アンバランスな3+1の経済学(前)

○○経済学って多い。環境経済学とか公共経済学とか医療経済学とか教育経済学とか。これらほとんどの経済学は、分析対象や分析の分野を示している。なので、どのような世界観(規範や問題意識)を持っているのか、理論(その世界を理解する仕方)の構成になっているのは、別の話。昨日、とある原稿について共同研究者と議論をしたのだが、少しずつ、我々(だれやねんってことだけど私とy氏)の議論が理解されつつあることを感じた。が、かなり長い時間をかけてy氏に理解してもらって、それが広がっているので、人口に膾炙するにはまだまだ時間がかかるというか、無理なんじゃないかなと思わんこともない。自分自身も師匠がエピゲノムエピゲノム言っていた時には微塵も理解できていなかったので(今は明確に理解しているし、なんなら私の方がうまく説明できると思う。少し矮小化させているが、、、、まぁそれは別の話)、基底的な学説にアクセスすることの難しさをひしひしと感じる。

昨日の話自体は、均衡の経済学から離れようという趣旨。抽象的に書くと、ある中間材市場の需給均衡があったとして、それが供給側の生存保障、ディーセントワーク、生産性向上、生産力向上、労働力と地域の再生産を担保しないという話。具体的には林業(川上)と木材関連産業(川下)の話で、川下の論理で経済活動をしてが行われると川上がダメになっちゃう、というようなことを具体的に話していた。もちろんここには、バーゲニングパワーとか需要環境、供給環境、林政と林業財政、ということが絡んできている。林業が儲かるということと、土地に固着した山主という、2つの制度的要件(エピゲノム)が持続可能な林業(杉ばっかり植えたのは問題だったけどね)、再造林を可能にした。だから、木材需要だけ増やしても、単価が上がらなければダメ(林業労働者は危険で低賃金なまま)だし、調整項が壊れているので(山主は山のことなんかどうでもいい)、再造林は進まない。

具体的な論については本を書いているので、そちらでよいとして。上記の議論のなかに、複数の経済学のお作法にまつわる議論が入っている、という話を書きたかった。市場の需給均衡とそれを実現する価格メカニズムの経済学、つまりミクロ経済学。明らかに、木材市場の話をしている。資本の運動の中で労働が疎外されるマルクス経済学。調整項の存在を明らかにして、多様性の発生を説明できる制度経済学。そして、集計データで世界を把握し、雇用や地域を見る目を与えるマクロ経済学。最後だけ、メカニズムがないので鬼っ子ね。

続きはまた。

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