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日記を書いています。

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最近の記事

230614

 英語を勉強しようと思い立った。記録を残して行こうと思う。 50/50 golden oldie groan

    • 230605

       日が沈みかけて心地のよい風が吹く夕方、三条通を東に向かって歩き、河原町通を渡ろうと信号で待っていたときのこと。前方からパトカーのサイレンが鳴り始めた。次第に近づいてきている。パトカーが来るのだろうかと考えていたら信号は青に変わり、群衆は道路を渡り始めた。  すると右へ左へと車体を揺らしながら一台のバイクが現れた。まるで踊っているようだ。踊りながら警察を待っている。遮るものは何もなく俺の道路だと言わんばかりに自由に動く。主役は彼であった。バイクは横断歩道を渡る人々の間をするり

      • 230324

         14日から16日まで島根旅行。その後、17日から22日まで台湾に滞在。台湾滞在については後日書く。  そして今日24日は修了式であった。天気は曇り、じめじめしている。日本に帰ってくると桜が咲いていた。なんだか疲れたのでこのことも後日書きたい。  『メメント』という映画がある。主人公は5分毎に記憶を無くす。記憶が定かではないがおそらくそのはずである。  5分毎に記憶を無くすというのは、時計が5分進むごとに記憶が一度リセットされるということである。ただ、ある事件より前のできごと

        • 220310

           胡蝶の夢について。3月7日の日記では、恵子に対する荘周の返答は的を外しているのではないかと思ったが、そうでもないような気がしてきた。  《私》である恵子と荘周には《私》と他者という絶対的な違いがある。これは間違いない。  問題は次のことにあるのではないか。恵子は《私》というものに関して、他者である荘周もそのようなものであると前提した上で、荘周である《私》と他者である魚の違いについて語っているということ。  《私》と他者の絶対的な区別があるにもかかわらず、他者とその他者にとっ

          220307

           満月だ。  新月を過ぎて釣り針のような細い月がでてくると、満月が来るのを楽しみにしている。月が満ちるとなぜか嬉しい。  夜、コンビニにいくつもりがつい鴨川デルタまで行ってしまった。そこのベンチは特等席だ。何度そこから月を見ただろうか。  十数人の大学生が集まって騒いでいた。若いなと思った。赤マルの箱を開いて残り少ない煙草を吸った。ベンチは木下だった。木の枝が生を主張するかのように四方に伸びている。  『荘子』より。  ひとつの疑問。「僕の知識のていどを知ったうえで」との解

          220306-2

           3月3日、5日に引き続き胡蝶の夢について。  これは夢から覚める、あるいは夢を見るということがどういうことかわからなくなってしまっていることを示すのではないか。現実に戻るということも自明ではなくなってしまっている。  これは、夢から覚めたことに「私」が気づいているこの現実は入れ子の外側の夢に含まれているのではないかという懐疑とは異なる。  夢から覚めるということは実は現実から覚めて(夢に戻っている)のではないかと問うことはいかなることだろうか。「実は」ということはいかなる

          220306-2

          220306

           春の淡い空に溶け込んでいた月が仄かに灯りをともし、空から浮き上がってきた。雲ひとつない暖かい日だ。  14時に今宮神社の近くの喫茶店で人と会った。初めて会う人だった。名前もしらなかった。  1ヶ月ほど前にマッチングアプリを始めた。今まではメッセージをやり取りするだけで、実際に会ってみることはなかった。  バスで今宮神社のほうに向かい、早く着いたのであたりを散策することにした。普段は左京区からほとんどでることがないので、どこか遠い街にきたような感じがした。赤い鳥居が見えたので

          230305

           少し春らしくなってきた。日が出ていると気持ちが良い。雲で日が隠れれてしまうと少し寒さが刺さって痛い。まだ暖かくなりきっていない春の日に、晴れているというのに太陽だけ雲に隠れてしまうのは憎いと枕草子に書き足して欲しい。  今日は13時ごろまで寝たり起きたりを繰り返していた。ようやく起き上がって米を炊いて味噌汁をつくっているあいだ、掃除機をかけて、本棚の埃をはらった。そろそろ春に向けて準備するかと思い、電気ストーブを段ボールに入れて押し入れにしまい、冬物のニットも洗うことにした

          230305

          230303

           最近は時間を見つけてはスリーノートヴォイシングにテンションノートを加える練習をしている。曲はAll the Things You Are。好きな曲だ。何百回と聴いたと思う。やはり自分の好きな曲を弾くと俄然やる気が出る。  まだ滑らかに弾くことはできない。ところどころ躓きながら響きを探索している途上だ。音の発掘をしている気分になる。地道な調整とも言えるかもしれない。  最近何か欠乏している気がしていて、食べ物のなかでそれを探していた。甘いものかと思い、黒糖まんじゅうを食べてい

          230301-3

           小さな頃に、自分が死んだらどうなるか考えていた。想像したのは、肉体もなく、当然動くこともできず、音も聞こえず、真っ暗な闇に閉ざされている光景であった。孤独を感じ、恐ろしくてたまらなかったのを覚えている。  しかし、死んでしまえば、肉体がなく、音が聞こえず、何も見えないことを意識している自分も、恐れることができる自分もないのでなければならない。そのことにあるとき気づいたが、そのような自分を消そうとしても、それを消そうとしている自分があってしまう。遂には、死を想像することはでき

          230301-3

          230301-2

           スピノザについて。彼は〈私〉ではなくこの世界の側から考えたのではないか。現実であるこの世界=神=自然。  まず、可能世界を無限に考えることはできるが、それもこの現実の世界のうちにあるしかない。ここを起点にして考えられている。  ある可能世界が現実の世界になったとする。それが現実になったと言えるには、その変化が含まれる現実の世界がなくてはならない。その世界の可能世界を考え、もしそれが現実になったとする…と無限に繰り替えされるしかない。この事態にスピノザは取り組んでいたではない

          230301-2

          230301

           久々に書く。1ヶ月前に失恋をした。2週間ほど前には修了制作展が終わった。その後はよくわからない苛立ちと悲しさに襲われ何日か寝込んでいた。その間は食べることも面倒くさくなり1日に一食だった。自炊をする気もおこらずコンビニと外食でしのいでいた。  動けるようになってからは次第にピアノの練習、特にジャズピアノの練習をしたいという衝動にかられ、何時間もピアノを弾いていた。今はそこまでの集中と持続はないが、それでも1日に2、3時間は弾くようにしている。ある程度の練習したら念願の曲作り

          220814

           昨日は月に2回の書道教室であった。その日の生徒は僕だけであったので、先生のお宅の居間で大きな紙に書くことになった。僕はかれこれ2年くらい褚遂良という人物の書を臨書している。  お手本から一行あたり七文字、それを二行書く。最近は以前にくらべて少しは筆が思ったように動いてくれるようになったと感じる。書き上がったものを先生に見せると、褚遂良の字のイメージを捉えられていないと言われた。そのとき僕ははっとする。そうか、字にイメージがあるのかと。  これまでずっと、いかにお手本の字

          220710

           仮にfabが大きな広がりを見せて、既存の生産システムに人々は依存せずに自律的に生産を行うことができるという、一種理想的な(これをなんと言おうか、広い意味でコミュニズム?)状況が実現されたとしよう。技術的にあるいは経済的に、社会的にそのような生産の仕方が可能になったとしよう。そのような条件が整えられたとしても、果たしてそこで人々は自ら進んで制作をし、生産を行うのだろうか。それを欲望するのだろうか。デザインは各々の欲望の問題を考慮にいれなければならない。  来るべき社会におい

          220704

          「おのれを殺す、これはある意味で、そしてメロドラマでよくあることだが、告白するということだ。生に追い抜かれてしまったと、あるいは生が理解できないと告白することだ。(中略)そう、おのれを殺すとは《苦労するまでもない》と告白すること、ただそれだけのことにすぎない。」(カミュ、16頁) 「ひとは、この世に生存しているということから要求されてくるいろいろな行為を、多くの理由からやりつづけているが、その理由の第一は習慣というものである。みずからを意志して死ぬとは、この習慣というもの

          220704

          220622

           錦小路にある喫茶店で3、4時間ばかり、湿度のせいか二日酔いのせいか、大して集中できないまま『知の考古学』を読んでいた。一緒にいた友人はバイト先のロゴをデザインするためにパソコンを開いてみたり、YouTubeだろうか、なにか動画をみて笑ったりして過ごしていた。彼も二日酔いのせいか集中できないようだった。当初は銭湯にいこうなんて話していたが、結局2人とも疲れ切っていて帰宅することになった。  友人と別れた後、私はひとりチェーンの定食屋でチキン南蛮定食を食べた。定食の気分だった