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猫を、飼う

 猫を飼っていない人に尋ねたいのだが、なぜ猫を飼わないのだろうか。人生の目的を産道に忘れてきてしまったのか。

 愚問かもしれないが改めて確認すると、生きることとは猫と関わることである。現時点で猫と無関係を貫いている方がもしこの世に存在するのであれば、それはもう生きてるとは言い難いとまではいかないが、遠からずな存在ではあるだろう。

 もちろん私に関しても最近海外からやってきたミームによって、毎日頭がチピチピチャパチャパしているので、かなり生を謳歌している近況である。


 さて、ちょうど良い機会なので私の飼い猫について紹介したいと思う。友情の始まりは2年ほど前、まだ私が定職についていた時代の話だ。

 当時はブラックフライデーの真っ盛りであり、流行に敏感な私は週末に何かを購買しなければならないという強迫観念に囚われていた。

 一方で私の反体制的な気持ちも同時に燻りを見せた結果、店に立ち寄りはするが逆張りして「ブラック」の要素から外れたペットショップに入店しようとしたことが、私の愛猫との出会うきっかけとなる。
 店に入ってガラス越しに並べられた沢山の動物の中からどの個体にするかを選ぶ過程に関しては、誰も興味が湧かないと思うので割愛する。

 熟考の末私はセール価格で売られていた白黒の縞々柄の三毛猫と家族になることに決めた。決め手に関しては単純明快、ブラックフライデーを抜きにしてお買い得だったからである。

 かくして(生き物を扱うのにキャッシュレス決済はどこか憚られるため)現金で支払いを済ませた私は、大きなお荷物を抱えて帰路についたのである。


 生き物を家に連れて帰った後、初めに行うべきことは何か?いうまでもなくそれは名付けである。
 私も当然両親に飼われていた時代があるので、自分がこれから生まれ育つことになる家に初めて訪れた際に名前をつけてもらった。今はその名前はもう使っていないが、思い返すと非常に懐かしい気持ちになる。

 名前とはその者の運命を左右するほど重要な要素であるが、凝りすぎても寿限無のように悲惨な運命を辿りかねない。適当さと丁寧さとの程よい塩梅で名付けることが肝要である。


 では具体的に私は愛猫にどのような名前を刻むことにしたのか。案の一つとして出たのは、当時の私が韓国のアイドルのファンであったことに関連するものだ。その入れ込み具合は空前絶後であり、もし自分が子供を産んだ際はその有名曲から名前をもらおうと思っていたほどであった。

 その計画をここで採用し、我が猫ちゃんを
        
        「バター」

と呼ぶという考えも一瞬頭をよぎった。しかし残念ながらその案は脳内裁判で却下されることになる。

判決の決め手は

 「その名は犬に付けた方が似合うだろう」 

 という『千と千尋の神隠し』のハクに似たショタの左脳検察官の発言であった。
 なるほど、私の頭の中の司法はセンスで光っている。ちなみに私の三大欲求は常に満ち足りており本件とは何の関係もないことは念の為明記させていただく。


 やや回り道をしたが名付けのゴールまでもう少しなので暫しお付き合い願いたい。私が最終的に注目したのは「出会った時期」であった。

 どういうことか例を挙げるまでもないと思うが、5月生まれにはメイとつけるようなケースが良い例となるであろう。

 名前が日記になるような、便利さを兼ね備えた実用的な命名法といえる。私が猫を飼うことになるその日はちょうど『葬送のフリーレン』の漫画が人気を博していた。

 知っての通り当時の私はフリーレンの大ファンであった。アニメ化が決まったと知ったときは原作者よりもハイジャンプして喜んだ程であり、特大ファンと言ってもいいかもしれないレベルであった。

 あいにく今はその熱が多少冷めてしまったが、「あの日あの時期、私はファンであった」という気持ちを猫に閉じ込めておくのはお得で良いかもしれないと思った訳だ。

 つまり私は『葬送のフリーレン』から音を借りて、

         「曹操」

と名づけることにした。その日から私は曹操の右腕、軍師となり、馬車馬のように働くことになったのだがそれはまた別のお話である。


 以上が今回の内容である。私は歴史に明るくないのでよく分からないが、曹操というのはキュートな響きで良いと思う。全くもって後悔していない。そんな2年前は親指くらいであった曹操も今はめっちゃでっかく成長し、バターと一緒に今日も野山を駆け回っている。

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