俺とゆる体操との出会い ④

色々な経緯があって、高岡英夫と彼の提唱する運動科学という名の沼に
段々とはまっていった。

最初は「霊感商法みたいなだなあ」と思い、抵抗あった極意グッズも、少しづつ揃えていったし、連休に開催される極意合宿も暇を見つけては参加していった。

そこでは、色々な人達が参加していた。

でも・・・・武術、格闘技系の人達が多かったな~。

文科系・・・例えば、役者系とか、音楽系とかは殆ど居なかったのではないか。
あくまで個人的な見解です

本質力を鍛えるワークなのに・・・。尤も、連載していたのが
当時武格系の雑誌が主だったから、無理もないか。

セミナー料金の代金の高さは、少し気になったが
これで、天才と凡人の差の謎が解明出来る!もしかしたら、こんな俺も
生まれ変わることが出来るかもしれない!!・・・と思った。

また高岡英夫が時折解説する達人のDS図や、彼自身の武術の技を
見るのはとても面白かった。

DS社もどんどん活動を広げ、一時期、全国各地で
極意合宿を行うという、今だったら考えられない活動も手広く行う様に。

また、極意武術教会という事で「極意杖道」「身心流(みんりゅう)」という
脱力と極意をベースにした武術道場も発足。

10年で武術の達人をここから輩出させる

と、当時の機関紙であった『身体意識新聞』に記載していた。

極意を広める活動は、彼自身の著作と共に段々と広まっていくのだが
それに対する批判も当然あった。

しかし、その批判は、書籍などの公的機関ではない。

インターネットという、新たな媒体を通しての批判であった。

次回は、その当時高岡英夫に向けられた批判について書いていきたいと思う。 

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