ちょっと横路へ(11)
趣味の話一回目から間が空いてしまった。
理由は、解っている自分。
思い出したくない過去を書くことで思い出すことになり嫌な気分になったのだ。
趣味の話は、好きなのだが、そこに行きつくまでに嫌な時代を思い出したわけである。
続きは、前置きをカットして書いてみようと思っている。
その前に横路にそれた話を書いてみよう。
これもある人から見れば趣味としか見えないことかもしれないが?
実は、私13年前から一人黙々と取り組んでいることがあるのだ。
それは、形もなく見ることすらできない自分とその意識との中での事象である。
365日×13年一人向き合い1日も忘れることもなく継続していることがあるのだ。
それは、毎日、食事をして自分の働きを行い1日を終えることや朝、太陽が登り夕方沈むことと同様になっているのである。
それくらい、自分と同化し自然になっている
。言い方を変えればそれを中心に生きているとも言えるのだ。
それは、まさに地球に生きる人間としての真理とも言えることであり簡単に書けるものでもないが確実に私は、それと共に生きているのである。
そうした生活を始めてからは、人に会うことも少なくなり話をしないでいると話せなくなるかなと思うくらいであった。
しかしながら自分としては、一人充実した日々を送るようになったわけである。
何か困ることが無いかと言えば、そのような時は自分の心に問いかけると何かしらの答えが返ってくる。それが無い時は、時間をおいてみると直感や閃きのような感覚で答えが出てくる。
時間があれば自然の中に入ったり、空想の世界に入ったりしていた
。
それまで多くの時間を誰かと過ごしていたわけだがこの頃は、すべて自分のために過ごしていた時間なわけである。
たまに、友人達からの誘いがあっても何かしら理由をつけて一人を楽しんでいたのであった。
そんなある意味で贅沢な暮らしをしながら、記録に書き留めておこうと思い始めたのがあるブログであった。
振り返れば7年も経過していた。
その間1500の記事を書いた。
私としては、立派な記録となったわけである
。
その内容は、日々感じる感覚的なことや自然との関わり、詩や物語など私自身の閃きの中から出てくるものであった。
内容は、ある意味で抽象的であったかもしれない。
そうした世界を感じながら生きていると人との関わりは、面倒になるものかもしれない。
時折やってくる子供達と接する時は、別世界というか?元の世界に戻る感じがしたりしていたのであった。
今、思えば時空を越えた旅に出ていたのかもしれない。
このnoteという場では、その旅を礎に60才代の私の人生を振り返り記録として残そうとしているのかもしれない。
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