「格差対策」を捨てた世界が、未婚男性が奴隷階級として女性と少数のモテ男に奉仕する世界だ。シングルマザーでも全く困らず子を為せる社会制度を整えるには相当の原資が必要であることは想像に難くないが、未婚男性はその重税を課せられ続ける。なんの受益者利益も無いのに、だ。
どちらの世界を選ぶべきか、もちろんそれぞれの考え方があって然るべきだろう。しかしこれだけは言っておきたい。

男女の利害は対立している。

自由恋愛社会における少子化対策子育て支援は、このように「シングルマザーたる女とその子供を育てるために、非モテ独身男性が重税を課せられ続けなければならないスキーム」であるとされ、一方で男性の殆どが結婚できた皆婚社会であれば、このような重税は課されなくなるとも信じられてきました。

しかし、この見立ては本当に正しいのでしょうか。今回は改めてそれを検証していきたいと思います。

「結婚は一億円の無駄遣い」という言葉を知っているか?

2000年代末期から10年代初頭にかけての2ちゃんねる(現5ちゃんねる)の一部掲示板には、次のようなコピペがありました。

結婚を迷っている若き独身男性諸君、結婚ほど馬鹿馬鹿しいものはない。
今の20代、30代の女は「どうやって男にたかるか」を必死に考えている。
だまされるんじゃないぞ。

「結婚は1億円の無駄遣い」

実際は1億どころじゃ済まないけどな。子供ひとりで4000万の出費だ(0〜20歳)
宝くじでも当たったら、考えてくれよ。

結婚した瞬間に、30年間の強制労働が約束される。
どんなにがんばって稼いでも、自分で使える金額は1日数百円程度になるぞ。
どうしても買い物がしたければ、妻に頭を下げて「お願い」するんだ。
そして「無い袖は振れません」と、あっさり却下される。
残りはすべて、ガキと女が「当たり前のように、何の感謝もなく」吸い尽くす。

それが現実だよ。

ご飯=<昔>釜戸で1回1時間を1日3回→<今>電気炊飯器でスイッチひとつ
洗濯=<昔>たらいと洗濯板ですべて手洗い→<今>全自動洗濯機でスイッチひとつ
風呂=<昔>薪で炊くたので常時火加減が必要→<今>ガスまたは電気給湯器でスイッチひと
買物=<昔>原則毎日→<今>冷蔵庫の普及でまとめ買い可

家事は極めて軽労働になった。
さらに、コンビニやインターネット、風俗関係も、ますます「嫁いらず」に拍車をかける
昔は男にとって結婚も妻も「必要」だった。今は「人生の不良債権」にすぎない

そう、このコピペは、2010年代後半期の「女をあてがえ論」の台頭にかき消されてしまったわけです。2020年頃に一度再評価するムーブメントが起きたのですが、これもそこまで盛り上がらずに終わってしまいました。

皆婚社会待望論者は、この「元々男が生涯に渡って支払っていたコスト」を無視してきているのではないでしょうか。

これも繰り返し言ってきたことですが、日本型皆婚社会(あるいは“伝統的家族観”)は夫を稼得能力に、妻を出産育児能力に全振りさせることで、両者のトレードを容易にするスキームでした。

特に昭和戦後期では家計は妻が握ることが一般的でした(これももちろん女が家庭に入るインセンティブを残すことの一環です)から、やりようによっては一般的な子育ての経費を何倍にも超える額を夫に請求することもできたわけです。

さらに離婚すれば大抵の場合親権は妻に行き、夫は面会交流すら許されず(これについては緩和される兆しがありますが)、ただただ離婚前と同じように養育費をむしり取られていきました。

「子育て支援」と称した疑似一夫多妻制下のシングルマザー支援は未婚男性のカネをどんどん貪るスキームだとよく言われますが、そもそも昭和日本型皆婚社会では既婚男性でもここまで子育てのためにカネを貪られていたということを議論の起点とするならば、「普通の男性」の置かれている状況は自由恋愛社会・疑似一夫多妻制でも意外に変わっていないことが分かるかと思います。

「自由恋愛社会」において、それを負担するのは男性だけではない

このことを一部では「社会という『もっと大きなパパ』への鞍替え」とも言われていますが、これも正確な喩えには思えません。

そもそも「女性の社会進出」の「社会」にとっての最大のメリットは、女性の納税者を増やすことにあります。かの上野千鶴子氏も斯く宣っておりました。

今の日本の給与体系は家族給といって、シングルインカム(世帯主一人の給料)で家族全員を養えるように給料を払う考え方ですが、これをやめる。家族給を職務給に変えて、年齢性別関係なく、やっている仕事に見合った給料を払うようにしたらいい。正規雇用者の給料を下げて、夫に600万円払っているのなら、夫に300万円、妻に300万円払うようにすれば、納税者も増えます。

これは子育て支援の原資が税金であるならば、「子供を産まないないし産まなかった女性」も非受益者の立場で負担しなければならないことを示しています。

いやそうなることを防ぐために「誰もが安心してシングルマザーになれる」ことが目標になっているんじゃないかという反論も出てきそうですが、実際のところ女性が「産まない」選択をするインセンティブは「経済的問題」に限りません。妊娠による身体の急激な変化への忌避、「子供を育てる親」にかかる社会的圧力への忌避などもあります。これは御田寺圭氏も指摘していることです。

では実際、「子供を産み育てることを望まない(そうなるくらいなら自分で稼ぐことを望む)女性」はどのくらいいるのでしょうか。

この調査によれば、特にZ世代における「将来子供が欲しくない女性」は40%にものぼっています。彼女らも男性と同様に稼ぎの一部がシングルマザーやその子供に持っていかれるならば、一人あたりの負担額は、男性達が全額負担しなければならないと仮定した場合の約71%の負担(1÷1.4)になります。

皆婚社会でも馬鹿にならなかった費用が単純計算でさえ平均で3割引になる。男性側に妻子が欲しい積極的理由が無いのであれば(ちなみに先の調査で「将来子供が欲しくない男性」は過半数に及んでいる)、これは決して悪い話ではないと思います。

「妻子が(建前上)いるのが普通」から「妻子がいないのが普通」へ

さて、ここでもまだ読者の皆さんには次のような疑問が残っているでしょう。

「皆婚社会における嫁に持ってかれるカネよりも、自由恋愛社会におけるシンママに“税金”として持ってかれるカネのほうが安いことは分かったが、皆婚社会の下でそもそも結婚や子供を持つことを望まなかった男にとっては、メチャクチャな負担を強いることになるのではないか?」

しかしこうした疑問には、「皆婚社会」の下で男がそのような振る舞いをすることは本当に可能だったのかを考える必要がある、と回答しなければなりません。

従前のコピペの末尾部分に「昔は男にとって結婚も妻も必要だった」とあるように、かつてはインフラ・規範両面で結婚(事実婚含む)は「しておくべきこと」であったわけです。その意味では「皆婚社会」と言っても、その実情は「みんな結婚“できた”社会」ではなく、「みんな結婚“しなければならなかった”社会」であったと言えるでしょう。

「お膳立て」だって、そこからこぼれ落ちる人が最小になるための仕組みでしかありません。しかしそれでも、生活保護に繋がれず餓死してしまう人がいるように、皆婚からこぼれ落ちた人を0にすることは出来るはずはありません。また、これは次回記事でも詳しく取り上げる予定ですが、そうして「結婚の機会」が保障されたとしても、結婚後の生活の質、人間関係の質を保証しているわけではありません。

さらに言えば最近話題になった、いわゆる「WBPCの公金チューチュースキーム」も、それを正当化する理屈は「自由恋愛社会を求める側」ではなく、どちらかというと「皆婚社会を求める側」によって組み立てられたものです。その意味では皆婚社会待望論こそが余計に女にカネを流していると言えなくもないのです。

我々が目指すべき本当の理想は何か

さて、ここまで述べてきましたが、論理的にはそうなのかもしれないが感情的には受け入れられないという読者がまだ多いと思われます。もちろん私も「自由恋愛社会の疑似一夫多妻制で子育て支援が事実上のシングルマザー支援であること」がベストな社会の在り方とは思いません。しかし重要なのは「どちらが普通の男にとってマシなのか、どちらがベストな状態により近づけられるのか」ということを念頭に置いた上で、自由恋愛社会と皆婚社会(伝統的性観念ないし家族観)を比較検討することです。

あなたが「次世代再生産」を至上とする価値観に染まり切っているならば、確かに取るべき選択肢は旧来の皆婚社会一択でしょう。自由恋愛社会の下での子育て支援スキームの効果は皆婚社会のそれに遥かに及びませんから。しかしそのような状況では全く議論を進めることはできません。女性たちは「産む性であること」をちらつかせながら、無限に男へ譲歩要求をするだけです。

我々が目指すべき本当の理想、本当にベストな社会の在り方は「(人工卵子・人工子宮などの技術確立によって)女性の妊娠を介さずに次世代の再生産ができること」であると考えます。これによって男性は「女性を獲得ないし維持する」ためのあらゆる負担から、そして女性も妊娠によるあらゆる身体的な負担から解放されることになり、また真の意味で性別に関わらず子育ての機会が与えられる(かつ、それを望まない人には与えられない)ことになるからです。

しかしそのためには、「現行の自由主義」を何としてでも延命しなければなりません。ひとり親や同性カップルの子供は虐待されやすいなどという言説も蔓延していますが、その殆どは一夫一婦の異性婚を至上とする価値観が内面化されている、すなわち「旧来の皆婚社会一択」と変わらないのです。

我々も我々で、その「一択」の状態から、選択肢を増やしていかなければなりません。我々が立ち向かうべき敵は手強いです。でもそれに立ち向かっていくことこそが、自由のためにたたかう、ということなんです。