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虚構なしでは生きられない私たち

人類、ホモ・サピエンスが他の種より優れている理由は「虚構」を生み出すことができたからであるとされている。※「サピエンス全史」より

貨幣、会社、法律、神や宗教など、物理的に存在しないものを生み出し、それに特別な意味や機能、価値を持たせ同種の群衆をコントロールしようとすることができたのは、ホモ・サピエンスだけだという。

犬や猫が通貨による取引をしたことはないし、猿やチンパンジーが食事の前に祈りを捧げることはない。

過去存在し、絶滅した他の人類種はこの虚構を生み出す力が不足していたとされる。同時期に存在した種はホモ・サピエンス種によって淘汰されたとも考えられているそうだ。

また、人類種の根底にはこういった他種への攻撃性だけでなく同種をも間引くような風潮が見られる。それは今ほど食糧が潤沢ではない環境下において、優秀な子孫や働き手を得るための問題解決という合理的な理由による。

こうした行動は冷徹な行動は自然界では珍しくない。ただ、脳の発達したホモ・サピエンスにおいては猜疑心が発生することもあったかと思うが、人類自身によって生み出された「神話」や「呪い」などの虚構がこれらの感情を支配し、コントロールすることができた。

近代においてもそれは主教的な差別であったり、ヨーロッパにおいて「魔女狩り」が行われた事実は有名だ。現代においてもそれは形を変えて続いている。

人類の根源には多様性を受け入れることとは真逆の生物的本能がインストールされていると考えられる。同種内で殺し合い、身体的精神的特徴を排除しようとすることは、倫理的な観点を除けば種の存続のためには理にかなっている。

人を殺している生物ランキングでは、1位が「蚊」で725,000人、2位が「人間」で47,5000人と言われる。

人は自らが生み出した虚構に強い依存性がある。宗教対立や、国境争いなどは、「宗教」や「権利」という虚構がトリガーになっている。自ら生み出した存在しない何かに、人を攻撃する動機づけを自ら科しているとも言え、誤解を恐れず言えば、同種を滅ぼす行為として酷く滑稽な話のようにも思える。

例えば、10000年後、地上から人類種が絶滅した先には、それらの虚構は果たして「存在」するだろうか。

遺跡となった仏像や寺院、国境を示す道路標識などの脇を、野生の動物が闊歩するような世界では、人類がこれだけ争った理由は無に帰す。

もはや虚構なしでは生きられない私たちは、せめて家族や隣人と争うことなく、愛情を持って接し、友愛に満ちた社会を築いていきたい。

それが脳が生み出す虚構だとしても、そこに存在する人々は現実であるからだ。


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