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AI時代の人生観

AIが人間の能力を超えるシンギュラリティー(技術的特異点)まで「あと何年だろう?」と言われますが、個人的にはほぼ超えているんじゃないかと感じています。
わたし自身になじみが深いのは画像生成AIや動画生成AIなので、その分野ではもはや人間にはたちうちできないスピード感とクオリティーが達成されているからです。

たとえば、今はこんなことになっています ▼▼▼


じゃぁ、「人間はダメなのか?」と言えば、そんなことはありません。
それは、画像生成や動画生成に限ったことではなく、あらゆるジャンルに言えることですが、単純なスピード(などの)勝負で負けたからと言って、存在自体を全否定する必要はない、ってことです。
甲子園に行けなかったからと言って、野球に打ち込んだ時間が全部無駄になるわけではないように 😊


ともあれ、では、AIが地球上でもっとも賢い存在になる状態で、人間はどのような形で輝けるのか?

わたしは、今後『人間は人間にとっての見本になること』が求められるだろうと思います。
その意味では、能力の過多でかなわないAIに対して「ねたんだり」「怖がったり」するのは、美しい姿ではありません。
「ねたんだり、怖がっている人になりたい!」という人は(よほど特殊なシチュエーションに置かれている場合をのぞいて)いないはずです。

むしろ、どんなに分が悪くても「簡単には投げ出さない」「何らかの希望を見つけて、できることに集中する」人に、人は憧れます。
もっと言えば、厳しい状態すら楽しめる人。
そんな人が『充実した人生をおくる人』であり、そうした人の見本になれるのは、生きている人間だけです。

わたし自身もそうありたいと思います 😊

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