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chapter.7 電子マネーとアブラサス

「沖田リーダー、また出張ですか?」

ロッカールームにガラガラと音を立てて入って来るその手には、見慣れたリモワのスーツケース。

学生時代、ラグビー部の主将だったというその体の前では、ビジネスサイズのそれは、なんだか子供用に見える。

「おおよ。
今週はインドネシアの工場の視察な。」

沖田チームリーダーは手際よくスーツケースをロッカーに収めると、陽に焼けた浅黒い顔で振り返った。

出張が多いのは、うちの会社では出世コースに乗っている証拠。
まぁ入社5年目でチームリーダーになってる事自体、最速コース確定なんだけど。

「出張が多いのも大変ですねぇ。
先週はオランダ、その前はタイでしたっけ?

僕なんか、色んな通貨で財布パンパンになっちゃいそうですよー。

今流行りの電子マネーだって、結局使いこなせずに小銭貯めちゃってるくらいですから。」

「電子マネーか。

そうだなぁ、電子マネーもいいけど、その国々の貨幣ってヤツもなかなか味わい深いもんだぞ。」

言いながら沖田リーダーは懐から薄い名刺ケースのような物を取り出した。

「これがインドネシアの貨幣、ルピアな。」

ケースからカラフルなお札が数枚顔を出す。

「え、それ、財布だったんですか?」

「あぁ、これな。
いいだろう? こんなに薄いのに小銭まで入るんだぜ。
俺は出張行く時に、コイツを二つ持って行くんだ。」

「二つ?!」

「そう。日本用と海外用。
色違いで待ってけば、間違えないだろ?」

「おおー確かに!
ちょっとそれ、見せて貰ってもいいですか?」

受け取った正方形の薄い財布の中には、紙幣や小銭の他に、カードや鍵の入るところまである。

「なぁ小澤、貨幣ってのはさ、国そのものだとは思わねぇ?」

「え?」

「同じような形はしてるけど、国によって価値も違えば、持つ人、使い途も様々だ。

俺さ、出張行く度に、その国の貨幣見ながら思うんだよ。
どんな人がどんな思いでこれを使ったのかな…ってさ。

数字にしちまえば皆んな一緒だけど、札には札の、小銭には小銭の立ち位置みたいなのがあるだろう?」

「確かに…」

「電子マネーじゃ測れねぇよなぁ。
そういうもう一つのお金の価値みたいモノはさ。」

「そうですね。
僕らも昔は『諭吉』って聞くと、おぉ! みたいなとこ、ありましたもんね。」

「だろ?
だいたいさ、お賽銭まで電子マネーとか、ありえねぇよな。」

「ですねー!」




財布には、小さく『abrAsus』と書かれていた。

(アブラサス。
なんだかアラビア語の呪文みたいだな…。

貨幣のもう一つの価値…か。

世界中を旅したジーニーも、同じような事、考えたのかな…)

僕は沖田チームリーダーの大きな背中を見ながら、薄ぼんやりとそんな事を思っていた。




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