振り返りvol.8 高校生編 下

大学生編と比較し、かなりの薄さではあったが、ひとまずこれにて高校編は完結する。

では、本編をどうぞ。

⭐︎高校3年生編(2013)
勉強はイチからやり直す形だったが、RPGかのように取り組んだおかげで捗りまくって、かなりのペースで成績が上がった。
英語に至っては、東進の模試で3年の4月は120点、6月は140点、8月160点といったように面白いように上がっていった。
校内模試でも3教科で全体38位、偏差値は63くらい。
2年の実力テストで300位台だったところから、かなりの巻き返しを図ることができた。

ちなみにこの時も数学は0点 笑
3年では数学総合という一風変わった授業を取っていて、数学から解放された嬉しさで溢れていたので、全く勉強していなかった。
試験も始まった瞬間から全力で寝てたくらいなので、当然の結果だった。

ちなみに12月の模試の英語は153点だった。
10月はもはや記憶ないが、12月はよく覚えている。
なぜかというと、煩悩で集中できなかったからだ 笑
小学校1年から習字をやっていたのだが、どれだけ順調に昇級(段)しても、抜けない同期が1人だけいた。
その同期は別の学校に通っていて、会う機会は週一の習字の時だけだった。
いつも全く周りと喋らず、黙々と書いてる姿を見て、興味しかなかった。
どうにか話ができる状況に持っていきたかったが、先生にバレずにアプローチしたかった。
一度、帰りの時間が被ったときに外で声掛けようとしたのだが、バイバイするのが精一杯だった。

どうしたもんかと考え、次に思いついた作戦は手紙を書くというものだった。
手紙に良かったら連絡して欲しいという旨を書き、メールアドレスを載せた。
書くまでは良かったが、これをどうやって渡すかが次の難点だった。
落としたフリをして、拾ってもらうのがいちばんだと思っていたが、そんな上手く行くのか甚だ疑問だったがそれしか方法はなかった。
そもそも週一しか会うチャンスしかない上、確実に会える保証もなかったが、絶好の好機が来るのを待っていた。
あるときに千載一遇のチャンスが巡ってきたので、勇気を出して作戦決行。
できるだけ自然に振る舞い、後から紙が地面にあるかどうかを確認した。
落ちたと推測される範囲には紙はなかったので、どうやら拾ってくれたようだ。

その後何ヶ月も連絡が来ず、諦めて手紙を渡したことも忘れ去っていたが、受験勉強を始めた頃にメールが届いた。
そこからLINEでのやり取りが続き、予備校に行く前と終わった後はコミュニケーションを取る毎日が続いた。
毎日の楽しみだったし、支えだった。
彼氏がいるとは言っていたが、この日に会うことになっていた。
楽しみなあまり、会う前にあった模試で集中できなかったというわけだ。

また、高校最後の文化祭では、各クラスで演劇をやることになっていた。
裏方でも良いけど、最後の文化祭だし、少しは表に出たいなという気持ちもあった。
声と動き両方の演技を上手くできるとは到底思えなかったため、どちらか片方だけで良くて登場シーンも短く、の割にはインパクトのあるそんな都合の良い役があればやりたいなと思っていた。
クラス内の話し合いで、テーマは『オペラ座の怪人』にすることが決まった。
その後の配役決めで、これはできそうだと思う役を見つける。
それは、主人公ファントムの幼少期の役だった。
ボロボロの服を着て、酷い扱いを受けた後、支配人(?)の1人の首を絞め殺すというシーンのみでセリフはなかった。
短い登場シーンだが、これはインパクトがありそうだと、立候補することにした。

今思えば、これを文化祭の演劇のシーンとしてOKになったのは、なかなかの狂気である 笑
実際にその役割を果たしたのだが、やっていた当時は何も思っていなかった。
むしろ良い経験をしたかなくらいに感じていた。
3年時のクラスメイトとの関係が、2年のときより遥かに良かったのもチャレンジできた要因だ。
1人だけはめちゃくちゃ嫌われていると感じたが、そこさえスルーすれば万事解決という感じだった。

合唱コンクールでは、1年時がflumpoolの『証』で3位/10クラス、2年は記憶なしだった。
そして、最後の3年の年は『流浪の民』で優勝という結果だった。
とにかく音痴だったため、クラスの指導係とマンツーマンで個別レッスンをするほどだった。
しかし、練習をしてなんとか及第点のところまでは行けたようで、足を引っ張ることなく終えられた。

そして、人生のターニングポイントの一つである大学受験に関しては、気持ち的には "関大" 外国語学部一本で受けようと思っていて、他の大学はほぼ情報も集めていなかった。
その様子を見ていた母が勝手に "関学" のオープンキャンパスに行って、パンフレットを持って帰ってきた。
ダメ元でも良いから受けたら?とのことだった。
後日、そのこと担任からも予備校のスタッフからも関学は難しいよと言われていたので、半ば記念受験のつもりだった。
予備校に過去問が6年分置いてあったので、直前に印刷して試しにやってみた。
回によっては意外と良い点数取れたりしてたので、運が良ければひょっとするかもなと思っていた。
この時は、それが実現するとは思いもしてなかった。

1月にセンター試験を挟んで、来たる2月1日、眠くならないようにレッドブル+眠眠打破を飲んだ私立試験当日。
(結局、試験を受けた7日程全てでこの組み合わせを飲んでるので、かなり身体には悪いことをしたと今では思っている 笑)
英語解いてる時は絶好調で、ノリノリで解くことができた。
頭の中でワンオクの曲が流れていた。
調子の良い時は、頭の中で曲が流れつつもしっかり問題がスラスラと解けるのだ。

国語はよく分からなかったので、ほとんど勘だった。笑
続いて地理の試験だったのだが、ここでミラクルが起きる。
前年度とは打って変わって、得意な問題形式に変わっていた。
これはワンチャンあるぞと思って、しっかりと丁寧に問題を解いていった。

試験前は然程だったのに試験が終わってから、関学いいな〜と思い始め、パンフレットを眺めたりしていた。
母から今更見ても遅いよ と言われたくらいだ。
9日の合格発表のときもさほど期待せずにタブレットを操作し、合否照会したことを今でも鮮明に覚えている。
自分の受験番号をリストから見つけた時はほんとに目を疑った。
母と叫びまくった記憶がある。

最速の合格発表で合格、しかも受かったのは初日の試験 というなんとも幸運な結果を残し、大学受験生活は幕を閉じた。
高校受験時に悔いが残っていたのも晴らすことができた。
何より1日から3日連続で試験を受け、1日置いて、4日連続で受けてたため、モヤモヤする日が1日もないことがすごく有難かった。
これは何かのご縁だと感じ、入学を決断。
学部学科が多岐に分かれているため、正式名称が『文学部文学言語学科英米文学英語学専修』という早口言葉かよと思うくらい長かった。
まずはこれを暗唱できるようにするところから始めた。

また、受験会場は大阪だったため、キャンパスに足を踏み入れたことがなく、合格発表後に初めて大学に行った。
入学して少ししてからは慣れてしまってなんも思わなくなってしまったが、初めて行った時はとても感慨深かった。
とても綺麗でオシャレなキャンパスだと思ったし、春から通えると思うとワクワクした。

また、私の人生が右肩上がりになっていく一方で家族関係は少しずつ崩れていった。
私が中学生くらいまではとても関係は良かったのだが、それ以降はいくつか要因があり悪化の一途を辿った。
特に父と母の関係が悪くなるのと比例する形で私と父の関係の関係も悪くなって、大学卒業時は一切会うこともなく連絡も取らなくなっていた。

高校生編 完

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