現代貨幣理論と社会的共通資本でグリーンニューディールを解く:資本主義、市場、国家による生産性向上

意欲的な感じで報告する機会を得られそうなので、これまでの研究を一旦まとめるような話をしようかなと計画しています。これは、そのためのメモ。MMTとGNDがお題なのですがドーンと来いという感じ。さぁ、メモレベルでもまとまるのかどうか!?

主題と副題、どちらが主題でどちらが副題なのかわからない感じですけど、いくつかアイディアが散りばめられている。この間の気づきとして。資本主義を労働者にとって悪夢と見るか、福音と見るかは色々な見方があるものの、そこに鍵があるということに最近気がついて。逆システム学とエピゲノムなんですよね。資本主義かどうかではなく、その中で労働者が大事にされるかどうかなのであって、人間の再生産と環境の再生産が担保されるかどうかがポイント。なので、資本主義はよく見えたり悪く見えたりするわけ。持続可能性が保障されるような状態って、資本主義を否定してもこない。だから、そこがポイントではない。

次に、資本主義と市場は違うってこと。市場が完璧かどうかって話もあるけれど、完璧な市場なんてないと言えばない。むしろその傾向として、資本蓄積を阻害する傾向があるのではないか?ということを宇沢の議論を考えていて気がついた。ここで、資本蓄積という言葉を使っているけれど、副題では生産性の向上としている。厳密には、労働生産性の向上ね。経済学のオーソドックスな議論で、今の消費と将来の消費(=現在の投資)がトレードオフになっているって話があるよね。これには半分納得して、半分引っかかってたんだけど、やっと分かった。ヒントはMMTと宇沢だった。これは資本蓄積という概念を、拡張しないとわからないんだなって。だから、一旦は生産性の向上とすることにした。そうすると、市場が必ずしも生産性を向上させない=資本蓄積を阻害している、ということに気がついた。

例えばだけど、私が研究している保育の分野で、生産性の向上ってなんだと思う?これって計測上は賃金の上昇なのよね。だけど、サービスの質が増えないのに賃金が上がるって、ただのインフレじゃん。だから、サービスの質が向上しつつ、賃金が上がるような構造こそが大切なんだけど、市場では財とサービスは下降圧力がかかってしまう。同じ(ような)サービスであれば、悪かろうでも安かろうが勝ってしまうから。悪貨は良貨を駆逐する、ですよ。だから、市場では常に賃金の下降圧力が加わる。これが、生産性の向上=資本蓄積を阻害している、ということになる。

これはマルクスの搾取と似ているようで違う。というのは、ここで考えている資本は制度資本であり、その背景にある人的資本だからなんだ。保育サービスの質って、半分は属人的であり、半分は制度的である。優れた園長がいて、技術指導をちゃんとすればサービスの質は向上する。この園長を育てるのは、色々と調べたけどかなり難しくて、誰でもいい園長になれるとは限らない。残念ながら人間には向き不向きがあって、武将タイプと兵士タイプがいる。百兵は得やすく、一将は得難し。だが、適切な指導者の配置と、技術アップに従って賃金が上がる制度の整備によって生産性が向上する=資本蓄積がされているように見える、ということは宇沢は言いたかったはずだ。抽象的ではなく、具体化することによって、これがよく分かった。自然資本の問題も奥が深いんだけど、多分今日は書けない。これは、非市場領域があるよねってことを理解しないといけなくて、そこそこ長く書かねばならぬのだ。

今回の焦点はそこじゃない。資本蓄積≒生産性の向上のパターンを整理することが必要なのかなってのが、上までの議論での結論。だから、第2次産業(1次を論じるには自然を概念で入れてこなきゃいけなくて、それは次にする)と第3次産業についての資本蓄積のパターンを考えなきゃ行けない。保育の例はサービス業全般に言えることなんだけど、ものづくりについて考えてから進んだ方が、対比的にわかりやすいのでものづくりについて書く。

ものづくりにおいて生産性の向上は、様々な局面で現れる。大きく分けると、同じ設備の状態での生産性の向上と、設備の更新。前者は、例えばカイゼンとかあって、とにかく回転率を上げたり、事故率を下げたりするということ。ここには製品開発なども本当は部分的に入ってくるけど、ひとまず置いておく。で、問題は設備の更新。ここでいくつかのパティーンが現れる。まず、古典的資本蓄積。これは貨幣を金属で用いていた時代で、金融システムが発達していない場合。貨幣を蓄積して、それで生産設備を購入して、そして労働生産性が向上する。銀行システムは、集めた金属(=経済的権力)を集約する機能が期待される。次に、金融資本が成立した以降。この言い方は少し語弊があって、ヒルファーディングとか宇野派みたいな雰囲気がするけど、そういう意味ではなくて内生的貨幣供給が実現する場合、と言い換えた方がいい。これは、健全な銀行システム(つまり破綻しない)の元で、銀行が発行した貨幣を用いて生産設備を購入し、労働生産性を向上するという話。上がった利潤で、負債を償還する。償還できる負債が健全、ということ。実は、国家の国債というメカニズムは、この銀行システムと同じだよねというのがMMTであって、もっというと政府の経済活動全般がこのシステムに依拠しているよね、ということ。

MMTの議論もPKsの議論も、概ねこの辺で終わってるんだけど、実は現代資本主義も現代国家もその先に行っているよね、というのが私の議論のポイントとなってくる。現代資本主義は株式を開発した。株式は銀行のマネークリエイションとは異なる。株式は価値の変動が激しく、それゆえ決済ツールとしては不向きだから。決済しないわけじゃない。株式交換なんかは決済の一種だから。貨幣価値がどう変動するのかという論点もでかいんだけど、それは大体労働生産性と賃金率の関係で決まるとして(ここでは為替と資源と国際経済は無視するぜ)、株式はそれ以上の変動を生む。だから、レバレッジが効くってことなんだけどね。現代金融におけるデリバティブは、結局のところレバレッジが効くということがポイントなので、どんな商品が開発されようが実はこの株式のメカニズムの延長線上で捉えられる。なもんで、レバレッジの効く金融商品で資本蓄積をする、ということを考えてみる。新規株式+投資家という組み合わせを考えれば、実は銀行貨幣を入手する必要がある。株式で設備を購入できないからね。なので、銀行システムが開発されたのと比べると随分とマイナーなチェンジなんだ。株式発行して、銀行貨幣を入手して、設備を購入して、生産性を向上させる。違うのはこの後で、負債を償還する必要は無くなっていて、それが株価の向上や配当に結びつく。そこから投資家は利潤を回収すればよいということになる。

これらが基本原理で、この後国家の理解に進もうかな。今日はここまで。

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