230301-2

 スピノザについて。彼は〈私〉ではなくこの世界の側から考えたのではないか。現実であるこの世界=神=自然。
 まず、可能世界を無限に考えることはできるが、それもこの現実の世界のうちにあるしかない。ここを起点にして考えられている。
 ある可能世界が現実の世界になったとする。それが現実になったと言えるには、その変化が含まれる現実の世界がなくてはならない。その世界の可能世界を考え、もしそれが現実になったとする…と無限に繰り替えされるしかない。この事態にスピノザは取り組んでいたではないだろうか。
 そのような、段階となっている構造を想定しないとすると、ある可能世界が現実になったということができず、ただそれが現実の世界であるだけであるから、この世界=神=自然からは逃れられないのではないか。
 しかし充足理由律についてはどうなのだろうか。それがあることの理由は世界内にあるのか。そもそも理由があるのか。

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