ヒップホップが流行っていると聞いて

若者の間で、ヒップホップが流行っていると聞いて。フリースタイルのラップバトルがテレビで放映されるようになった影響は、本当に計り知れないと思った。飲み会で、どのラッパーの何の曲が好きなのか、という話で普通に何時間も盛り上がれる環境って、少なくとも私が学生をしていた15年前にはなかった。むしろ、モーニング娘。などのアイドルで語る方が多かったのではないか。上半身裸でタッキー&翼を歌っていた同級生が思い出される。

YouTubeでいつでもフリースタイルの名勝負を聞くことができたり、新曲をPV付きで見ることができるようになっているのもでかいだろう。映像がなくても、昔のレコードでしか聴けなかった名曲もYouTubeで聞くことができるってすごい。それはそうとビッグネームと若手エースのラップバトルが沢山行われているわけだが、とにかく気持ちが悪くて物申したい気分だ。晋平太を聞いて育って憧れてこの道に入った、それはいい。だが、そんなことは熾火にも出すな。とにかくダッセェんだ。リスペクトするなとは言っていない。リスペクトで殺せ。晋平太も何喜んでんだ。いやお前の背中を見て後進が育ってるんだ。そりゃ嬉しいだろ。だが獅子は子を谷に突き落とすという、そんなデマの神話をまねろ。心がにやけたリリック紡いでんじゃねーよ。バースにアンパンチが足りない。1万円片手に池袋で叫んでた頃の、あのヒリヒリした空気が足りない。金持ちの坊ちゃんの習い事になっちまった。音楽なんてみんなそうだ。ブルーズもR&Bもジャズもロックも、パンクもHrhmも、グランジもヒップホップも。世間に物申すための鬱屈とした空気のぶつけ合いだったんじゃないのか。坊ちゃんの習い事。金持ちのおままごと。

ZONEとコラボした札幌のスターもそうだ。新小岩いいとこ、その通り一度はおいでよ。というより、暖かく向かい入れてくれる人がいるところならば、どこだって天国。でもそんなことはどうでもいい。札幌以外を東京とひっくるめてディスってたのが懐かしい。いやいつまでもとんがり続けて生きていけばしないのかもしれない。でも針を変えてない視聴者すらディスるあのひりついた感じ。耳に残ったひりついた感じがあるから、コラボだって名曲に聞こえる。けれどそれはテクニックに優れているだけで、もはやハングリー精神を失ってしまったんじゃないのか。フローとリリックのテクニックはあっても、魂は札幌に置いてきてしまったんじゃないのか。偉大なる先行者と、和解するセレモニーしてしまったからなのか。ラジオで取り上げてくれたことに対する、回答が悪態ってのが伝説。でももう伝説なんて生まれないのかもしれない。だからヒップホップシーンは信者いない、し信者がいないなんてことはないのかもしれないけれど、ヒップホップそのものは死んでしまったのかもしれないね。

どうせアメリカの20年遅れのシーンなんだ。今のアメリカを聞いた方がいいのかもしれないね。同じことが学問に言える。細かいことをごちゃごちゃいうのもいいんだ。定義は大切だ。隙のない議論も大切だ。でもそんな小粒のこと考えても仕方がないじゃないか。オンラインだからというわけじゃないけど、何がクリティカルなのかということだけを考えろと、教えてくれたのはあなただった。だが財政学とは何かを問うたのは違った。財政学は固有の分析対象を持ってはるものの、固有の分析方法はないんじゃないのか、つまり学問ではないというツッコミ、耳が痛いまさにジャスティス。インナーで傷舐め合って、ポスト守っているから学問は衰退。研究は小粒で、後進もどんどん敗退。社会学取り入れるなら社会学の基礎学んだ方がいい。政治学取り入れるなら政治学の基礎学んだ方がいい。経済学のつもりなら経済学学んだ方がいい。話はそれからだ。結果それがあまり上手くないことを証明しても、再構築しないで放り投げるな。俺らつむぎ出す未来へと。

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