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女性アイドル担当さん @リストラーズ

憑依型。

オカルトチックな言葉だが 筆者の最推しさんは よくこの言葉で 表現されていらっしゃる。

 
簡単に言えば 何か通常では 人には見えないものが 誰かが「憑代(よりしろ)」になることによって この世に見えたり聞こえたりするような状態に
なることで 古来から神の言葉を降ろしたり 見えない世界の言葉を伝えたりできることらしい。 

こういう話をすると ゾクッとするかたもいらっしゃるかもしれないが 俳優さんや女優さんはもちろん、絵を描くかたや 彫刻家、作家、作曲家、詩人、デザイナー、ダンサー、数学者や建築家にも この類の経験を持つかたは多いようだ。 

自分の身体を明け渡したかのように どこかからの通信を全身で受け止めて そのまま表現できるのは ある種 特殊な能力なのだろう。 

トリノオリンピックで金メダルを取られたフィギュアスケーターの荒川静香さんというと イナバウアーという妙技とともに印象に残っているかたは多いと思う。

その荒川さんと しのぎを削っていた 村主章枝(すぐり ふみえ)さんのことが 筆者には強く記憶に残っている。 

「 氷上のアクトレス(女優)」とあだ名されるほど表現力ゆたかなかたで、
好き嫌いが分かれるタイプかもしれない。
が、曲の解釈や一つひとつの動き 視線や指先までが抒情的で ときに狂おしいほど真に迫り、今 見ても涙がこぼれそうになるほどの演技だと思っている。 

スポーツオンチな筆者だが フィギュアスケートは ときどき見る。
荒川さんを好きでないわけでなく、伸びのある重厚な演技は魅力的だと
思う。
ただ 持ち前なのか どこかカラリとした晴れやかなものを感じ、心の隅々
までを掬いあげるような表現をなさる村主さんとは 対照的に映っていた。 

この村主さんを見ていて思ったのが 当時どこで覚えたのか「憑依」という
言葉だったのだ。

エキセントリックな人が そうなるというわけではない。
どう言えばよいか迷うが、皮膚が薄いような バリアが柔らかいような
本人の肉体と本人の魂の距離が密着するほど近いと言えばいいだろうか。 

この感じを言葉で表現するのは難しいが、仮に実感として体感していなくとも 見ているだけで ほかとは何かが違うと感じることがあるのではないか。 

長い説明になってしまい、申し訳ない。
言いたかったのは、野村さんは そういう人だということなのだ。 

このことで 天才だというつもりはない。
憑依型でなくとも 感動を呼ぶ演技をなさる俳優さんや女優さんは数多くいらっしゃるし、そのチカラは 世に充分 認められている。 

ただ 筆者が魅かれるひとつの原因には どうも この憑依している状態が関係あるのかもしれないと思ったのだ。

たとえば ひとつの曲の主人公になり切るとは どういうことなのか。

原曲の歌詞を読み下せば 1分もかからない。
フルバージョンで曲を聴いても5分間ほど。情報はそれだけだ。
そのわずかの情報から 主人公像を創り上げる。

物語を現実に置き変えるまで
心の隅々まで探り抜き 立ち居振る舞いから 考え方 好みの服装 言葉遣い
住んでいる部屋 家族構成や日常生活 、そしてやって来る予定の背の高い
サンタさんと過ごした時間のことなど。

こまごまと想像し尽くして 完全完璧なイメージを創り出さなければ 想像上の人物は 目の前に立ち上がらない。

もし欠けたところがあれば どこかで破綻し 中途半端な表現は そのオーバーアクションのせいで 見ている者をシラケさせてしまう。 

それが成功しているからこそ、
肉体の目で見れば ただのスーツ姿のおじさんなのに いつの間にか 現実の
女性より数段カワイイ女の子が見えて、背の高いサンタさんを待ちわびる
女性の姿を目の当たりにしている錯覚を起こす。 

この目の錯覚は いったい何なのだろうと考えてみたかたはいらっしゃるだろうか。

筆者の場合 最推しさんゆえにかもしれないが
単に錯覚ではなく 実は心の目で 野村さんがイメージで創りこまれた主人公像を受け取っているから そう見えてしまうのではないかと考えている。 

言っていることが ますます通じていない気もしているが 謎を謎のままに
しておくのは好きではない。

なんとか究明したい、野村さんの魅力がどこにあるのか 自分にも分かる範囲に引き寄せて考えたいという おろかな願望が この迷路のような拙文を書かせている気がする。 

いったい どうなさっているのですか?
どうしたら そんなことが出来るのですか?
いつ どんな訓練をなさったのですか? 

と詰め寄りたい気にもなるが 仮に質問したとしても 野村さんは答えて下さらないだろう。
「できたから」
うん そうですね。 出来ていますよね。

何度も言って恐縮だが
ただのスーツ姿のおじさんが かわいい女の子に見える不思議。

見た目と大きく違って
励ましてあげたくなるような切なくも果敢な心が見える不思議。

さらに どこかのコメントで見たと思うが
「(憑依中の)野村さんなら抱きしめてもいい 」とか「キスしてもいいかもしれない」と男性に言わしめてしまう不思議。

女性がきゃーきゃー言っているのではない。
大の大人の、多分 いま流行り?の性向の持ち主でなく、女性の奥様がいらっしゃる男性のようだった。 

こういう不思議な現象を創り、ごく簡単そうに表現できてしまうのが 野村さんなのだ。

書いても 書いても 考えても 考えても 突き止められないもどかしさに どこまでも翻弄されるのが 野村さんファンの沼なのだろうか。
 
ご本人に問うすべは持たないから 何を考えても ただの想像と思い込みに
過ぎない。
それが少し哀しいと思うときもあるが 答えがないから 追い続けるのかも
しれない。 

何だか中途半端になってしまった。

何の解明にもいたらない駄文にここまでお付き合いくださったかた、読んでいただいた上にお願いまでして恐縮なのですが、ヒントがあればぜひご教示くださいませんか。 

分かっていただけるとは思いますが 悩んでいるわけでもないのです。

これで毎日 楽しいのだから 全然いいんですよ、野村さん。
なんなら もっと翻弄してくださっても・・・と独り言を言っておきますね。  


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