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情熱のオーラ 野村さん考 @リストラーズ

公開されて 一週間
ようやく構えることなく見られるようになった動画がある。

B面動画 「【振り付け研修動画】涙のリクエスト」

 
何もそこまで緊張せずとも と自分に言い聞かせても 気がつけばギュッと
こぶしを握りこんで凝視の構え、気を抜けば涙ぐみ、手のひらに爪痕が残るほど気合を入れて握りしめて見ていた動画だ。
 
内容は e-ラーニングビデオ風に淡々と 彼らの母校で撮影された「涙のリクエスト(チェッカーズ) アカペラカバー」の踊り部分の指導?説明というもの。
 
完成された作品は
大空のもとで 楽しく 明るく歌い踊り、新しいファンを数多く掴んだと思われる熱量たかいものだ。
撮影場所も次々変わり、彼らの母校愛を 思い出の場所に 丁寧に刻むように
歌われている。

視聴しているだけで 二重にも 三重にも 見る側の思いが重なり、エモーショナルな動画のひとつだと思う。
 
Xで リス推しさん達の会話を見ていると 自分ひとりでは気づいていない
ポイントもあり、この動画の話題は 何度も打ち返す さざ波のように
いつまでも尽きない。

 
完成作品については 別の機会に譲ることにして
冒頭の e-ラーニングビデオ。

もちろん 最推しさんオンリー出演ということは大きいのだが、筆者は 何かを創っていく「過程」あるいは「工程」に注目してしまうクセがある。
 
B面は 比較的 熱心なファンが主に視聴してらっしゃるのか、再生数は
リストラーズのものとしては多くない。
だが ここには A面?では見えない 気付かないような ちょっとカーテン裏を覗いたような 秘密の宝箱のようなものが置いてある。
 
視聴されること前提で 公開されているのだから 秘密でも何でもないのは
確かなのだが  ファンの心を こういう形でくすぐるのが リストラーズなんだなー。
 
で、この動画。
前回のギンギラギンのものより長尺で 普段の野村さんにちょっとだけ近い姿が見られる・・・ような気がする。

カメラの向こうにいる視聴者の視線を必ず意識の中に置いていらっしゃる
野村さんのことだから 素のはずはない。
それでも シャーベットグリーンのカーテン前で 靴下のまま研修動画を撮影されるのは 筆者の目に新鮮に映る。
 
そう言えば 歌う野村さんに すっかりつかまれたあと、歌ってないときの声を探し回ったことがあった。
アイドル憑依中の野村さんの声ではなくて 通常に近い時はどんなふうに話されるのかを知りたくなったのだ。
 
MCで話されるシーンを見つけた時 キビキビしたイメージどおりながら
やはり少し高めの声なのだなと思ってみていた。

が、この研修動画では 低め 低めで話され 歌を追って踊るときも 声は抑え
気味。 もしかすると 家人のことを考えて あまり響かせないよう気をつけていらしたのかもしれない。

その中でも 途中で 熱が入って うっかり高めのキーが出てしまうこともあって、このあたりに臨場感のようなものを感じて 変にどきどきしてしまう。
 
振りつけは 「集合練習の時にみんなで考える」※とおっしゃっていたが、
研修動画の講師役は2回目。エンターテイナーとして 「見せる」ということを 中心に考えてらっしゃるからこそ、講師役が回ってくるのかもしれない。

(※ 顔じゃない本じゃない ギンギラギン振り付け動画裏話 編集後記参照)
 
加藤さんも 見せる意識の高いかただと思っているが、独自性があるというか、加藤さんにしか出来ない部分で ファンを計算ずくで なぎ倒してくる
かたで、ある意味 手練れではないかと思う。
 
澤田さんは とにかく楽しませることを中心においていらっしゃるような気がして、(かなりイケメンなのに)ご自分をかなぐり捨ててでも? という別のベクトルがある。
 
草野代表には バランスを考える目がある。ご自分の力量を前面に繰り広げることより チームのバランスを中心になさる感じ。このバランサーなくして リストラーズは成り立たない。
 
リズム隊のお二人にいたっては、その技術力 職人わざ 曲の要を握っていることが 強く意識の中にあって、余力が使える部分なら ハジケるぜー! と思ってらっしゃるのではないか。
 
野村さんの場合、
どうしてプロの道に進まれなかったのだろうと不思議に思うことがある。
「野村さん」という存在全体をコーディネートされているのでは?と思う
くらい プロ意識の高さを感じるからだ。
 
その実力には 一目も二目もおきながら スルッと野村さんの創る世界を
当たり前に受け取ってしまうほど 素の部分と同じく 陰の努力を見せない人だ。
 
それは 野村さんの存在を見過ごしているわけではない。
リサイタル動画や在宅動画の中に 完成され既にキープされた「野村さん」、ご自身が出してもいいと納得されたあとの「野村さん」を見るからだ。
が、その裏が見えにくい 見せてもらえないために 当たり前に思えてしまうのかもしれない。
 
たとえ機会があったとしても ご本人に質問できることではないが、
歌うこと、踊ること、見せること、話すこと、動くこと、視線を送ること、 動画や画像を提供すること、その全てをパフォーマンスの一環として捉えていらっしゃるように思えてならない。
もちろん 全部 筆者の思い込みに過ぎないのだが。
 
思い込みとお断りしたうえで綴っておくが、そういう徹底感が筆者を捉えて放さない魅力のひとつかと思っている。
 
それは、皆既日食を見たときの感じに少し似ている。

向こう側に 太陽の存在があるのが分かっているのに 隠されてしまって 輪郭しか見えない瞬間。
太陽の縁取りしか見えないが その周りの炎のコロナ部分だけが見える
あの瞬間。 ふだんは見えない 太陽のオーラのように。

 
情熱は 隠されるほど 強くクッキリと見えるもの。
もう 勘違い、思い込みでもかまわない。
筆者にとっての「野村さん」は、そういう姿に見えるのだから。


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