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"いい" 写真を求めて、今日も彷徨う。

電源を付け、ファインダーを覗く。
F値を決め、SSを決める。
ピントを合わせる。

ああ、綺麗だと思いながらシャッターを押し込む。
カシャンと、音が鳴る。

冒頭の写真は、桜のポートレート。
僕は顔を写さないポートレートをよく好む。
表情が写るのも好きだ。だが、表情で語らない、表情以外で語る写真がより好きだ。

人間は外界の情報の7割を目の視覚に頼っている。だから表情を持っている。人間ほど表情豊かな動物は存在しない。だからこそ、表情で語っては面白くない。と思っている。

あえて、顔は写さない。そうすることで別の雰囲気が生まれる。明るい人、元気な人、真面目な人、自分をあまり出さない人。いろんな人が入りまじり、人は人との関係を紡ぐ。そこには性格も、表情も関わる。だが、こうしてファインダー越しに捉えれば、その先入観は消し去ることさえもできる。新たな世界の住人を生み出すことさえできる。まるで別人を撮ることさえできる。ような気がする。

風景にも言える。
いつも見ているごく当たり前な風景でさえも、カメラ越しに捉えれば、見たことのない風景の表情を撮ることができる。普段見る表情を撮らず、別の表情を見つけ、捉える。シャッターを押し込む。

人間の目では把握できない光景を見ることができる。見させてくれる。そこにある光景を視覚情報だけでなく、その空気さえも、音さえも聞こえてしまうような写真を残す。
グッと力を込めてシャッターを押す。
これが最高なんだ。

普段の当たり前にある光景を当たり前で済ましてはならない。今日見た空は、雲の形は、波の形は、友達と話した馬鹿な話は、家族と過ごしたあるひとときは、二度と同じものは現れない。
綺麗だ。最高だ。と思ったその時に写真を撮る。

こうして、自分の見たことのない世界を作っていく。広げていく。揃えていく。

"いい"写真の定義なんて、分からない。
常に"いい"は不安定で、不確定要素だ。
その時、綺麗だと思い、写真に収める。
また、その写真を見返して綺麗だと思えれる。

初めてその光景を見た時の、「綺麗だ」「素敵だ」「最高だ」という "思い" を再び思い出させてくれるのが "いい" 写真なんだろうなと僕は思う。

だから、"いい" 写真を決めるのは、有名な写真家でもなく、上手い人でもない。
自分だ。だから正解は無い。
だからスランプなんてのも存在しないはずなんだ。

ファインダー越しに見る世界は最高の世界が広がっている。普段見えない景色を、普段は気にしないような些細な光景さえも、最高の瞬間にしてくれる。そんな光景を求めて、僕は今日もファインダーを覗く。

だから、写真が好きだ。
これからもやめられない。

今日も、カメラを持って、出掛けよう。彷徨おう。
最高の瞬間を求めて。

"いい" 写真を求めて。

#写真
#写真論
#趣味

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