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「書けない日」が生まれる理由

どうにもこうにも。
note書けないな~って思う日が、ときどきあって。

というか、noteに関しては「書けない」から書きはじめる日の方が、圧倒的に多い。元々、自分の考え方とか外に出すの苦手なタイプなので。やっぱり今でも、簡単じゃない。


それでも「う~~~~~~~ん。」って絞り出して、搾りカスをせっせとかき集めたものを、毎日文字にしているわけですが。

搾りカスすら、残らない日がある。


もう、どう絞り出しても何もでないし、かき集めるモノすらない。それでもなんとか文字にするんだけど。出来栄えはまぁ…ねぇ?…………ご想像にお任せします。

人間だもの。波があるのが、当たり前。


あんまり悲観しても仕方ないので。

書けない読めないを振り返って、自己分析してみます。

というわけで、今日のnoteもはじまり、はじまり~~~。

◇◇◇

たとえば、読みたくても、読めない日がある。

かろうじで文字は追えるんだけど。視線が文字の上を滑っているだけ。気付いたら1ページ丸々、読み直してみたり。そして、自分でもおどろくほど楽しくない。

こういう日って、だいたい脳みそがほぼショート寸前まで使い倒されているので。
もう、飯食って寝ろ。のサイン

いいからさっさと寝ろ。………………まだ起きてんのか。


書きたくても、書けない日もある。

伝えたいことは頭に溢れてるけど、今日使える選択と思考を使い果たしてもう動けない。絞り出そうとすると脳みそがグググ…って音を立ててるような気がする。そんな日。

これもやっぱり、疲れてる。
こんな日に冷凍庫にパリパリチョコのアイスバーが入っていたら、いつもの5割増しで幸せ


そもそも心から何も読みたくないし、書きたくないって日はだいたい幸せの合図

え、いいから海行こう。釣りしよう。そのあとお酒飲んで、ギター弾きながらカラオケ大会とかしようぜ~~~。って気分の日。

もう、最高に幸せ。
他のことは、もう何も考えたくない。笑


不思議なもんで。

ふだん書いてるときって、幸せな世界を表現することへの憧れで満ちているはずなのに。いざ、幸せの真骨頂に達すると、書くモチベーションが一気にしぼんで書けなくなります。(笑)

というか、そもそも言語化できないんですよね。

きっと、そういう感覚って。


例えば、学生時代の仲間でバーベキューしたって話なら。

最高の仲間に囲まれて、最高の夜を過ごした。
みんな変わってなかったな~!

とか書かれても、正直(…?)ってなりません?…え、文章力の問題?

まぁ、文章のクオリティとかは、正直どうでもいいんです。

どんなに言葉を尽くして言語化するより、乾杯してる写真1枚 + 2~3個のハッシュタグ の方が、良いじゃないですか。圧倒的に。

#同窓会
#KP
#BBQ

文字なんて、正味これだけ。

言語化なんて、野暮野暮。文字にするべきじゃないってことには、確証すら持てる。

こういうときって、書くから一番離れたこの空気に浸っていたいって心から思います。
毎日書くって決めちゃったもんで、すぐ引き戻されるけど。(笑)


えぇ。書きますとも。

絞り出してでも、書けばいいんでしょ。

◇◇◇

そう考えると、noteってよくできてますよねー。

テキストをはじめとして、つぶやきに投稿。画像だけでもOK。
音声と動画もあって。

テキスト以外の存在感が薄くなりがちなのが、難点だけど。


「言語化」って表現のツールのひとつでしかないから。

もっと音声も、画像も動画も、バランスよくうまく使って表現できたらな~とは思うけど。声にも顔面にも自信がないので。いまのところは保留。

チャンスがあれば、写真はうまく使っていきたいな。

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