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近藤一樹はこのままじゃ終わらない

 15日の「若手のミスをカバーできず、自分までやっちまった」でぶち壊してしまった試合(2020年9月の対DeNA戦)は、正直、こたえました。
 というのは、ここ何年か登板を見続けてきて、このような「チームメートがミスをした後」という場面はきっとなんとかしてくれる、という信頼感があったから。おかしな言いかたになりますが、若手の失策のあと、「よしっ、これでやっとスイッチが入るぞ」と逆に期待したほどでした。

 別稿で「火消し特性」という妙な造語まで使って言いたかったことは、単に「イニングあたま」「イニング途中」というシチュエーションの違いで結果の違いがある、という数字そのものの話ではなく、「ほかの誰かが原因となって発生したピンチのさいの信頼感が絶大である」ということでした。
 その印象が「気のせい」ではないことをなんとか示そうとして、単なるしゃらくさい「数字遊び」にも見える集計を試みたのですが、少なくとも、わたしが心をわしづかみにされた2017年の登板についていえば、印象を裏付ける結果になっていました。
 一方で「登板時にチームメートのミスで招かれたピンチ」については、「チームメートのミス有り」「チームメートのミス無し」に分類して集計することが非常に難しく、手が着いていない状態です。
 単純に「自分以外の失策有り」「自分以外の失策無し」に分類して、(自責点ではなく)失点を分子として「防御率的数値」を求める、という方法で、ある程度の傾向をつかむことができると思いますが、「記録に表れないミス」を拾うことができないので、自分の印象に根拠があるかどうかを判断する材料にはなりにくいと考えています。

 21日(2020年9月の対中日戦)のビハインドでのイニングあたまからの登板は、結果からそう見えてしまうのか、「スイッチが入っていない」ように見えました。
 信頼できるウォッチャーの面々によれば、「猪木のギリギリまで相手の攻撃を正面から受けて、そこから反撃し勝利するという魅せるプロレスを野球でと書いてる途中で打たれました」、「投げっぷり勝負の投手だが、今日はいつにも増して投げ散らかした感じだった」、そして「知らない誰か」。

 過去の登板時の印象以外には根拠のない、ほとんどすがるような期待ですが、近藤一樹がこのままで終わることなく、かつての輝きを取り戻すためには、「イニング途中、塁上走者で埋められた厳しい場面での登板」の機会こそが与えられるべきだと信じています。

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