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ここだけのはなし[01]

プロローグから、もう少し話を進めます。

2025年には、2度目の万博が大阪で開かれますが、前回は1970年に大阪万博が開催されました。20世紀少年を読むと当時のことが、よく分かりますが、「月の石」や「人間洗濯機」から「機械のようなパビリオン」など、未来は明るくてSFが現実になると本当に信じていました。<そんな夢のような世界を見せられるとマンマと信じてしまいますよね…子供だったんだからw>

同時に、現場監督以外に「建築家」という言葉を覚えます。違いのわかる男「建築家 清家清」です。当時とても印象に残るCM(ネスカフェ:画像が当時のポスター)でした。

「住宅を設計する仕事」があるということを知ります。

住宅をつくるために「建築家」になろうと決めたのです。

さらに驚いたことに、東京芸術大学を出て芸術大学で教えておられるということでした。工学部の建築学科ではないと言うのは、エンジニアではダメなのかという素朴な疑問でした。育った環境と言うのは罪なものですね。全く想像だにしなかった事の連続でした。

調べれば調べるほど、住宅作家とか現代建築とか。思い描いていたことと全く違う世界に衝撃を受けたのです。

今ならテレビでもネットでも情報はいくらでも拾うことが出来ますが、当時は図書館に行ってもなかなか確信に迫る本に出会えなかったのです。そのお陰で違う世界も見聞きできたのですがね。

次に見つけたのが、「西山夘三」(京大の教授)という人でした。「庶民の住宅」の研究を通して住宅を科学的に研究した先駆者で、公団住宅(2LDK)をこの世に生み出したり「住居学」を整えた先生でした。

全然工学的技術者がヒットしなかったのです。「建築家」か「研究者」か?進路は工学部だと信じていたのに、方向がズレていると感じたのです。

今から思えば、そんな浅はかなことでと思いますが、回りにも詳しい人もいない上に文献もまとまっていなかったから仕方がなかったのですね。

元々、現場監督か職人をイメージしてたので早く働くことを望んでいたけれども、資格を考えるなら大学進学が必須で、工学部だったのが芸大とか美大の建築学科へ進路迷走。さらに住居学なら生活科学という分野と頭の中ではグルグルと選択肢が回っていました。

女子の方なら知ってられるでしょうけれども生活科学部と言うのは、平たく言うと「家政科」のカテゴリーなのですね。男子が入学できるのかすら分かりませんでした。調べれば関西ということと、男子が選べる生活科学部と言うのは京都と大阪に2校だけあったのです。(今はもう廃部になりましたからある意味貴重ですけどね。)

大学時代には、またいろんな「無知の壁」にぶち当たるのですが、とにかく1歩も2歩も前に進むことが出来たという訳です。

前振りはこの位にして、次のノートからは「ここだけのはなし」を具体的にnoteしていきますのでお待ちくださいねw       続く。

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