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父のルーツを辿る旅、ブラジル文化のルーツがあるサルバドールへ【前田家の世界一周】

世界一周をするにあたり、過去に旅をしてきた色んな先輩方のブログを読み、旅のルートや観光先を学んできました。るるぶには載っていないような情報も、ブログであれば読むことができました。

旅人の皆さんに助けられてきたので、私も次に旅へ出かける人の手助けになりたいと思い、ミニガイドブックになるようなnoteを書くことを心がけています。そのため、エモい文章からはかけ離れたテイストになりがちです。

ただ、今回のnoteに関しては、少し違います。

サルバドールは、特に観光の目的で行っておらず、次の目的地への中継地として滞在する予定でした。よくよく考えてみると、サルバドールは家族と深い繋がりがある場所だったからです。私が訪れたことが、家族の古い思い出を蘇らせたようで、私自身にとっても思い出深い滞在になりました。


リオ・デ・ジャネイロからサルバドールへ

ということで、リオ・デ・ジャネイロからサルバドールへ向かいます。飛行機で1,224kmも離れている都市で、東京〜福岡の1,000kmよりも遠いです。やっぱりブラジルのスケールが大きい。


そんな長距離の移動なので、今回は飛行機です。しばらくバス移動が続いていたので、空港が久々で嬉しい。

ブラジルのLCC、GOL航空で向かいます。フライト時間は2時間程度です。バスに比べたら飛行機ってやっぱり早いし、楽だわと思った瞬間でした。

サルバドールを見下ろす

サルバドールの空港を出ると、配車アプリ専用の乗り場がありました。何度も言いますが、コソコソせずにUberに乗れるの精神的に楽で最高です。空港の近くで予約したAirbnbへ直行します。

空港を出ると、雰囲気が良い竹林を通る

ビーチの街と聞いていたので極暑な気温だと思っていましたが、灼熱ではありませんでした。若干、蒸し暑いかなと思ったくらい。

サルバドールとは

ブラジルのバイーア州に位置するサルバドールは、1549年から1763年までブラジルの首都でした。ブラジルのサトウキビや金などを輸出していた場所でもあったことから栄えていた都市ですが、一方で奴隷貿易も行われていた場所であり、ダークな歴史もある街です。

そんな歴史もあり、サルバドールがあるバイーア州の人口の8割は黒人か、そのルーツを持つ人と言われています。他のブラジル都市(とその他、南米諸国)と比較しても、圧倒的に黒人の方が多いと感じましたし、サルバドールをとてもユニークな場所にさせていた気がします。

そして、その歴史はブラジルを代表する文化であるサンバ、カポエイラなどにつながっています。

って、このような歴史背景は、noteを書くときに調べて書いているので、言った当時は知らなくて、「おいおい、こんなに深い歴史がある街だったんかい」って今更思っています。知った上で行ってたら、もっと見るものも多かったかもしれない。

サルバドールの滞在先と素敵な出会い

サルバドールでは2箇所のAirbnbに滞在していました。

1箇所は空港の近くにあるLauro de Freitas地区で、観光エリアから車で45分ほど北東に進んだ場所です。2箇所目は、Rio Vermelhoと呼ばれる観光地に近くて、ビーチからも徒歩5分の場所にあるところでした。

それぞれの滞在先の詳細はこちらのnoteで、レビューと共にまとめています。

サルバドールの滞在で印象深かったのはRio Vermelhoの宿でした。ここには1泊2日しか滞在しなかったので、本当に寝るだけのつもりで借りていたのですが、思いもよらない出会いがありました。

右から2番目がお母さん

ご自宅兼美容室を営まれているお母さんの家にある1室を借りました。英語が話せる息子さんがいらっしゃって、お母さんのお姉さん?妹さん?も一緒に住まれている、アットホームな宿です。

滞在していた夜、水を飲もうと思い部屋からリビングに出ると、ファミリーが団欒していました。ポルトガル語で楽しそうに話していたので、私はしれ〜っと横を通ったのですが、帰り際に話しかけられ、サルバドールの滞在について質問されました。息子さんが通訳してくれながら10分くらい話したのですが、ファミリーの皆さんのウェルカムな気持ちを感じました。

そして帰る日。1泊という短いステイでしたが、お母さんが家の鍵につけていた「EU♡SALVADOR(I LOVE SALVADOR)」と書かれたキーホルダーを私にプレゼントしてくれました。ハグをして家を去り、お母さんは、私たちの姿が見えなくなるまで見守っていてくれました。

交わした言葉も少なかったですし、滞在した時間も短かったけど、すっごく温かかったんです。自分の母親に似た母性を感じて、去るのが寂しくなりました。いただいたキーホルダーは、今も私のカバンにつけてあります。

こういう出会いがあると、その土地が好きになるし、来てよかったと心から思えますよね。

サルバドールの旧市街

セントロにある旧市街、ペロウリーニョ広場です。世界遺産としても登録されている歴史地区です。

コロニアル様式のカラフルな建物がたくさん並んでいます。観光スポットなので、警察官もそこらじゅうに立っていて、少し安心しながら歩き回れる雰囲気がありました。

お土産物屋さんやレストランも多くあります。カポエイラや、アフリカンな民族衣装を身に纏ったパフォーマンスも見れました。

教会や修道院もここに何軒かあって、願い事を叶えるためのミサンガが巻き付けられている柵も多くあります。どこの国でも、このような願いを巻きつける文化ってありますよね。七夕の短冊みたいな。

お願い事を叶えるリボンがたくさん巻き付けられていた

低くてカラフルな可愛らしい建物が多くて、ついつい写真をたくさん撮ってしまいました。

あとあと調べていて分かったのですが、この広場ってマイケル・ジャクソンの「They Don't Care About Us」のMVが撮影された場所だったんですね。

見覚えがある場所がたくさんあって、このMVを見てから行ってたら、もっとまじまじと観光していたかもって思いました。悔しい!

サルバドールと家族の関係性

さて冒頭で話していた、サルバドールと私の家族のつながりについてです。父が20代〜30代の頃に、ブラジルのサルバドールに住んでいました。父が社会人1桁台だった頃の話で、1970年代。会社の赴任ではるばるブラジルまで来たようです。

社会人数年目でブラジルに赴任を命じられるって、どういうこっちゃ。

その頃の中南米は、まだまだ発展途上。中南米に来た理由も、いろんな国や地域に通信網を引いていたとか、政府を相手にビジネスをやっていたイロハとか、そんな話ばかりです。

若くして、とある国のインフラを作る仕事をしていた父です。きっと、青春を過ごしていたんだと思います。

そこで、私の姉2人も生まれています。

姉は2歳にも満たない年齢で日本に帰国しているので、その後、ブラジルに行ったことはありません。住んでいた家や、生まれた病院なども、生で見たことはありません。でも、ずっと気になる場所。

そんな、父の青春と、姉の故郷に、三女の私が舞い降りました。

父から住んでいた場所(うろ覚え)を聞き出し、その周辺を歩き回りました。セントロから少し離れた場所です。古い建物が多く、もしかすると住んでいた家も残っているかもしれない。

「住んでいた家は広場の角にあった」とぼんやりした父の記憶を頼りに、そこらじゅうの建物の写真と動画を撮りました。

家の近くにはローカルが集まるマーケットや小さなレストランが並んでいます。

外国に赴任すると、だいたい高級な住宅街に住むことが多いイメージがありましたが、父が住んでいた場所は、びっくりするくらい高級では無く、普通の場所でした。青空床屋があったくらいです。

父と姉には写真と動画を送り、住んでいた建物がまだ健在であったこと。また、荒削り感が残る超サルバドールな雰囲気であったことを伝えました。

観光客だったら行っていなかったような場所だったので、これも縁だなと感じ、思い出深い場所です。

昔と同じ景色のサルバドールの海

父が姉を連れてよく行っていたという「バーハ海岸(Praia da Barra)」にも足を運びました。横に広いビーチで、多くの観光客が集まっていました。

海岸の横に伸びる道が広々していて、歩いているだけでリフレッシュができます。

この通り沿いにレストランが多く建てられていて、ビーチを眺めながらランチをしました。

場所はRestaurante Kitanda(Google Mapのリンク)です。

ここではシーフード系の料理だけではなく、地元料理を食べることができます。例えば、とうもろこしの粉を蒸して作られたちまき的なもの。名前がわからないですが、おいしかったです。

夫はバイーア州の名物料理の「ムケッカ(Moqueca)」を食べたい!と待ち望んでいたので、ここで食べれた時はとてもご満悦でした。ムケッカは、海鮮の煮込みです。スープほどシャバシャバしておらず、メインとして食べる料理という感じでした。

同じレストランでシーフードライスもいただきました。貝の砂抜きがちょいあまくてジャリジャリしていたのですが、味はGood!

レストランで食事をした後、さらに海岸の端まで歩くと「バーハ灯台(Farol da Barra)」があります(Google Mapのピンはこちら)。これは、1698年に建てられたサルバドールのシンボル的な存在の灯台です。ブラジル全土でも最古の建築物の一つと言われているそうです。

この灯台にも、姉を連れて遊びに行っていたとのこと。

この灯台の周りを歩くことができるのですが、ここから見る地平線を眺めながら、お父さんも姉を連れてこの景色を見ていたのかなあ。仕事で疲れた時に、海に癒されに来ていたのかなあ。とか考えてしまいました。


まとめ

サルバドールでは、特に観光の予定もなく、次の移動先に行くまでの滞在地だけのはずでした。父の思い出を辿る旅をして、知らなかった父の一面が見えました。

自分が生まれる前の親の姿って、あんまり考えないですが、父にも、父じゃなかった頃があるんだな。そして、その若かりし頃を、この遠い遠いサルバドールで過ごしていたのか、とただただ驚きです。当時はもっと大変な土地だったでしょうから、毎日サバイブしていたんだろうと思うと、想像ができません。

父と一緒に来たら、もっと色んな思い出話が聞けたかもしれません。何度も誘ったのに、断られ続けました。やっぱり、一緒に来たかったなあ。


\私はこんな人です/

プロフィール:
1987年生まれ。埼玉出身、11歳まで大宮で育つ。そこから親の仕事の都合でアメリカ・ニュージャージー州へ。2011年に帰国し日系メーカーに新卒入社。そこから外資金融メディア→外資製薬→外資メディアへ転職。2021年7月11日(セブン・イレブン)に前田塁と入籍し、2023年8月に仕事を退職し夫と世界一周、新婚旅行へ。

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