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舞台に吹く旋風(つむじかぜ)の正体は……。明後日プロデュース『青空は後悔の証し』

久々に、頬がしびれるほどの疾風に打たれる感覚を持った。理解しようと足に力を入れ、必死に目を凝らすが、突き放すように強い風が絶えず吹いてきて、点が見えてもなかなか線にならない。
戦争や災禍など、大きな社会問題を作品の中心に置き、現代との接続をわかりやすく見せた、ここ数年の岩松了はここにはいない。
ひたすら個人の心にフォーカスし、それも、心の闇に分け入って謎を解くのでなく、奥を覗けば闇しか出てこないのが人の心だという事実を伝えるため、容赦なく物語を紡ぐ岩松の世界が久しぶりに立ち上がった。

強風の中でようやく見えたのは、同じ出来事、同じ人物を思い出す時に、人はいつの間にか、それぞれまったく違う距離を持ってしまう、ということ。亡くなった母に対する父の思いが、自分に比べて薄まっているらしいと気付き、それが受け入れられない息子が、なんとかその差をなくしたいと駄々をこねる、この物語の大小さまざまな悲喜劇は、そこから発生しているのではないか。

岩松作品の登場人物は、とにかく相手に質問する。そしてたいてい、尋ねるタイミングが相手の話とズレている。戯曲を読むとわかりやすいが、ひとつかふたつ前の話題に対して「今の、どういうこと?」と質問し、それが何度も繰り返されるのだ。質問者の「今の」は、実際の「今」ではない。話者が終えた話題に引っかかって、質問者の時間は止まっている。尋ねられた話者は答えるために少し前の時間に戻る。当然、話はなかなか進まない。
こうした質問を繰り返し、粘着質的に正確さにこだわる人が日常生活にいたら「あの人はコミュニケーションが取りづらい」だが、演劇では「この作品はわかりづらい」という感想を生む。
ではなぜそれがなされるのかと言えば、岩松作品では確認という行為が非常に重要だからだ。なぜ重要かをさらに考えるなら、人はそんなに簡単に理解し合えないはずだという確信が、岩松の中に強くあるのだと思う。もっと言うなら、どんなに注意深く質問を重ねて理解しようとしても結局はわかり合えないことの証明に、質問という確認作業が行われている。尋ねるほど答えは細分化し、ほしい答えとはズレて、また別の質問が生まれ、理解から遠ざかっていく。
『青空は後悔の証し』は、この“岩松節”が久々に全開だ。例えば、ひとりの話に対してふたりが同時に「どうして?」「誰が?」とポイントの異なる質問をするくらい、確認に時間が割かれている。同じ話を聞いていても、人によって気になるところは異なる。同じ記憶との距離感が、その場に一緒にいた人間同士でも違ってくるように。
そして、このことが大切なのだが、人間はそれでも、わかり合う相手を欲している。誰かと思いを同じにできたと実感する時、無上の喜びを得る。だからこの物語の登場人物たちは、おそらく自分でも愚かだとわかっている確認作業をうんざりするほど重ねながら、その先にあるかもしれない喜びに手を伸ばす。いい年をしてそうせざるを得ない彼らは、だから愛しいし、その切実さが胸に迫る。

話の発端は、何らかの病気で退院したばかりの高齢の父親(風間杜夫)が、かつてパイロットとして働いていた時期に部下だった女性が今は近所にレストランを開いていることを知り、何十年ぶりかで会おうとしているところから始まる。老いらくの恋の芽さえ出ていないが、息子(豊原功補)はその再会を止めさせようとしている。息子は妻(石田ひかり)との関係も上手く行っておらず、父がひとりで暮らす高層マンションをふたりで訪ねても、その度に言い合いになる。父の面倒を見る家政婦(佐藤直子)は、すぐに自分の話を始める家政婦らしからぬ押し出しの強い性格だが、ベクトルが真逆なだけで、息子とその妻のはっきりしなさも同等に面倒臭い。
悲しいのは、すでに父は現実とフィクションの区別がつかない領域に足を踏み入れていることで、向かいに建築中の高層ビル(劇中では「塔」と呼ばれている)から自分の住む部屋にひらりと飛んで入ってくる少女(小野花梨)と交流している。
そんなわけで息子のかなり遅い反抗期は完全にスルーされ、行き場を失ったそのネガティブなエネルギーが、家政婦に当たり、妻との関係にも悪影響を及ぼす。いや、息子だけではない。舞台には登場しない父のかつての部下や、マンション前のデモに参加していた男も含めた全員が、その時の気分や思惑や欲望、過去の出来事などを含んだ空気を絶えず全身から放出して、満ち引きする潮のように影響を与え合っている。前述したように、愚かだと自覚しながら、自分以外の誰かに精一杯のエネルギーを向け、それがぶつかり合う。……そうか、最初に書いた“強風”は、この空気たちが旋風になったものか。

そうした、目に見えないものの激しい動きに対して、まるで静止画の間違い探しのように、場が変わると、窓の外に描かれた塔が少しずつ変化したり、窓際の花瓶の花が変わったりしている。でも、いつどう変わったかがわからない。実は、この舞台で最も頭を抱えたのはここだった。
見えるものでさえ変化がつかめないのに、ましてや人の心の変化をわかろうなど……と、岩松は言っているのだろうか。

シアタートラムで、5月29日まで。そのあと大阪公演あり。
*パンフレット、強く強く購入をお勧めします。特に俳優、演出家(を目指す人を含む)は、稽古場レポート(執筆はプロデューサーの小泉今日子)は必読かと。

☆5月26日16時、加筆しました。

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